荒川 以東

あらかわ あずま

荒川 以東

あらかわ あずま

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  • 田園

    随想的掌編小説///田圃のある心象風景

  • フラクタル

    随想的掌編小説///アスタリスクは時相の変転を司る

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掲題

熱気が揺らめいている くりかえされることの、営みらしさ 近よりがたく、また抗いがたい明日への芽生え ひたいに滲む汗をてのひらで拭うたび 幾度も過ぎた八月を思い出す わたしたちは今、再びの夏にいる

    • 収まるべきところに収まったかのように

      昼さがり、ラグジュアリーな路面店が軒を並べる、世界の中心地みたいな風情の路地で、足をくじいて盛大に転んだ。 そのあと、ブランチなどと洒落こんで呼ぶのさえも憚られる優美なカフェレストランで昼食を馳走になった。満席を埋める人々はみな美しく成型されており、おそらく東京カレンダーから抜け出してきて、また誌面の中に帰るのだと思う。 普段は進んで自己開示する類ではないあの人も、今日は収まるべきところに収まったかのように珍しく饒舌だった。一見するとわからないけれど、ほんとうはこういうと

      • 遅ればせながら『PERFECT DAYS』

        又吉さんのYouTubeに触発されて、遅ればせながら『PERFECT DAYS』を観てきた。 この映画における“PERFECT DAYS” という言葉の意味には、カセットテープみたいにA面とB面とがあったように思う。 【A面;完成されたルーチンを寸分たがわずなぞる “PERFECT DAYS”】 主人公であるヒラヤマさんの日々は、「完璧な一日」のくりかえしでできている。さながらオートリバースのよう。 ゆえに昨日と今日の差分が、まちがってRECボタンおしちゃったときなみ

        • ゴーストオブツシマに漂う、欧米感の正体

          ゴーストオブツシマ、最高ですね。 日本が舞台なのにもかかわらず、そこはかとなく漂う欧米感。その不思議の国らしさがたまりません。 これは、この違和感は、いったいどこからくるんだろうと、考え始めたら夜も眠れない。どうも、日本語音声と合わない口の動き(愛らしいよね)の所為ばかりではない。 考えぬいて私は、ひとつの結論にいたりました。 それは、色味。 全体的に映像の青味が強く爽やかでしょう。爽やかすぎて、湿度を感じないんです。侘び・錆び・褪せ・枯れを積極的に排したかのように艶や

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        • 田園
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        記事

          より不確かさの少ない

          あなたは、どう生きますか? あるいは あなたは、どう死にますか? 当人の意志が自己の命を脅かすおそれのあるとき、且つ意志の遂行が当人以外の関係者に委ねられているとき、高く堅牢な壁のごとき《尊厳》が関係者の眼前に立ちはだかります。 「尊厳は、守られて然るべきものである」という言説が命題となりコモンセンスとなることはあっても、「尊厳は、意志を守ることと命を守ることのどちらに根ざしているのか」という問いには、誰も正確には答えられないでしょう。 わかりようがないのなら、わかって

          より不確かさの少ない

          僕らは道具に使われている 〈後編〉

          山田監督の1970年作に「家族」という映画がある。50年前。インターネットはおろかパーソナル・コンピューターすら出まわる以前の話。高度成長期の果ての果て、長崎県伊王島に住む一家が、炭鉱閉山に伴う失業を目前にして、新たな生活拠点を求め日本列島を縦断する。一家の道のりは、「家族」というタイトルに漂うほの温かい結びつきや“アットホーム”な気軽さからは程遠い。 陸路をゆく長い移動の合間に、広島の工業団地、大阪万博、東京の雑多な下町に立ち寄るものの躓きの連続で、日毎に疲弊と苛立ちの色

          僕らは道具に使われている 〈後編〉

          僕らは道具に使われている 〈前編〉

          変えられない親切設計に馴らされることで、僕らは道具に使われている。いかに便を良くするかという創意工夫に自分の頭が介在しない。あらかじめ利便が用意されていて、頭はそれに慣れるだけ。道具が体の一部になるのではなく、体のほうが道具の一部になっている。道具への順応性は、怖いくらいにオートマチックなのだ。のみこまれてしまう。 ある年の幕開けに、山田洋次監修・出演のドキュメンタリーを見た。蒸気機関車修復の模様を追ったもの。見る限り、あれほど巨大な機械であっても、創意工夫のソースは人の頭

          僕らは道具に使われている 〈前編〉

          フラクタル 〈8〉

          命を存えることや他者との関わりを通じて芽生える、何千何万ともつかない自問自答の繰り返しの中で、私は「わたし」としての記憶と存在とを形成してゆく。それは期限付きの人生をかけて成される私的な一大プロジェクトであり、極めてとりとめのない、戯曲そのものなのであろう。 こうして人生を舞台になぞらえるとき、壇上は自問自答の数だけ拡がりを増す。あるいは数多の人物を巻きこみながら膨張する。そこでの「わたし」は、相対の産物として“ちっぽけ”な存在へと極小化する。点描画に置く一筆のように、自ら

