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DDRメモリアルソング/GDAE

こんにちは、名前が読めない人こと、GDAE(げであえ)です。
今回は初原稿となりますが、自分のメイン機種であるポップンではない機種の思い出話をしようと思います。
突然ですが、皆さんはこの公募を覚えていますか?

「歌詞公募」というイベント

今から6年前の夏、DDR稼働20周年イベントの一環として、メモリアルソングに収録する歌詞が公募されていました。
2018年当時のBEMANIシリーズの公募といえば「SOUND VOLTEX FLOOR」を中心にした楽曲公募であったり、2016年のpixivコラボを筆頭にしたイラスト公募であったり…イラストや音楽の公募がとにかく目につくころでした。
(なおポップンミュージックは2003年の10作目と2016年のéclaleにて、それぞれお願い公募というものを実施しています。10作目は遊んでいないしネットにも情報ないので詳細求む)

絵は好きだけど自信がない(一応投稿したことはあります)。
曲は聴くことは好きだけど作れる気がしない(今はポン出し素材作りに使ってます)。

そんなしりごみメンタルな私でも唯一自信があることが、「言葉のリズムに乗る」ことでした。
ラップではなく、文字数合わせだとか、ダジャレだとかの程度ですが……
スマホの画面に向かい合いながら、如何に歌詞を拾ってもらえるか、じっくり考えることにしたのでした。

①140字で、誰もが頷く言葉を

コナミ側が何を思ってこの公募をしているのか。
「みんなの思い出」という文言に目が止まります。誰もが「あ、私もそうだった」と言いたくなるエピソードが欲しいのだろうと解釈した私はあまり尖っていない、遊びはじめた初期の自分自身を思い出しました。
小学生の私にしたら、収録曲というのは全て知らない曲だったこと。
でもいちばん難易度の低い曲にとりあえず手を伸ばしていたな、ということ。
しかし、この程度の言葉だと思い出が曖昧すぎて、いまいちパッとしません。それに低難易度曲ってほとんどDancemaniaから収録した曲だったような…権利面から考えても採用は難しそうですね。もう少し考えを深めることにしました。

②DDRの歌う曲=U1-ASAMiさんのアレ

歌詞が作られたら、誰が曲を作るのだろう?ということを考えていたら妄想がどんどん膨らんでいきました。
当時のサウンドに関わるスタッフといえばU1-ASAMiさんかTAGさん。歌ものはどちらも作っているけど、何かの節目に曲を作るのはU1さんかな?と推測。
私の自己紹介にもある通り、私はU1-ASAMiさんの曲が好きです。

音ゲーデビューはプレステで出ていたDDR2ndです。
MAKE A JAM!」「20,November」ばかり遊んでいました。

自己紹介記事より

DDRのバイブルがU1さんだった私は、この公募の歌詞は読みあげられるものだと勝手に思い込んでいました。ええ勝手にです。
U1さんの曲を聴きあさるうちにそうでもないと気づくのは2020年代以降になりますが、公募当時であれば2013年に「Illegal Function Call」、2014年に「ドーパミン」が登場しているので、なおさら「詞の読み方」に対する思い込みが深かったようです。
何はともあれ歌うリズムにする必要はない。素直に読み上げられるような、短い文章にしてしまおうという方針に決定。
学生時代の俳句や短歌を作る感覚で、Twitterに下書きを書いては消す日が続きました。
当初は「はじめて遊んだあの日」とか「リズムに乗ったらもう友達」みたいなことを書いていたような気がしますが、読んでもノリノリになれないですね。当然、ボツです。

③エピソードを端的にすれば勝手に想像してくれる

初めてDDRを遊んだ頃、我が家にはマットコントローラーは1枚しかありませんでした。
私には妹がおり、当然のことですがコントローラーの奪い合いをしょっちゅうしておりました。なんとも血も涙もないケンカですね(違ったらごめん)。
しかしケンカを制してマットコントローラーを手にしたところで、めちゃくちゃスコアがよくなるわけでもありません。
アーケードでもパネルを反応させるにはしっかりと踏まなければならないのに、マットのセンサーは小学生の、20キロもない軽い体ではうまく反応してくれない……。
そこで私はものすごい勢いで踏みつけることで、パネルを反応させることにしました(おすすめされない遊び方)。
すると問題が発生します。
小学生の、それも運動音痴の踏み込みでは足が滑るのです。下手したらずっこける。股裂きになって転ぶ。泣きはせずとも結構痛い。
それでもMAKE A JAM!を、20,Novemberを、BOOM BOOM DOLLERをずっと踏んで遊んでいました。

