見出し画像

東方アレンジ楽曲が音ゲーで遊べるようになった日/矢澤 豆太郎

皆さんこんにちは、矢澤です。

突然ですが皆さんは「東方アレンジ楽曲」というジャンルをご存知でしょうか。
恐らく月刊オトモ読者の皆さまなら大抵の方はご存知、少なくとも見覚えはあるという方がほとんどかと思います。

「東方アレンジ楽曲」とは、クリエイターZUNによる同人サークル「上海アリス幻樂団」よりリリースされている「東方Project」作品群の楽曲を元にした二次創作楽曲です。弾幕シューティングゲーム作品シリーズのBGMを元にする場合がほとんどですが、関連書籍に付録するCDや番外編アルバムCDなどに収録されている楽曲を元にする場合もあります。

さて、月刊オトモは「音ゲーの話題を中心に扱うメディア」です。東方Projectは確かに今や日本国内を問わず世界各国に多数のファンを持つ一大コンテンツではありますが、上記の通り一見すると直接音ゲーとは関係していません。では何故「月刊オトモ読者の皆さまなら大抵の方はご存知」と言えるのか。
それはもうお察しの通りですよね。この2023年令和の時代、「東方アレンジ楽曲」というカテゴリの楽曲は多数の音ゲーに収録されていて、今や音ゲー内ソーシャルミュージックのひとつの顔として機能していると言っても過言では無いからです。

現代ではインターネット発祥のトレンドが多く生まれるようになりました。商業作品や個人(同人)制作作品という垣根を超えて、あらゆる流行が生まれています。音ゲーに限らず様々な商業コンテンツが、柔軟に流行を取り入れる時代でもあります。

そんな今でこそ、元は同人作品である東方アレンジ楽曲が商業音ゲーの顔ジャンルのひとつとして当たり前に様々な機種に収録されていますが、少し時を遡れば、それは決して「当たり前」では無かったのです。

前置きが長くなってしまいましたが、今回の記事は「東方アレンジ楽曲が商業音ゲーで遊べるなんて実現しそうにない、夢みたいな話だった」時代、具体的には約13年ほど前、時は平成22年前後をオタクの音ゲーマー高校生として生きた私のちょっとした思い出話です。どうかしばしの間お付き合い下さい。

***

高校2年生、オタク。ゲームが好きで、絵を描くことが好きで、人付き合いは苦手。仲の良い友達が数人いる現状に満足していて、わざわざ新しい交友の輪を拡げに行くような社交性なんてない。
そんな私にも、気になる人……というか、仲良くなりたいなと思っている人がいた。

隣のクラスのハチ君(仮名)だ。
ちなみに仮名の由来は令和の今思い返すと見た目の系統が米津玄師に似ていたな……と思うからだ。米津玄師はマジでカッコいいので、私は来世米津玄師になりたいなと思っている。なりてえな、米津玄師に────

ハチ君とは1年生の時に同じクラスに所属していたが、お互いに社交的では無かった為それほど親しいとは言えなかった。だけど行事の準備などでたま〜にお話することがあり、どうやらハチ君もけっこうオタクで東方Projectのファンだということは知っていた。私も(のちに東方Projectの同人誌即売会で人生初めてのサークル参加をすることになる程度には)東方Projectのファンだった。東方のオタクと仲良くなりてえ……動機は本当に単純だった。
だが、同好ジャンルがあるのに何故親しくなれなかったのか。それはひとえに、私は友達を作るのが苦手だったからに他ならない。ましてやハチ君は男子生徒、曲がりなりにも思春期と呼ばれる季節の中にいる私たちだ。異性と親しくオタク話をするような胆力は到底存在しなかった。

そうして全然仲良くなれないまま、2年生ではクラスが分かれてしまった。それでも、親しい友達に東方Projectを履修している子がいなかったこともあり、私は変わらず「ハチ君と仲良くなりたいな、東方の話をしたいな……」と思っていたわけである。

当時の私にはもうひとつ大好きなゲームがあった。それは故郷の村を焼かれたゲームことポップンミュージックである。この頃は特に沼にハマりたてで毎日楽しく沼の中で溺れており、一日中ポップンミュージックのことを考え、筆箱にはまあるいカラフル9ボタンの図を書いた紙を常時入れておくなど(始めたてで9ボタンの配置に慣れていなかったので、覚える為に書いた)(当時友達から教えてもらった「9mm Parabellum Bullet」というバンドの名前も覚えられなかったので、一緒に書いて入れていた)とにかくポップンミュージックに夢中だった。同時に遊び場としてのゲームセンターのことも好きになっていた。

