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映画感想 落下の解剖学

久しぶりに映画を観に行きました。

第76回カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映され、パルム・ドールとパルム・ドッグ賞を受賞した作品です。
観る前は
「被害者の死の真相を突き止めようとする法廷ミステリー」
だと思っていました。

が、さにあらず。

観終わった時のなんとも重苦しい感情。
裁判の結果はでますが、事実はどうだったのかを知ることはできません。
それは、観客にゆだねられると共に、裁判というものはこういうものだということを思い知らされます。
物的証拠、証拠を分析する専門家の意見、証人の記憶などを総合して被疑者の罪を決める裁判というものの「不確実性」を目の前につきつけられた気分です。

裁判で無罪になったから罪はなかった。
裁判で有罪だから罪があった。
人はそれを信じて法治国家を生きているわけですけれど
「事実」に基づいていない「判決」が多数存在するのでしょうね。
「事実」は当事者だけが知ることで、当事者が口をつぐめばわからない。
死人に口なしであることは、言わずもがな。
弁護士は自分の依頼人が勝つ為に効果的な方法を考え、印象操作もするわけです。仕事の成果を上げるの為に「事実」はさほど重要ではないと考える弁護士もいるのでしょう。

この判決は「事実」に基づいていたのか?
この母と息子は今後どんなことを胸に秘めながら親子として生きて行くのか?そんなモヤモヤした感情を持て余しながら、観終わった映画でした。

しんどさはありますけれど、なかなか面白い映画でもありました。

以下、ネタバレあります。ご注意ください。結末を知りたくない方は読まないで下さい。

雪山の山荘でミステリー作家のサンドラは女子学生のインタビューを受けています。が、インタビューには答えず女子学生について聞くばかりのサンドラ。なぜ自分のことを聞かれるのかと問う女子学生に、サンドラは小説の材料にしたいと言います。事実を小説の中に書くこともあるからと。

その時、階上から大音量の音楽が聞こえてきて、インタビューは続行できなくなります。

この音楽の大きさは不快で観客もイライラします。
この映画、音楽で観客をイライラさせて感情を揺さぶります。
別のシーンでもサンドラの息子のダニエルがピアノの稽古をするのですが、当然子供の稽古ですから上手くないのです。
つっかかり、つっかかり弾くアルベニスのスペイン組曲の激しい音にイラつかされると、物語の不穏さが一層強く感じられます。

インタビューは中断され女子学生は帰り、サンドラの息子のダニエルが犬のスヌープをつれて散歩から戻ります。
ダニエルは事故にあったせいで視力がほとんどありません。が、父親が雪の上で倒れて動かないことに気づき、サンドラを呼びます。

サンドラの夫サミュエルは、三階から転落して死んでいました。

サミュエルの死は、事故か自殺か殺人か?

警察はサミュエルが転落した時に家にいたサンドラに殺人の疑いをかけ、サンドラは旧知の弁護士ヴァンサンに救いを求めます。

サミュエルの死因は頭部の傷で、それは転落前についた傷だということがわかります。
転落時に倉庫の屋根にぶつかってできた傷だと主張するサンドラと、
倉庫の屋根にDNAがないことと壁面の血痕の形からそれはありえないと主張する警察。

サンドラは、無実を勝ちとれるのでしょうか?

最初サンドラは無罪なんじゃないかと思えるのです。夫の死にショックを受け、夫のことを愛しているように見えるからです。
が、裁判が始まるとサンドラとサミュエルの間は険悪であったことが徐々にわかってきます。

ダニエルの世話をしていたのは夫のサミュエルで、サンドラは協力的ではなかった。
サミュエルは小説を書きたかったのに時間がとれなかった。
サミュエルのアイデアをサンドラが小説にしてヒット作品となった。
サミュエルとサンドラには、最近夫婦の関係がなかった。
サンドラはバイセクシャルで浮気をしていた。

回想での夫婦の喧嘩シーンを交えながら二人の関係を見ていると、本当にサンドラは無実だろうか?と思います。
夫婦の関係は破綻しているように見えます。
けれど、サンドラは、どんな夫婦にも良い時も悪い時もあって、自分たちの関係は全く険悪なものではないという意識を持っています。
自己主張の強いサンドラに身勝手さを感じます。

ヴァンサンはサミュエルが自殺でなければ、無実を勝ち取ることは難しいと考えます。
すると、サンドラはサミュエルが過去にアスピリンの多量摂取による自殺未遂をしたことを思い出します。
それは、事実なのか、サンドラの作り話なのか?

