人を救いたい

高二と高三の夏に起こった私の人生において
衝撃的な二つの出来事を今更noteにしてみようと思う。

とはいっても過去は過去だから、
鮮明だったり鮮明じゃなかったりするけれど、
もしよければ聞いて欲しい。











高二の夏。


私はその時期一瞬だけ集団塾に入っていて、21時近くに授業を終えた。
集団塾のスタイルは私にはどうも合わなくて(実際1、2ヶ月で辞めてしまった。)疲労しきっていた。

横浜の塾だったので家に帰るには1時間弱かかる。
かなり嫌な生活サイクルだったけれど、その日は当時お付き合いしていた人が塾の近くまで迎えに来てくれて、夜風に当たりながら少し喋ろうと言ってくれた。有難い。この辺はあやふやで実はあまり覚えていないけれど。もしかしたら夕飯を食べる約束だったのかも。
でもそこは正直どうでも良くて、私は一人ではなくて人と一緒にいたという事実がこの先大切になってくる。

塾のすぐ近くには歩道橋がある。横浜は都会なのでこの時間帯は社会人がヒールをかつかつ言わせながら颯爽と歩きがちだ。(お疲れ様です)
この歩道橋を歩くと時短で帰ることができたので当然のように私たちも歩道橋を渡って帰ろうとした。

階段を登っている最中、不自然なことに気がついた。
しかも2つ。


①歩道橋の橋が二手に分かれているのだが、よく使われる方に誰も人がおらず、しかもなんだか意図して避けられているようだ。
わざわざ遠回りをしている人がいるぞ。なんだなんだ。スーツ着てるのに。疲れてるでしょ。
通れよ簡単な方の橋を。

②避けられている方の歩道橋に、誰かが腰掛けている。なんだ?迷惑系YouTuberか?
やれやれ、勘弁してくれよ。危ないよ。


歩道橋の一番上まで来ると、
その理由が明らかになった。
若い女の人が、腰掛けている。
服はパジャマで、裸足。
手首、というか手全体が血だらけだった。
彼女は飛び降り自殺を志しているのだろうということは誰が見ても明白だった。

びっくりした。





その驚きは「その女性だけに対して」のものではなかった。だって、″彼女は飛び降り自殺を志しているのだろうということは誰が見ても明白″なのにも関わらず多くの大人たちが彼女を見ないようにして、あるいはなかったものとして、けれどしっかりと彼女の存在を認識して、避けて、普通に社会がまわっている。

仕事終わりのサラリーマン
メイクの決まったキャリアウーマン
スマホに夢中なふりをする主婦

私が覚えている中で少なくとも3人は
彼女をスルーしていた。
私たちが歩道橋の上に来るまでに
一体どれほどの人がそうしてきたのだろう。
あまりにも気持ち悪い。考えたくなかった。

