接心の時にくる人

七日間坐禅に徹する特別な修行である、接心(せっしん)の時だけ、やってくる修行者たちも居た。

その人は足音を立てず、扉の音も立てず、禅堂では私の隣で息づかいすら立てずに静かに坐った。

歩く際は、教え通り、三畳分先の地面を見つめ、胸の前で右手をかるく握り、その上に左手のひらをそっとのせて歩く。小柄なからだもあいまって、まるで数ミリ浮いているのではないかと思えるあしどり。


私も同じくつねに斜め下先を見ていたから、その人のことをまじまじ見ることはなかったのだけれど、初の接心が終わって、やっとその人の後ろ姿をしっかりと見た。


白髪の多くまじる髪を首の後ろで一つに結ばれていて、

うすうす感じてはいたけれど、お年をめされた方だった。

だが、同時に少しおどろく自分もいて、

それは、その人の放つ、少女のような透明感と若々しさからだった。

接心中、私の前を歩かれる、その足元を見ながら、

絡子(らくす・仏弟子が首にかける衣服)を脱着する仕草を横目に感じながら、

ずっとなんだか不思議な空気を感じていて、

はっきり見ないことで、その人の魂の姿が現れているのではないか、と思ったりした。

わたしが今まで知り得なかったやさしさも

その人から感じた。

修行を極めていくと、こんな人になれるのだろうか。

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