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見てる視点の差が、生き方の差

こんにちは!

思い返せば、すでに小学校の頃から
人間ウォッチングをしていた私。

常に、

・この人はなんでこんなことをするのだろう。
・きっと今こんなことを考えている。
・もう少し、こうしたら良いのに。

そんな感じで人を勝手に分析していました。
それは、友達でも電車に乗っている知らない人でも。

ちょくちょく感じていることなのですが
どうでも良いことを気にするひと多いなって・

  1. 例えば、プレゼン資料を作っていて

    〜です。〜ます。〜である。」
    どれを使ったら良いんだろう、と気にしたり

    デザインで、赤にするか、ピンクにするか
    散々悩んでみたり。

    ここに時間を使うことって
    すっごく勿体無いと思うんですよね。

    それよりも、
    ・明確なデータを集めたり
    ・冒頭と結論をどうまとめて伝えるか

    そっちの方に時間を割いた方が
    プレゼン資料としての意味があるのです。

    ゴールは伝えること、であって
    正しい言葉遣いの採点や
    デザインのクオリティではないのですから!

    ようは、どこを見ているかです。

    細部にとらわれて、肝心なゴールを見失い
    その狭い一点にフォーカスしてしまう。

    自分では、そこの「正しさ」を追求する
    意義あるものと感じても
    相手や世の中的にはムダってことではないでしょうか?

    そして、もちろん自分にとっても
    意味ないことに時間を費やすって
    可能性を縮めているんじゃないのかなって。

    まさに「木を見て森を見ず」

    この状態でずっと過ごしている人は
    森があることさえ忘れ、さらにその枝や葉など
    もっと細かいところにフォーカスしていくようになるのです。

    もちろん、人それぞれの生き方なので
    そこで生きるのもありなのかもしれません。

    ただ、一生それで終わっちゃうよ。って
    もったいなよ。ってわたしは感じます。

    森を見るようになる人は
    そのさきの山を見るようになり
    さらに、それ先を超えた海を見るようになり

    どんどんと世界が広がっていくのですから。

    そっちの方が面白そうじゃないですか!

    日々の自分が見ている範囲で
    5年後、10年後のゴールが変わってくるのだと思います。


    では!

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