嘘を吐くのは、あなたのせいじゃない
私は怒られる事が嫌いだ。
昔は「怒られる」にプラスして「叩かれる」という特典が付いてくるのが当たり前だった。
新しく、子供の虐待が法で裁かれるという法案が出来た訳だが、「体罰はだめ」「怒鳴るのもダメ」とざっくりだがニュースを観た時にこれは素晴らしいと思った。
怒られる、叱られるというのは子供にとってストレスだ。
悪いことをしたら怒られるのは当然だと思うが、少し違う。
「何故それをやってはいけないのか」を子供が知ることである。
とは言え、私は叱らない育児をやってきたわけではない。
かなり叱ってきたが、今思えばそれは大人のエゴだったように思う。
子供時代はとにかく行儀が悪いだけで叩かれた。
祖父は厳しい人で、常に物差しを持っており、行儀が悪い孫をそれで叩くのが当たり前で、叱られないように必死だったあの頃はとにかく「いい子でいなきゃ」と思うばかりだった。
母も厳しく、それにストレスから私に当たる事が多かった。
それから、叩かれるのも叱られるのも嫌でどうにか回避するために私は嘘を吐くようになる。
そうして回避して、気付いたら何だかんだで嘘つきな大人になっていった。
私は高校時代、小さな旅館でアルバイトをしていた数カ月があって、当時その旅館の大将に嫌われていたが、中々辞めたいと言い出せずにいて、アルバイトに行くのが苦痛で仕方がなく、良くお腹が痛くなったものだ。
しかしある日、決められた時間に温泉の浴槽に蓋をするのだが、時間通りに蓋をした後にお客さんが温泉に入りたいと申し出があったので、私が時間だったので蓋をした事、私だけの決断ではなく、他にもう一人一緒に作業している方がいた事を伝えた所、それを踏まえて何故か私だけが殴られた。
これにはびっくりして、もう辞めようと決断。
お客さんもびっくりしていて、「わたしのせいでごめんなさい」と謝られたが何も悪くない。
ただただ大将が気に入らないから私を殴ったのだった。それだけだ。
母は旅館に電話してキレまくっていた。
言い訳等、自己都合なのだ。
後に謝られたが、私は大将が憎くて溜まらなかった。
その後のバイト先は穏やかな夫婦の元で楽しく過ごせたが、叱られる度に泣くようになってしまった。
殴られた話をしたら、この夫婦は憤慨してくれた。
ただただツイてなかっただけの話だ。
正直に伝えても嘘を吐いても、何故か怒る人がいる。
怒りに任せて手を上げる人がいる。
この年齢になって叱られても怖くなくなったところもある。
鈍感になった。だが、傷つきたくなくて嘘を吐く。
私は子供なのだと心底悲しくなったし、自分の愚かさに打ちのめされる事ばかりで悩んでいた時に、ある方にそれを相談する機会がフッと沸いた。
「嘘は吐かせる大人が悪いのであって、元村ちゃんが悪いわけじゃないのよ」
この言葉に、私は雷で撃たれたような、感電したような衝撃に眩暈がした。
逃げたい嘘は、それをせざるを得ない状況がある。
それは悪いことじゃない。
理不尽に怒られた経験がそうさせているのだと言われ、そして妙に納得した。
そしてまた、子供たちの嘘を考えた。
それは回避できた事で、原因は私であり、子供たちはその上から抑えられるような怒りや理不尽さを回避するために嘘を吐く。
子供時代に私が遭った、そんな怒りや個人の常識に嘘を吐いて回避してはホッと胸を撫でおろした記憶を思い返して、考え方は180度変わっていった。
「自分勝手に生きたら良いの。せっかく一度だけの人生なんだもの」
心がスーッと楽になった気がして、少し前を向けた気がする。
理不尽な環境に居て、嘘を吐く罪悪感がある人に伝えたい。
嘘は吐いていい。
自分を守っていい。
世界は自分中心に回っているんだから。
当たり前じゃないか。だって自分の人生なんだから。
大切なのは「如何に上手に生きるか、楽しいか」である。
どんな人も嘘を吐く世界なら、自分が嘘吐いたって良いじゃない。
人生長いんだから。
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