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魔法少女の系譜、その33~『魔女っ子メグちゃん』~


 今回も、前回に続き、『魔女っ子メグちゃん』を取り上げます。

 『メグちゃん』は、初めて公式に「魔女っ子」という言葉を使った作品でした。題名に、はっきりと「魔女」が付いています。
 日本産のアニメとしては、これは、画期的なことでした。

 実写のテレビドラマなら、題名に「魔女」が付いた作品がありました。『魔女はホットなお年頃』や、『好き!すき!!魔女先生』がそうです。
 けれども、アニメでは、なかったのですね。『魔法使いサリー』、『ひみつのアッコちゃん』、『魔法のマコちゃん』、『さるとびエッちゃん』、『ふしぎなメルモ』、『魔法使いチャッピー』、『ミラクル少女リミットちゃん』……ね? みんな、「魔女」とは付いていませんよね。

 実写の作品で、「魔女」が付いたのは、米国製のテレビドラマ『奥さまは魔女』があったからでしょう。この作品が大ヒットしたので、実写ドラマの題名に「魔女」を付けることは、あまり抵抗がなかったのだろうと思います。

 昭和四十年代の日本では、アニメと言えば、子供のものです。「大きなお友達」という概念は、ありませんでした。
 子供向けの作品に、「魔女」と謳【うた】うことには、抵抗があったのだと思います。日本にも、グリム童話などの影響で、「悪い魔女」のイメージがあったからでしょう。

 これは、私の推測ですが。
 『キューティーハニー』の成功が、状況を変えたのだと思います。子供向けのアニメで、エロも暴力も、あそこまでやっていい、やってもウケるんだ、とわかったことが、大きいのではないでしょうか。
 「タブーだと思っていたことが、タブーではなかった。むしろ、それがウケる」とわかれば、「タブーに挑戦しよう」という気概も出ようというものです。

 ただし、『キューティーハニー』は、そのエロさや暴力性で、親世代などからの抵抗が強い作品でした。
 おそらく、このために、エロさや暴力性を突き詰める方向には、進化しませんでした。昭和四十年代の時点では。

 エロさや暴力性に走らない方向で、タブーを破る「魔法少女」―昭和四十年代には、まだ、魔法少女という言葉は、ありませんが―作品とは、どんなものでしょうか?
 それを考えて作られたのが、『魔女っ子メグちゃん』だと思います。

 『メグちゃん』には、実際のヨーロッパの魔女伝承が、少し、取り入れられています。
 メグとノンとの故郷である「魔女の国」は、人間界に対して、必ずしも、好意的ではありません。
 これは、それまでの「魔法少女」作品と比べて、決定的に、違う点です。

 それまでの魔法少女ものでは、ヒロインの故郷である「魔法の国」は、基本的に、夢にあふれた、楽しい国でした。そこの住人は、人間に対しては、無条件に好意的です。
 人間に対していたずらを仕掛けることはあっても、根っから悪意を持った「魔法の国」の住人は、登場しないと言っていいでしょう。

 『メグちゃん』の「魔女の国」は、人間界に対して、わりと冷たいです。積極的に悪いことを仕掛けはしませんが、積極的に助けることもしません。冷静な距離感を保っています。
 「魔女の国」にとって、人間界は、「魔法の修行などのために、利用するところ」です。あくまで、自分たちの都合優先なんですね。

 ヒロインのメグや、その養母となるマミは、人間に対して、とても好意的です。
 しかし、それは、「魔女の国」の住人としては、例外的な態度です。ノンやキーランやチョーサンのように、魔法を使えない人間を見下しているほうが、普通の態度です。
 「魔女の国」には、根っから悪いやつもいて、積極的に人間に害を加える描写もあります。そこまでするのは、少数派ですが。

 「魔女の国」の態度を象徴するのが、『メグちゃん』の最終回です。
 メグとノンとは、魔女の国の女王の座をかけて対決します。そして、現女王の裁決が下ります。
 裁決は、二人とも不合格!というものでした。
 その理由は、メグは、人間に親しみ過ぎたからです。ノンのほうは、人間と親しまなさ過ぎたからです。
 「魔女の国」の者は、人間と、適度な距離を保たなければならないことが、わかりますね。

 魔女といっても、ヨーロッパの伝承を直輸入して、積極的に悪いことをする描写は、ありません。
 さすがに、子供向けのアニメのヒロインで、それはないでしょう。
 「魔女の国」を、魔法に満ちた夢の国ではなく、「人間界とは別の種類の人間が住むところ、善人もいれば、悪人もいる」と定義した点が、画期的ですね。
 絶妙なバランスで、「子供向け」と、「タブー破り」とを、両立しています(^^)

 『メグちゃん』の画期的な点は、他にも、あります。
 「魔法少女の将来像が、はっきり示されていること」です。

 メグとノンとは、そもそも、人間界に来た理由が、「未来の女王になるための魔法修行」です。「魔女の国の女王」という目的が、はっきりしていますね。

 それまでの魔法少女には、このように、目的が明確なヒロインはいませんでした。『キューティーハニー』と、後期の(変身を始めた)『好き!すき!!魔女先生』とを除いて。
 『ハニー』と、後期の『魔女先生』とには、敵役がいましたから、「敵を倒す」という目的がありました。
 つくづく、『ハニー』と『魔女先生』との斬新さが、光りますね。

 メグとノンとは、女王にならなかったとしても、他の道も、示されています。
 マミやキーランのように、人間界に残る道です。

 キーランは不幸そうですが(^^;、マミは、幸福そうです。先輩魔女のロールモデルとして、メグやノンが憧れたとしても、不自然ではありません。
 実際に、メグのほうは、良い伴侶を得たマミを、ちょっぴり、うらやむ場面もあります。

 それまでの魔法少女で、「成長した姿」が明確に描かれたのは、『ふしぎなメルモ』だけでした。
 メルモちゃんは、大人になった姿が、最終回に登場します。彼女は、ミラクルキャンディーの能力を封印して、普通の人間の女性として成長し、結婚し、子供を産みます。

 『メグちゃん』では、メグもノンも、成長した姿は、登場しません。
 ですが、「魔女の国の女王」と、「人間界で、人間として生きる女性」と、具体的なロールモデルが、キャラクターとして登場します。メグやノンが、将来、こうなるだろうと、容易に想像できる形ですね。

 「女王にならず、けれども、人間界にも残らない(魔女の国へ帰る)」道も、あることになっています。
 この道は、キャラクターになって、はっきり示されてはいません。けれども、可能性としては、示されています。

 『メグちゃん』では、「魔法少女の将来像が、複数、示されること」も、画期的でした。
 うがった見方をすれば、「魔女の国の女王」と「人間の主婦」との選択肢は、独身のキャリアウーマンと、専業主婦との選択肢にも見えます。女王のほうは、伴侶がありそうな描写は、されていないのに対して、マミとキーランとは、専業主婦だからです。
 昭和四十年代には、まだ、キャリアウーマンという言葉はなかったのではないかと思います。独身で働き続ける女性は、とても珍しい存在でした。

 「魔女の国」という仮想の存在に託して、『メグちゃん』は、少女たちに、「将来の選択肢は、いろいろあるんだよ」と示していたのかも知れません。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『魔女っ子メグちゃん』を取り上げます。



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