私は歩道橋の上の彼女をただ見つめていた。
絶対にスルーしてやるものか。ただ方法がわからない。だから考えていた。

「どうしようか」
隣で彼が話しかけてきた。

良かった。
これで″関わらないで帰ろう″という相手だったら私は自分の見る目の無さに絶望し、往復ビンタを決めて帰っていたことだろう。

彼は続けて
「でも怖いよね、でも無視するのも違うと思う、どうしよう」
的なことを言った。よく覚えていないけど激同(激しく同意、の略。)と思ったことは覚えている。

私はその言葉で決心ができた私は女の人の目の前に一人ですたすたと歩いていった。

女の人と目が合う。認識される。
血の色が鮮明だ。果物ナイフみたいなのを持ってる。自傷行為をしていたのだろう、この橋の上で。それなのに、大人たちは無視してたのか。

「何?止める気なの?無理だから、死ぬから」
(鮮明に覚えてないけどこんな感じ、警戒されているなという感じだった)
私はものすごくナチュラルに「危ないよ」と言った。少なくとも、自殺を止めるなんて感じの言い方ではなく、緩やかに朗らかに言った。
「知ってるよ、見たらわかるでしょ」
「降りた方がいいよ」
「もうすぐ降りるよ」(車道を指差して)
「あ、そっちじゃなくて、こっちに降りた方がいいと思います。」(歩道橋を指差して)
アンジャッシュのすれ違いコントみたいな会話を繰り広げていたら彼も来てくれて一緒に彼女を止めた。あり得ないくらい動揺してて、手ががったがたに震えてた。とてつもなく勇気を出したのだろう、私を突き動かしてくれて、そして私の行動に突き動かされてくれてありがとう。私はというと、びっくりするくらいあっけらかんとしていた。理由はわからない。ただ、全校生徒の前でMCをやった時みたいな、よくわからないユーモアのスイッチが入っていて、この光景に対する人の喋り口調だとするとあまりにも不自然だったし、やたらと口が回った。

私は
「お姉さんは何でこんなことしてるの?」
と聞いてみた

「それ聞いちゃう?笑
言い切れないよ。
でも世の中終わってると思ったの、
もう死ぬしかない、早く死にたい。」

彼女は笑って、でも目の奥は笑ってなくて
まっすぐこちらを見て答えた。

なるほど。たしかに。正論かも。
歩道橋をスルーする大人たちを見れば
世の中が終わってることなんて明白だった。
このお姉さんはもしかしたら私なんかよりずっとずっと先にいるのかもしれない、と思った。

最近ずっと死について思考してる。本気で「死にたい」と言う人は本気で生きてる人だと思う。真剣に物事に取り組んで真剣に失望して真剣にどうにもならないと思って、真剣に自分のことを大嫌いになることが死にたいと言うことなんだと思う。不器用でも、真剣な人間はかっこいいし美しい。逆に本気で生きていなかったら死にたいなんて思えないよ。今の私はそう思うが、きっとまだ先がある。

私はお姉さんの答えを咀嚼するのに時間がかかって黙ってしまった。その間隣で彼が頑張って引き留めてた。そしてやっと頭が「いや、お姉さん、マジ、それなー!」の所までたどり着いた。またお姉さんに話しかけてみる。

「何歳なの?」
「19だよ」
「19!?やばいめっちゃタメ口使ってたごめんなさい」
「wwwwいやいいよ別に」
おお。普通に笑ってくれるタイプの人だ。見た目がギャルいけど優しい先輩を彷彿とさせる。




「お姉さん今から一緒にご飯行きましょう」
私の陳腐な脳みそで搾り出した言葉は、あまりにもナンパだった。






「ご飯?いや、金ないし」
「言い切れないって言ってたから、私もっと話聞きたいんです」
「それに、もう死ぬから」
「死ぬんだとしてもそんなパジャマで人生終えるの勿体無いですよ、お姉さん美人だし。」
「そんなことないよ」
「本当ですよ、めっちゃ可愛いです。だから死ぬならめちゃくちゃ着飾って最高な死に方した方がいいです。ここだと轢かれるし痛いと思います。痛いのは良くないと思います。」
「えー、でもさ、見ての通り痛いとかもうよくわかんないんだ、」
「もう死ぬんですよね?最後の晩餐ってことで食べましょうよ。最後くらいパーっとしてもいいと思うんです。私お金ないけど、サイゼリアくらいなら奢れます。」
「それは申し訳ないよ」
「私が払いたいから払うんです、お姉さんの話が聞きたいんですよ、あでもパジャマのままじゃまずいですよね、こいつの上着貸しましょうか?」
勝手に彼を巻き込んだ。申し訳ない。
「えーご飯か」
「お姉さん細いし、食べるの嫌いですか?」
「いやそんなことはないんだけど」
会話を続けるにつれてめっちゃ談笑になってきた。変なスイッチが入っていたので会話の内容を鮮明に覚えていないのだが、私が冗談とかもバンバン言った。多分15分は3人で喋ってたんじゃないかな。お姉さんはだんだん硬く結ばれた靴紐が歩いてるうちにほどけるみたいに柔らかく笑うようになってきた。生き生きと笑ってた、これから死ぬ予定なのに。