          フラクタル 〈8〉

          フラクタル 〈7〉

          嬉々として迷路に彷徨い遊ぶ子供たちが、はぐれた友人に声をかけ互いに居場所を確認しあっている。そうして行き会って、おおいたいたと更に嬉々として彷徨い出る。あれは人間の根源的な姿であり、初歩的な理性の顕れだ。 直情の選択肢はひとつだけれど、理性の選択肢はいくつもある。いくつもあるうちからひとつを選んだところで、その先にはまたいくつもの選択肢が待ちかまえている。その繰り返し。理性の道は迷路だ。ゆえに別個の道から同じゴールを目指すときには、あの子らのようにあなたは独りじゃないと伝え

          フラクタル 〈7〉

          フラクタル 〈6〉

          特別なこととは至極、個人的なもの。他者と共有するのは計測可能な時間にすぎず、それすらも幻想なのではないかと訝しく思われるほどに、個人的な体験のなかで「特別」は織り成される。 秒針がすすむごとに、ひと織り、ふた織り… ときおり絡む誰かの糸は、またねと言って別れしなに引き抜かれ、あとに残る「特別」はだいたいいつも穴ぽこだらけなのだ。個人的なものであるがゆえに不完全にならざるをえない、そうした「特別」にひとりくるまるとき私は、思う。 生きるも死ぬもあなたの自由だと、言いきる無関

          フラクタル 〈6〉

          フラクタル〈5〉

          体が欲するだけの眠りを貪ったのだろう、尿意に応える形で起き上がる。窓の外には夜闇がおり、隣の嗚咽の主も日常に還っていったようだ。 明かりの灯った部屋に時刻を求めると19時を回っており、診療時間もとうに終わっていた。安静室を出て手洗に向かう道すがら、迎えが来るまでいてもいいかと恐る恐る看護師に尋ねた。「いいわよいいわよ、大丈夫よ」と言う彼女の声に、今日初めて安堵を覚えた。 いいわよいいわよ、大丈夫よ──反芻しながら用を足し、見るとはなしに膝に下ろしたショーツに視線を落とすと

          フラクタル〈5〉

          フラクタル〈4〉

          それから二週間後、私は手術台の上にいた。 麻酔に意識が没すると同時に私は道を挟んだ隣の百貨店になっていた。階段に、鉄骨に、壁に、エスカレーターの手すりに。見知らぬ客の顔さえ見えた。分子になった私は、血脈のように百貨店のなかを駆け抜けた。遠くのほうで感じる下腹部の痛みだけが、私を現実に固く結びつけていた。 痛みが最高潮に達すると、磁石に引き寄せられる砂鉄のように、ばらばらになった意識が一カ所に集合し始め、間もなく処置が終わった。そのあと何人ものスタッフに取り囲まれ、ベッドご

          フラクタル〈4〉

          フラクタル〈3〉

          今朝がた詰め替えた食器洗い洗剤の、『ピーチの香り』がいやにどぎつい。泡にまみれた指の桃くささを、味わい尽くすように延々と嗅いでしまう。もぎたてをその場で乱暴に貪ったかのような錯覚におちいる。 なりたい自分になること自体は、さほど難しくない。今ならそう思う。難しいのは、安寧に裏打ちされた怠惰を洗い落とすことだ。怠惰とは、全身に施された刺青あるいは指に残る洗剤の匂い。桃の香り。日曜日の朝に何とも相応しい匂いではないか。 そう、どれだけ背伸びをしても、我が儘にはなりきれない。ま

          フラクタル〈3〉

          フラクタル 〈2〉

          精神と肉体との自己複製へのあくなき欲求を断ちきるために、かつての私は考え続けていた。考え抜いては彷徨し、あるいは昏々と眠る。そうすることで、膨らみゆく自己から逃げのびようとしていた。 出口のない自問自答を繰り返し、バターと化したあたりで何につけても「誰かのせい」というのはありえなくなる。「自業自得」が色濃くなる。ゆえに苦々しい。ならば変わるか逃げるかするより他ないだろうと。そうして日々推力を得ては、寝床を抜け、家を出た。変わったのか、はたまた逃げ出したのか、私自身わからぬま

          フラクタル 〈2〉

          フラクタル 〈1〉

          陽が刺すように熱ければ、薄着になる。服を濡らす雨に耐えきれなければ、傘をさす。北風が体温を奪うのなら、コートに包まる。これだけの知恵があってもなお。 じくじくと膿み続ける傷を手当てする間もなく駆け出さずにはおれない、そういった類の前向きさも一種の野性なのかもしれない。ゆえに苦しまない人などなくて、付き纏う期待の多寡が道程を左右するに過ぎない。多すぎる期待も少なすぎる期待も、その人の道を一層険しくする。 過去は現在に影響を及ぼし続ける一方で、人は現状に規定された鋳型をもとに

          フラクタル 〈1〉

          きのう見た映画によれば

          どんぶりは、鉢がわりにも使えるようなものが重宝する。かるく15年は愛用していたどんぶりを、できたてほやほやの惣菜もろとも落として割ってしまった。底の広い形状も、色味も、これ以上ないくらい完璧なやつを。ああ、諸行無常。 惣菜は拾いあつめて洗って、調理しなおして食べた。終わりかけた世界の再構築よろしく、数日かけて食べきった。最後の最後の一口に、どんぶりの小さな破片が混ざっていて、奥歯がザリッと鳴った。情けなかったけれど、そのまま飲みこんで胃の腑におさめた。 きのう見た映画によ

          きのう見た映画によれば