嗚呼、ポップンミュージックで、大好きな東方Projectの楽曲が遊べたらいいのに。
原曲が収録されるのが一番嬉しいけど、アレンジ楽曲も音ゲーで遊べたら楽しそうな曲がたくさんある。
いっそポップンじゃなくてもいい、ゲームセンターにあるアーケードの音ゲーに東方Projectの楽曲が収録されれば……ハチ君をゲームセンターに誘う口実に出来るかもしれないし……

だがこれは夢のまた夢、オタクの妄想だ。
ボーカロイドの楽曲ですらProject DIVA以外に展開すれば大ニュースという平成の時代、商業コンテンツであるアーケードの音ゲーに同人コンテンツの東方関連楽曲が収録されるなんてとても実現するとは思えなかった。

だけど、そんな時代を先陣切って切り開いたタイトルがあった。

タイトー発の音ゲー×ガンシューティングゲーム「ミュージックガンガン!」。平成21年にリリースされた本ゲームは、翌年4月のバージョンアップにて商業音ゲーとしては初めて東方アレンジ楽曲を収録。この時収録されたのは、数ある東方アレンジ楽曲の中もでひとつの時代を作ったと言っても過言ではないであろう「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」、そして「ミュージックガンガン!」オリジナルの「東方音銃夢」。こちらは「U.N.オーエンは彼女なのか」のアレンジ楽曲だ。
この「ミュージックガンガン!」というタイトルは、間違いなく商業音ゲー界にひとつの新しい風をもたらした。

「ミュージックガンガン!」はタイトーにとって初めての音楽ゲームで、その後も同メーカーは「グルーヴコースター」や「テトテ×コネクト」、「MUSIC DIVER」など、精力的に新作を発表し続けている。業界内で初めて東方アレンジ楽曲の収録に踏み切ったことからも分かるように、タイトーの音ゲーは他社とは一線を画す選曲センスが強みと言えるだろう。この辺の話はオトモ所属ライターである市村さんがリアルサウンドテックに寄せた記事で非常に分かりやすくまとめられているので、未読の方は是非チェックして欲しい。

閑話休題。

そんなこんなで、商業音ゲータイトルに遂に東方アレンジ楽曲が収録される! というニュースは、界隈を少なからず騒がせた。「ミュージックガンガン!」はまだまだ出たばかりのタイトルで知名度もさほど高くなく、その見た目やゲーム性からも「なんとなくライト層とかファミリー向けのゲームなのかな?」という印象だったことは拭えないが、それでも間違いなく音ゲーシーンに対する大きな一歩だということは皆感じていたように思う。
例に漏れず「ミュージックガンガン!」のことをよく知らなかった私も、このニュースには大いに興奮させられた。そして考えた。

「これハチ君をゲーセンに誘うきっかけに出来るやん」

なんと言っても「初めて」音ゲーに東方アレンジ楽曲が収録されるのだ。音ゲーマーではないハチ君に対してもこれは充分話題のフック足り得る。ハチ君は東方シリーズのエクストラステージを楽しく遊べるくらいにはやり込み派のゲーマーだし、多分音ゲーもすぐコツを掴めると思う。

行くしかない。今こそ「人を遊びに誘う勇気」の出しどころだ。こうして私は一度も学校外で遊んだことのないハチ君をゲームセンターに誘った。

「ミュージックガンガン! っていうゲーセンの音ゲーで東方アレンジの曲が遊べるようになるらしいから、よかったら一緒に遊びに行かない?」

(余談だが何故かこの時私は既にハチ君のメールアドレスを知っていた。それほど仲良くなかったはずだが何故連絡先を入手していたのか、今となっては全く思い出せない。人は老いるとこうして大切なものを少しずつ無くしていくので未来ある若者たちは今という瞬間を大切に生きて欲しい)

滅多にメールを送ることの無い相手に自発的にメールを送り、その返事を待つ時ほどドキドキすることはない。大人になった今でもそう思うのだから、高校生の頃の自分は相当ドキドキドキドキ、不安や後悔や期待がぐちゃぐちゃに混ざりあっていたことだろう。

