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【エッセー】すぐに忘れ去られるワクワク

(サムネイルは公式Twitterより引用)

アニメを見るということ。


それは、大なり小なり、良いなり悪いなり影響を受けるということだ。
オリジナルアニメ、リアルタイムであればそれは尚のこと顕著である。先の見えない展開で、人々は一週毎に悲鳴を上げてきた。
それは、『まどマギ』ひとつを見てもわかることである。

上では「アニメ」を論じたが、これは他の媒体による作品でも同一である。
漫画・小説なら連載形式、音楽ならばアルバム発売前に時たま行われる毎日MV公開といったイベントになろう。

なのに、なぜ私はアニメを例題としたのか。
それは、最もリアルタイム性が高いコンテンツだから。

そして、今アニメを見ているからである。

前者については解説不要かと思う。
単純に「発売日」というざっくりした漫画連載に対し、「放送日」の中、「放送時間」すらも指定されているアニメの方が盛り上がりやすいということである。
近年はSNSでの実況文化もさらに大きくなり、その効果はアニメのリアルタイム視聴、さらにいえばオリジナル作品で顕著に見ることができる。

ここからが本題だ。

私は、アニメが大好きだ。とはいえ、実のところ見ている本数で言えば決して多くない。それは古いアニメ・新しいアニメに関わらずである。

私が『けいおん!』のテレビシリーズをようやく視聴し終えたのは去年の話で、ようやく劇場版の鑑賞に至ったのは今年の4月だった。

素晴らしく印象的な画面あり、色彩を活かした演出あり、斜め上の視点から進められるストーリーありの素晴らしい映画であるが、ここで語ってしまっては終わらなくなってしまう。

それ故、ここでは省略。

とにかく、私はアニメ好きを自称しているものの所詮は"にわかアニメ好き"なのだ。


ならば、できることは今追っているアニメを全力で楽しむこと!



そして、願わくば
「その放送をリアルタイムで視聴した時にしか得られない刹那的な感情を文章化し後世へ残すこと」
である。


連載中どれだけ盛り上がった考察も、間違っていれば完結後顧みられることはない。


しかし、真に重要なのはそこで起こった「宴」なのではないだろうか?
考察に踊らされ、はしゃいだ記録こそ残すべき反応なのではないだろうか?


『水星の魔女』の話をする。

この記事を執筆している時点で、既に20話は放映、私も視聴済みである。

地味なシーンだ。それも序盤。大してストーリーに絡むこともない。
本編終了後は案の定というべきか、誰も話題にしない。

これを!!!!!



これは、『水星の魔女』公式Twitterが毎週放送直前にやっている先行カット公開である。

ハロを抱えるロウジ。その裏で存在感を放つセセリアの太もも。そして、明らかにおかしい眼光を発しているハロ!

なんという光景だろう。
我々は、この画像を巡って大いに盛り上がった。
ある者はトンチキな考察を。ある者は真面目な考察を。ある者はセセリアに、ある者はロウジに対して偏愛を。

そう、これこそ私の言う
「すぐに忘れ去られるワクワク」
そのものである。

私は、これを可能な限り後世に残していきたい。


残したとて、何かの役に立つわけではないだろう。しかし、伝えておきたいのだ。

私たちはこんな些細なことでも昂って、それを楽しんでいたと言うことを。

みんな、大いに今を楽しもう!


そして
「我々はこんなことすらも楽しんだのだ!」
と未来、胸を張ろう!





ここまでお読みいただきありがとうございました!

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