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定性分野のマーケターの意識のひくい文章というかグレーゾーンの人間だなこりゃ

noteになにかを書くのが久々だ。名前をフルネームから変えただけで少し、書きやすくなったような気もする。

創作するうえで、なんとなく人柄も正しておかないといけないような気になって何も書けなかった。(まあ、だったら別アカウントをつくればいいという話なんだけど、愛着もあってまたこうして書いている)

だれかが見ているとも思えない。ただかきたいだけという欲求をおさえられなかった。

noteに書く以上、分別のあるふりをしなければとなぜか思い込んでいて、「誰かのためになる」ような文体を考えるあまりなにもかけなくて。

生活の話なのだから散文でいいとゆーに。


そんなこともうだうだと考えながら、ふと気づいたことがあるのだけど。

私は数学的なものがとても苦手だ。そして、数を数えるのも苦手だ。大学の時ブックオフと服屋でバイトしたが、どちらも在庫チェックは毎回ズレた。

それなのに、今の仕事は(一日固定時間があるという意味での主な仕事は)マーケティングリサーチである。なんでこんなことになっているのかという不思議さもあるが、グラフを並べることが仕事ではない。

主に人間観察的なことをしている。こうやって書くと、「趣味は人間観察です」っていう黒歴史的な大学生みたいになってしまうんだけど。そうなのだ。

そういうことなので、数字が苦手なのにマーケティングの会社に転職して2年、まだ続けられている。(量的なものもの見ることもあるけれど、無理すぎて上司に相談した。)

最初はExcelをほとんど触ったことがないありさまだった。前職はillustratorしか使わなかったので、表をイラレで描いていたといったら苦笑された。今にして思えばまあそうだろうよ。なんで?

転職後にMACとさよならしてからは、Excelの素朴な画面と向き合うことになり

「なんて美しくない画面なんだ」とイラレが懐かしくなったのも昔。

Excelの画面の醜さはなんなんだ、なんでもっと美しくぬるっとつくれないんだ、文字がチカチカしてるの今2020年過ぎてるんだぞと怒りを抱えながら働いていた。

こんな思考なもんだから、数学的な分野で学習検査を受けたら確実にこの分野には入れないであろうなあ・・・でもなんとか就業している。

いまはもう少しダサいExcelとも友達というかクラスメイトくらいにはなれた。計算をかわりにしてくれるいいやつだ。

話は脱線しまくり、戻す。なぜ続けてこれたのだろう?と思うと、

ある程度自分の世界にひたれるから?いや違うな。普段味わわない人間の生身が自分でも理解できるからだ。

生身の人間を相手にリサーチや調査をすると、レスポンスをしっかりしなければいけない。そして同意をしていなくても、感情的な相手に同調をしなければいけない。なにも感じなくても、どういう意味でその言葉遣いをしているかを瞬時に判断できなくても。

(耳からはいってくるからなのか?聞き取って意味を理解するのに時間がかかるなあとふと気づく)

人間が打ち込んだ文章は感情移入ができる。ちゃんと、言葉がビジュアルになっている。

こんな感情が隠されているのかもしれない、という予測が立てられる。

人の考えてることはわからない、今悲しんでいるのか・こらえているのか。話しながらから引き出すことは難しいのに、文章にして晒されると簡単に感情が読める。

その感覚を日常で味わうことがないから続けているのかもしれない。

日常の会話でも、空中に文字がタイプされればいいのに。

投げ銭はありがたく美大やり直しのための画材購入につかわせていただきたます。