ハチ君は非常に優しい人間だった。

「へー、面白そう。じゃあ次の土日のどっちかで遊びに行こうか」

こうして私はハチ君と学校外で遊ぶ約束を取りつけることに成功したのだった。しかもちゃっかり遊ぶ日を自分の誕生日に設定した。

ああ、ありがとう「ミュージックガンガン!」。ありがとうタイトー。アーケード音楽ゲームに東方アレンジ楽曲を収録してくれたお陰で、私は気になる人を遊びに誘うことが出来た。これは間違いなく「ミュージックガンガン!」が作ってくれたきっかけだ。
大人になった今でも思う。あの時のタイトーの先見の明があったからこそ、そして私たちがたまたまそのタイミングで青い春のただ中にいたからこそ生まれた、奇跡みたいな出来事だったと。商業音ゲー界にひとつの新しい風が吹いたあのさなか、日本の片隅ではこんな小さな小さなドラマがあったということを、私はどうしても書き留めておきたかった。

さて、この思い出話は「仲良くなりたいと思っていた人と遊びに出かけるきっかけをミュージックガンガン! が作ってくれた」という点が結論なので、この先どうなったのかは蛇足でしかない。だけどもしかしたら続きが気になる人もいるかもしれないので、覚えている範囲で語って締めようと思う。

「ミュージックガンガン!」は、比較的ライト層向けに設定されているゲームだったこともあり未プレーだった私もハチ君もそれなりに楽しむことができたと記憶している。そのまま自分のフィールドであるポップンミュージックや当時新進気鋭のBEMANIタイトルであったjubeatなど他のゲームで遊ぶ流れを作れれば良かったのだが、確か「ミュージックガンガン!」の設置場所と離れて配置されていたのでうまく誘導することができなかった。
その後も「次どうしよっか」と手探りで会話しつつ、プリクラを撮ったりカラオケに行ったりアニメイトに行ったり、どれもこれも当たり障りはない非常に学生らしいレジャーを楽しんだ。当たり障りないとはいえ当時は非常に緊張したし今思い返すといろいろと恥ずかしい気持ちにもなるけれど、確かにあの時間は楽しく嬉しいものだった。いつまでもかけがえのないきらめいた思い出だ。
この日アニメイトでハチ君が「誕生日プレゼントに……」と買ってくれた魔理沙のマグカップは今でも日々のコーヒータイムで活躍してくれている。ハチ君、キミは本当に優しい人間だ……。

その後ハチ君と定期的に出かけるようになったり以前より親密になる……なんてことは全くなく、これまで通りたまに廊下でお喋りしたりメールしたり、距離感が縮むことは無いまま私たちは高校を卒業した。卒業後のことは何も分からないが、彼が今もどこかで健康に暮らせていることを願っている。

***

この思い出話はここで終わりです。如何だったでしょうか。
当時をリアルタイムで知っている方に懐かしんでもらえたり、或いは音ゲーには大抵当たり前に東方アレンジ楽曲が収録されているものと認識している若い世代の方に「こんな時代もあったのか」と少しでも思って頂ければ幸いです。そして「コンテンツにリアルタイムで触れること」の持つきらめきを、少しでも感じて頂ければと思います。

更に更に余談ですが、この記事を執筆しているうちに東方Projectに対する意欲がモリモリ上がってしまい、仕事もそっちのけで永夜抄や風神録の攻略に勤しんでしまいました。高校生の頃はイージーシューターで、ハチ君の華麗なエクストラステージ攻略に羨望のまなざしを向けていた私ですが、なんと十数年の時を超えて風神録のエクストラを自力でクリアすることができました。人生何があるか分かりませんね。

最後に、こんな小規模でマニアックなメディアに彼が辿り着くとは到底思えないんですが、ハチ君。もしこの記事を読んでしまったとしても、なんかこう……いろいろと心の中に秘めておいて頂けると幸いです。恥ずかしいので。

おわり。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー

書いた人:矢澤豆太郎
月刊オトモの編集長かもしれません。各ライター陣を脅して原稿を書かせている人とも言います。普段は札幌でアマチュア作家活動などもやってます。好きな音ゲーはポップンミュージックとギターフリークスですが、割とBEMANI全般を満遍なくやってるかも。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー

次回の更新は12月2日(土)「Guitar Pop Restaurant vol.50ライブレポート!」の予定です。お楽しみに!