テレビでは、ミステリー作家が夫を殺した方が話が面白いと話題になります。やじ馬根性はどこの国でも同じなのですね。誰も事実を知らないのに報道された一面だけを見て自分の意見があるかのように振る舞います。

裁判では警察側の弁護士が、サンドラが過去に書いた夫殺しの作品を例に出します。現実を書くのでは?という弁護士の発言に、冒頭の現実を書くというシーンが伏線だったのようにも感じました。
とはいえ、小説の中に夫殺しの妻を登場させたから、裁判で不利になることはありません。これは、印象操作の為に持ち出された話のようです。
双方の弁護士は、自分を有利に導くために様々な印象操作をしているのです。

ドイツ人のサンドラは、フランス語は得意ではなく時折表現が上手く言葉になりません。そこで、英語での発言を希望します。そうなると相手側は英語からフランス語に翻訳された言葉を聞くことになります。
これは、この作品の大きなポイントなのかもしれません。
母国語以外の言葉を操る人々にとって「同じ意味を持つ言葉でも言語によって受け取る印象や意味が変わるのかもしれない」みたいなテーマが隠されているように感じたのですが……
悲しいかな、日本語しかわからない私にとっては、フランス語も英語も字幕で読む意味でしかなく、その点に関しては、フランス語が部分的に理解できないサンドラのもどかしさを感じることしかできませんでした。

そして、警察はサミュエルが死ぬ前日、サミュエルとサンドラが大喧嘩をしていた証拠の音声を見つけます。
サミュエルは夫婦の会話を録音して残していたのです。
激しく言い争う声と物が壊れる音など、サンドラにとっては不利な証拠だとみられますが、決定的な証拠とはなりません。

息子のダニエルは辛い立場にいます。
大好きだった父親が亡くなり、その被疑者が母親なのです。
ダニエルが母親に忖度しないよう接近を禁じられます。
サンドラはダニエルを愛しているように見えます。
ダニエルは? きっと母親のことは大切なのだとは思います。
でも、この二人の関係もよくわかりません。わかりにくいように演出されている気がしました。

ダニエルは父親が過去に自殺未遂をしていた可能性に思い当たり、愛犬のスヌープで実験をしてそれを証明します。
また、父との会話の中で、父が自殺をほのめかしていたことにも気づき、ダニエルはそれを証言します。

疑わしいが決定的な物的証拠がない不確かな裁判。
いったい、どんな判決が下されるのか。

サンドラは無罪となり、ダニエルの元へと帰っていくのですが……

「事実」はどうだったのか?
それはこの作品では語られません。
「事実」がどうであったかは、この作品では重要ではなかったのでしょう。
断片をつなぎ合わせるようにして「事実」推測することでしか、判断を下すことができない不確かさの中で人は生きている。
そんなことを思い知らされた感じがします。
どこか理不尽さを感じながら、モヤモヤとした感情を持ちながらも、でも仕方がないじゃないかと自分を納得させながら観終わりました。
これが私たちの生きている世界なのだと改めて思いました。

サンドラもダニエルも好演でしたが、なんといってもパルム・ドッグ賞を受賞したスヌープを演じていたメッシ君。
このワンちゃんの演技が凄すぎて……
犬って、目をむいて死んだふりってできるの?って驚いちゃいました。

単なる法廷ミステリーではなくて、なかなか重~い作品でした。
でも、話題の作品であることは間違いないし、色々と深読みする方にとっては何度も見返したい映画なのじゃないかしら。

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