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魔法少女の系譜、その34~『魔女っ子メグちゃん』と口承文芸~


 前回と前々回は、『魔女っ子メグちゃん』を取り上げました。今回も、『メグちゃん』を取り上げます。『メグちゃん』と、伝統的な口承文芸とを、比較してみます。

 前回までのシリーズで、『メグちゃん』には、いくつもの優れた特徴があることが、おわかりいただけたでしょう。
 中で、最も際立った特徴と言えば、「複数の魔法少女が登場したこと」だろうと思います。ヒロインのメグと、そのライバルのノンと、二人の魔法少女が登場します。

 このように、「超常的な能力を、同じ程度に持つ者が、複数登場して、ライバルとして競い合う」話は、古典的な口承文芸の中には、あるのでしょうか?
 口承文芸的に言い換えれば、「英雄が並び立つ」話ですね。

 結論を先に書けば、あります。
 古代メソポタミアの伝承『ギルガメシュ叙事詩』に、その例があります。

 古代の英雄王ギルガメシュは、ある日、自分と同じくらい強い人物、エンキドゥと出会います。最初は闘いになりますが、闘ううちに互いの力を認め合い、二人は親友になります。
 二人は、協力して森の怪物フンババを倒すなど、しばらくは仲良く活躍します。
 しかし、エンキドゥは、神々の力により、冥界へ行くことになってしまいます。

 同等の力を持つ英雄は、一時的には並び立っても、ずっとそのままでいることは、できません。
 たいていは、片方が死ぬことになります。両方が死んでしまうこともあります。あるいは、遠い地に引き離されて、二度と会うことがなくなります。

 『メグちゃん』の最終回では、二人とも、魔界の女王試験に落ちてしまいます。人間界での修業やり直しを命じられます。
 これは、結論が先送りされた最終回ですね。こういう形は、伝統的な口承文芸には、存在しないか、あっても極めて少ないです。
 最終話だけを取ってみても、『メグちゃん』が、口承文芸の枠を越えた傑作であることが、わかりますね。

 ただし、『メグちゃん』でも、いずれは、メグとノンとが競い合い、どちらか片方が勝者になることが、明らかです。
 作品の形になってはいませんが、作品の世界観としては、伝統的な口承文芸の形「英雄並び立たず」を、踏襲しています。

 「英雄=超常的な力を持つ存在」を、女性にした点は、現代的ですね。魔法少女ものである以上、当然ですが。
 伝統を踏まえつつ、最終回で、わざとそれを踏み外す構造にしている点も、上手いですね(^^)

 メグとノンとが再戦したら、どちらが勝って、魔界の女王になるのでしょうか?
 普通に考えたら、メグが勝つはずですよね。主人公なのですから。

 でも、私の考えでは、ノンが勝って、魔界の女王になる気がします。
 魔力の点でも、冷静さの点でも、「魔界の女王」には、ノンがふさわしいと思うのですよね。

 メグは、自分の意志で、人間界に残るのではないでしょうか。
 自分の面倒を見てくれたマミと同じように、人間界で良い伴侶を見つけて、幸せな家庭を築くことを選びそうな気がします。
 と、これは、私の妄想でした(笑)

 『メグちゃん』は、このような妄想を許してくれる作品です。
 それは、メグやノンといった魔法少女たちに、複数の未来を約束しているからです。

 それまでの魔法少女ものでは、魔法少女の未来は、「見えない」か、見えても、単線でした。「魔法の国へ帰る」とか、「魔力を捨てて、普通の人間になる」とか、一つの未来しか、ありませんでした。
 『メグちゃん』は、「魔法少女には、いくつもの未来(可能性)がある」ことを、初めて見せてくれた魔法少女ものではないかと思います。
 これは、複数の魔法少女を登場させることで、できたことでしょう。複数の人数がいれば、「人数分だけの未来があるはず」と、視聴者には、納得してもらいやすいですからね。

 この点でも、『メグちゃん』は、画期的な魔法少女ものだったと思います。
 単純明快な口承文芸の枠には、とうてい、収まらない作品ですね。
 魔法少女ものも、だんだん発展して、『メグちゃん』まで来ると、伝統的な口承文芸からは、ずいぶん離れたものになります。

