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魔法少女の系譜、その37~『それ行け!カッチン』~


 前回に続き、『それ行け!カッチン』を取り上げます。

 前回の日記で、読者のお一人が、重要なコメントを下さいました。
 その御指摘のとおり、『カッチン』は、『アラジンと魔法のランプ』以外に、『長靴下のピッピ』からも、モチーフを取っています。ヒロインが、「元気で、風変わりな女の子」である点が、『ピッピ』の影響です。

 ここで、ヒロインを魔法少女にしなかったのは、英断だと思います。
 ヒロインと、魔法を行使する人物とを分けたことで、バリエーションに富んだ話が作れるようになりました。

 このために、『カッチン』は、厳密には、魔法少女ものとは言いがたい作品です。
 しかし、ある作品が、どのジャンルに属するかなどということは、作品の面白さの前には、瑣末な問題です。娯楽作品としては、どんなジャンルだろうと、面白ければ、ありですよね(^^)

 前回を読んでいただければ、わかるとおり、『カッチン』は、魔法少女ものに極めて近いところにある作品だとは、言えるでしょう。『魔法少女の系譜』シリーズで、取り上げる価値はあります。

 何より、『カッチン』は、二〇一五年現在では、ほとんど忘れられた作品です。
 こういう作品を紹介しておくのも、若い世代に対する務めかと思います(←ばばあ的発言(笑))

 今回は、七つの視点、改め、八つの視点で、『カッチン』を分析してみます。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?
[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

の、八つですね。
 ただし、前記のように、『カッチン』では、ヒロインが、魔法少女ではありません。このために、変則的な分析になります。


[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 実際に魔法を使うのは、妖精のボビンです。彼は、妖精だから、魔法が使えます。この点に注目すれば、生まれつき型の魔法「青年」ということになります。

 ボビンを呼び出す英子先生に注目すれば、魔法道具型の魔(法少)女となります。


[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 妖精のボビンも、英子先生も、すでに大人です。
 ですから、この問題は、存在しません。


[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 ボビンは、壺に挿された花の色によって、服の色が変わります。これを「変身」と呼べば、呼べないこともないかも知れません。
 とはいえ、服の色が変わっても、ボビンの使う魔法が、変わるわけではありません。色が変わるだけで、服のデザインは、同じです。

 ボビンは、変身魔法を使って、動物などに変身することができます。
 魔法「青年」としての姿は、前記のとおり、いつも同じです。ちょっと色が変わるだけです。いわば、後の魔法少女の変身後の姿を、常にしている状態です。

 英子先生は、まったく普通の人ですので、変身することはありません。

 『カッチン』は、変身の要素が少ない作品ですね。


[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 ボビンに注目すれば、三つの願いをかなえるための「三つのボタン」が、魔法道具ですね。
 魔法少女のように、ペンダントや指輪などの、アクセサリー系ではありません。このあたりは、魔法「青年」だからでしょう。

 ボビンは、ボタンを使わなくても、魔法を使うことができます。完全に、魔法道具に依存しているわけではありません。
 ボビンは、魔法道具型というよりは、やはり、生まれつき型の魔法青年ですね。

 英子先生に注目すれば、ボビン、または、ボビンが住む壺が、魔法道具となります。伝統的な口承文芸の『アラジンと魔法のランプ』から、直接、モチーフを取った部分ですね。


[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 英子先生の視点で見れば、ボビンがマスコットに当たるでしょう。
 けれども、実際に魔法を行使するのは、ボビンですから、マスコットとしては、ずいぶん強力ですね。強力すぎます。
 ボビンは、マスコットというよりは、「主役級の一人」でしょう。


[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 『カッチン』には、呪文の類は、登場しません。

 ボビンの召喚には、呪文を唱える代わりに、「壺に花を挿す」ことが行なわれます。視覚的にわかりやすいので、呪文を使う必要がなかったと思われます。

2015年5月17日追記:
 すみません。『カッチン』には、呪文が登場したのを忘れていましたm(--)m

 普通、ボビンを呼び出すには、壺に花を挿すのですが、それ以外に、「ボビンチョ、フッ」という呪文を唱えても、呼び出すことができます。

 つまり、『カッチン』は、「壺に花を挿す」という視覚的効果と、呪文という聴覚的効果と、両方を並立させた作品でした。


[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 ボビンのことを知っているのは、作中で、英子先生だけです。ヒロインのカッチンすら、ボビンのことを知りません。
 このために、物語は、たびたび、ヒロインのカッチン視点ではなく、英子先生視点で描かれます。でなければ、せっかくのボビンの活躍が、見られませんからね。

 秘密のコントロールという点で見ると、『カッチン』は、面白い試みをしていますね(^^)


[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

 実際に魔法を使えるのは、魔法青年のボビン一人だけです。

 ボビンを呼び出す英子先生を、魔法道具型の魔(法少)女とすると、魔法を使える人物が、二人、いることになります。
 でも、この数え方は、ちょっと反則ですね(笑) 素直に、一人と数えておきましょう。


 以上のように分析してみると、魔法に関しては、ヒロインのカッチンが、蚊帳の外に置かれているのが、わかります。
 ロバに乗ったまま空を飛んだり、幻想的な異世界へ飛ばされたりしているのに、魔法の正体に気づかないカッチン、よく考えると、すごいですね(笑)
 まあ、リアルに小学三年生くらいの思考を考えれば、そんなものかも知れません。

 『カッチン』の放映当時には、CGなど存在しません。
 ですから、魔法の場面は、ミニチュア撮影や、セルアニメとの合成でした。素朴な「昭和の味」の番組だったと思います。

 『カッチン』については、今回で終わりにします。
 次回は、別の作品を取り上げる予定です。



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