というエピソードを端的にまとめれば、誰でも通用しうる詩ができる!
結果投稿したのがこちら。

はい。
見ればわかると思いますが、恥ずかしさのあまり別個に作ったアカウントで投稿しました。
いろいろなメディアに触れるたび、別名義を作ってしまうのは元々です。たぶんコンポーザーさんの別名義曲にハマったのとは関係ありません
そして私は燃え尽きました。1作に全力を入れすぎたようです。

いつの間にか応募期間も終わり…
そして忙殺の日々のあまり投稿したことを忘れ…

えっ、採用

一ヶ月後、TwitterのDMが届きました。
なんと噂の採用通知です。
嬉しさ半分、これでいいのか半分の気持ちで返信を送り、ドキドキしながら発表の日を待つことにしました。
この時も妄想で「きっとU1曲の読み上げスタイルで来るぞグッフッフ」とか考えていました。思い込みは良くないですね。
それから約一ヶ月後、Twitterで告知ツイートが発信されました。

曲名「#OurMemories」(私たちのメモリー)!!
ジャケットはキャラクター勢揃いで、名義はDDR ALL FANS。
これは作曲者が誰なのか分からない…! というのが告知当時に思ったこと。しかし嬉しかったのが、低難易度であれば無条件解禁で遊べるようになっていたこと。これはびっくり。
気軽に遊べるようにしてくれていたのは嬉しかったですね。
本来なら当日すぐにゲームセンターに行き、この曲を速攻で遊ぶべきところなのですが…当時の私の写真を見たところ、10月24日は

烈の誕生日は10月24日。

思いきり烈をお祝いポップンだけ遊んで帰っていました。浮かれすぎだよ。
実際にプレイしたのはそれから4日後の10月28日。
身内に静岡まで連れられ「さわやか」を食べた日。その帰りに御殿場のACT御殿場店さんで遊んだようです。写真を見て思い出しました。


この画面サイズも愛おしい。

ここで遊んで初めて、「この曲のプレー中だけはコンボのボイスが入ってない」ことを知りました。
スタートボイスと歓声、以降はクリアまでアナウンスが入らない。
落ち着いてゆっくり踏みつつ、投稿した人々の思い出を聞き取りつつ、なんとかクリアする。
始まりの思い出…仲間との思い出…失敗…難しいこと…突破すること、これから先を楽しむこと。
2分間、様々な声が思い出を語る、とても素敵な曲がそこにはありました。

公募後ってどうなったの?

それからの私は、DDRを意識的に遊ぶようになった気がします。
体重と筋肉の差が気になったこと(それまでは持久力がなく、すぐバテてました。)。
ポップンとDDRのダブルお祝い曲が入ったこと。
そこでレベルを上げて遊べるようになったことに気づき、「つぎドカの4曲の難譜面を全部クリアしよう」と思い立ったこと。
そもそも、自分がちょっとでも関わった曲がゲームセンターで遊べるということ。
たったそれだけでも愛着ってわくんですね。
これからも遊ぶぞ、DDR。

で、ですね。
今回執筆中に嬉しいお知らせが飛び込んできたのでこちらにもぺたりと貼ります。

愛着わきわきゲームDDRは、25周年もポップンと一緒にお祝いをするようです! やったね!!
とても楽しみですね!!!
烈が画像にいるので何かしらのグッズを期待しております。

今回はDDRのちょっと変わった公募の思い出を整理してみました。DDR以外にも人生でちょっと思い出深い曲や企画があったりしたので、その辺もいつかお話しできたらと思います。MÚSECAとかどうでしょう?
ではでは。



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書いた人:GDAE
音楽ジャンルが雑食な家庭に育つ。BEMANIシリーズ、pop’n musicを中心に遊んでおり、光と闇のぶつかるもの、物語を感じるものが特に好き。
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次回の更新日は6月1日(土)です。お楽しみに!