「行こうかな、ご飯。」
なんか乗り気になってくれた。ヤッター
お姉さんはそう言うとどこからか(ごめん普通に鞄持ってたのかも。記憶があやふやだ。)財布を出した。
いやお金持ってるんかーい
払う気満々だったが、こちとら金欠なので若干助かったような気持ちにもなる。





次の瞬間
「いたぞ!」
警察3人くらいが歩道橋の階段を駆け上がってきた。お姉さんの方に目をやると信じられないほど俊敏に橋から降りて(飛び降りではなく、橋側に)走って消えてしまった。
警察がばーっとそれを追いかけて行った。屈強で国の香りがする男たちだった。
私たちは唖然とした。
体感1秒であっという間に全てが消えてしまった。
お姉さんは財布を置いていった。
とりあえず財布を拾った。

パトカーがそのあとぶわーーーっと来て、救急車も来て、お姉さんが逃げたと思われる駐車場的なところにわんさか止まっていくのが見えた。

私たちはそれを歩道橋の上から見つめていた。
呆然。あと少しでドラマが始まるところだったのに。私たちは財布を駐車場の前に行って一人の警察官に「あのお姉さんのものです。」と言って渡した。警察官に「お姉さんとさっきまで話してて、話したいんですけどダメですか」と聞いてみたけれど、「それはできません。」と突っぱねられて、おしまい。
その後は普通に私が彼に
「大人はゴミカスだ」
「お金を稼げても大切なものが欠落してる」
「あんな奴らにはなりたくない、バーカバーカ」
みたいな愚痴をこぼして、普通に帰った。








お姉さんは今どこで何をしているのかもわからないし、どうなったかもわからない。もしかしたら自殺してしまったかもしれない。でも、自分でもどこから湧き出る自信かわからないけれど、警察があのお姉さんを引っ捕えるよりも、私とサイゼリアに行った方が彼女のことを笑顔にできたような気がした。それはエゴかもしれないけれど。


最近、ある後輩と先輩に薦められて
坂口恭平の「独立国家のつくりかた」
という本を読んだ。
作中、坂口恭平さんは行政に対して怒っていた。
命を軽んじてるとか、みんな思考停止しすぎ!とか
(私の語彙力じゃ説明できない本なので、ぜひみんな読んでみてほしい。タイトルが過激でびっくりしちゃうけど、政治的な本じゃない。とっても面白いし、すごい本だ。)

この話もこの本がきっかけで思い出したんだ。
衝撃的な出来事=いつでも思い出す
というわけじゃないからね。

坂口恭平さんの「みんな思考停止しすぎ!」の部分で、ぶわーーーっと来た警察を思い出した。
彼らはお姉さんのことを逃走中みたいに追いかけてた。まるで犯人みたいに、挟み討ちとかして引っ捕らえて。うーん、言葉にできないけど生理的に無理だった。
あと家に帰ってこの話を親にした時の反応も
生理的に無理だった。
お母さん曰く「警察はきっと誰かが通報したんだよ」とのこと。私たちは通報していないので、彼女の存在を認識して無かったことにしている人たちの誰かだろう。
ああもう本当に気持ち悪い。
親たちは続けて
「でも普通に考えたら普通だよ、怖いし、危害を加えられるかもしれないし、何されるかわからないんだよ。関わらないようにした方がいいんだよ。」と言った。
優しさというか親心は有り難かったが、
お姉さんが言っていた「世の中終わってる」は
めちゃくちゃその通りなんだなあ、と思った。


あのお姉さんに必要だったのは警察でも自傷行為でもなくて対話とか安らぎとかコミュニュケーションで、そんなこと誰だって立ち止まって真剣に考えたらわかるはずなんだ。だってみんな本気で死にたくなったことくらいあるはずだし。私だってある。それなのにどうしてこうなってしまうんだろう。
世の中は終わりかけている。でも、若い世代はまだ終わっていないはずだ。絶対に。まだやり直せる、全然いけるよ!!!

