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東郷茂徳 和平派か開戦派か

今回は大東亜戦争開戦時と終戦時に外務大臣を務めた東郷茂徳を解説する。

目次
1.概要
2.開戦派か和平派か


1.概要
東郷は1888年、鹿児島で生まれた。1912年に外務省に入省。駐ソ大使や外務大臣を歴任。戦後A級戦犯に指定され、禁固20年の判決を受ける。1950年、獄死。

2.開戦派か和平派か
東郷茂徳は開戦当時、総理大臣だった東條英機、海軍大臣だった嶋田繁太郎のつぎに逮捕されている。それはアメリカにとって重要な戦争犯罪人であることを意味していた。東郷は戦争に反対していたか、これが東郷に関する重要な争点である。東郷茂徳は東条内閣の協調派に対する妥協点でもあり、東郷はアメリカとの協調に尽力したのだが、最後は戦争に賛成した。これがアメリカが重要犯罪人とみる所以であった。当時は内閣の一人でも反対すると内閣不一致で総辞職となる仕組みであった。だがそれを東郷はしなかった。それは何故か。私はこう考える。ここで総辞職したとしても総理大臣候補がおらずまた東條の続投となる可能性もあった。そうなるよりかは協調派である東郷が残りアメリカとの和平を模索しようとしていたのではないだろうか。


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