 『メグちゃん』と、口承文芸との比較は、ひとまず、ここまでにします。
 口承文芸とは関係なく、『メグちゃん』について、取り上げたいことがあります。魔法少女ものに限らず、日本のアニメ全体の特徴に関わることです。

 それは、ノンの髪の色についてです。
 ノンの髪の色は、青いのですよ。人間では、あり得ない色ですね。

 現在の日本のアニメの特徴の一つに、「人間の髪の色が、青やピンクなど、あり得ない色で描かれる」ことがあります。
 ノンは、そのはしりだと思います。

 ノンより前に、「人間には、あり得ない色」で、髪が描かれる例が、なかったわけではありません。
 例えば、『海のトリトン』です。主役のトリトンの髪の色は、緑で描かれています。

 けれども、トリトンにおいては、それは、当然でした。なぜなら、トリトンは、人間ではないからです。トリトン族という、海に棲む一族ですから。

 作品中で、トリトンが、「髪の色が緑で、変だから」という理由で、人間たちからいじめられる描写があります。人間とは違う、異類のしるしとして、髪の色が使われています。

 こういう使われ方なら、誰もが、納得できますよね。
 『海のトリトン』が放映された昭和四十七年(一九七二年)の段階では、異様な髪の色は、ストレートに、異類のしるしでした。

 二〇一五年現在では、異類ではない、普通の人間の髪の色が、青やピンクや緑に塗られていても、誰も驚きませんね。
 一九七〇年代から、二〇一〇年代に至るまでの間に、何があったのでしょうか?

 重要な結節点となるのが、『魔女っ子メグちゃん』―昭和四十九年(一九七四年)から昭和五十年(一九七五年)に放映―だと思います。
 『メグちゃん』の中で、ノンの髪の青さに触れられることは、ありません。明らかに異様な色なのに、作品中の人々は、ノンを「普通の髪の色の人」として、扱っています。

 『海のトリトン』からの流れで言えば、ノンの髪の異様な色は、ノンが異類であるしるしですね。彼女は、普通の人間ではありません。魔界から来た魔女っ子です。
 でも、それは、作品中の人々には、秘密にされています。作品の登場人物たちは、ノンを「普通の人間」だと認識しています。

 ノンの青い髪は、視聴者だけにわかる「異類のしるし」だったのではないでしょうか。
 青い髪によって、視聴者には、魔女っ子であることが明白です。しかし、作品中の人々には、それは、見えないこととされる(=普通の髪の色と同じだとされる)のです。

 ちなみに、メグの髪の色は、赤です。人間にないことはない色ですが、日本人には、珍しい色ですね。
 「青ほど異様ではなくて、でも、魔女っ子を示せる色」として、赤が選ばれたのではないでしょうか。

 「緑や青などの、異様な髪の色」は、最初は、人間ではない、異類を示すものでした。それは、作品中の人々にとっても、異類を示す、異様な色でした。
 それが、一九七〇年代半ばには、「視聴者だけにわかる、異類を示すしるし」になりました。作品中の登場人物にとっては、それは、「普通の髪の色」でした。

 ここから、「異類を示すしるし」という意味が抜けたのが、二〇一五年現在の状況ですね。
 『メグちゃん』から現在までの間には、また別の、重要な結節点があったのだろうと思います。私見では、『伝説巨神イデオン』―昭和五十五年(一九八〇年)に放映―が、その結節点だった気がします。
 『イデオン』では、例えば、普通の人間であるキッチ・キッチンの髪の色が、青いです。同じく普通の人間であるフォルモッサ・シェリルの髪の色は、ピンクです。

 この問題は、深入りするときりがないので、この辺にしておきます。
 とりあえず、「アニメの髪の色問題」において、『魔女っ子メグちゃん』が重要な結節点の作品だったことを、示したかったのです。

 『魔法少女の系譜』シリーズ、今回は、ここまでとします。
 次回も、『魔女っ子メグちゃん』を取り上げる予定です。




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