世の中に失望した高二の夏編、終わり。





高三の夏。



2023年7月29日土曜日
KAAT(神奈川芸術劇場)で
範宙遊泳の「バナナの花は食べられる」を観た。


私の人生で一番の演劇作品だった。
世の中には、こういう人もいるのか。
感動なんて言葉で表しちゃいけない。
魂が震えた。
この物語の作者はきっと本気で死に向き合ったのだろうというのが本能でビシビシ伝わってきた。
この観劇体験は私の中でいまだに続いていて、作中の言葉が今でもずっと脳裏から離れないし、戯曲を読み直していまだに考え直してしまうし、私の人生観と演劇観を変えてしまった。
この劇で初めて範宙遊泳と
劇作家の山本卓卓さんを知った。
世界って面白いと思った。

(演劇に関心がある人にはぜひ観てほしい。U-NEXTの会員なら本編の配信映像が観れる。会員にならなくても、戯曲なら岸田國士戯曲賞を受賞するなど芸術的にも評価が高い作品なので、おそらく大学の図書館や地域の図書館にあるはずだ。)






世の中って失望しちゃうことも多いけれど、それならこうやって失望しないように、そして失望させる人をこれ以上増やさないように伝えつづければいいんだと思った。進路とかもぼや〜っとしてたんだけど、この観劇の3日後には意思が固まってしまった。

私も、劇作家になろう。

それは、「職業としてお金を稼ぐ」ことが
目的でも目標でもない。
私が私自身のために、
そして社会のために、
何よりも現世の人間のために。










劇作という表現方法は、私には合っている気がする。
私は不器用で駄目な人間で、すごくコミュ障なんだ。
一般的に言われている「コミュ障」とは少し違う。
初対面の人間は、全然平気。
新しい人と関わるのが好きだし、仲良くなれる。
でも、親密度が上がれば上がるほど、
駄目になってしまう。
素の自分に近づけば近づくほど
人を傷つけてしまうし、デリカシーがない。
親友とか家族とか、
とにかく親しいと言える人達のことは
無自覚にこれまで何度も何度も傷つけてきたし、
その記憶は私の中にずっとあって、
駄目なりに治そうと頑張ろうとはするけど、
治せているかはわからない。
みんなきっと目を瞑ってくれているんだと思う。
ごめんなさい、ありがとう。
私は感情的で感傷的でどうしようもない。
そういう自分のことが耐え難く
嫌いで嫌いで嫌いでたまらない。
私なんて死んだ方が良いとすら思う。
家族愛・友愛・恋愛
とにかく色んな愛の形が向いてなくて、
それでも自分なりに真っ直ぐ生きたいし、
真っ直ぐ生きるための努力をしているし、
今は生きなきゃいけない理由もある。
コミュ障の私には、
ほどほどの距離がちょうどいいんだ。
劇作なら、観る人は観る人として想定されるから、
親密度なんて気にしなくても平気。
だから、今やれるだけやってみようと思う。
書きたいから書く、じゃなくて
書かなきゃいけないから書く。
自分に今できることは何で
どうしたいのかを考え続けていきたい。

希望が湧いた高三の夏と現在編、終わり。


追伸:もしこれを読んだ人の中で本気で死にたい人がいれば私に連絡して欲しい。
電話でもLINEでもTwitterのDMでもインスタのDMでも構わない。名前が知られたく無かったら、捨て垢で連絡してもらっていいし、人づてでもいい。電話番号は聞いてくれたら誰にでも教える。行政が委託した「いのちの電話」とかにかけるくらいなら、私が何倍も真剣に一緒に考えるし、考えさせて欲しい。まぁ言っちゃうと坂口恭平がやっている「いのっちの電話」のパクリ。でも18歳のノリの軽いクソガキの方が電話しやすい、って層もいると思うから、こういうことを言うのは悪くないと思うし、どんな話でもしてくれていいよ。待ってます。

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