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善光寺の歴史をなぞる「麗人酒造」

長い歴史を刻む信州善光寺

長い歴史ー。ここ日本において、長い歴史とは一体、どの程度さかのぼれることを指すのだろうか。

ここ信州善光寺は、阿弥陀如来との結縁の場として創建されて以来およそ1,400年という長きにわたり、人々の心のよりどころとなってきた。

源頼朝や北条一族、武田信玄、上杉謙信。日本史を語る上では外せない名だたる人物がこの善光寺へと足を運び、その命運を委ねたという。

近代においても参拝者は増加の一途を辿り、毎年およそ600万人もの人々が善光寺を訪れている。そして1998年に行われた長野冬季オリンピックの開会式では、善光寺の鐘の音が平和を願う全世界に向けて響き渡った。

そんな歴史ある信州の地にたたずむ酒蔵「麗人酒造」をご存知だろうか。

麗人酒造で、受け継がれる自然

遡ること200余年。1789年、松平定信によって寛政の改革が始められたころ、信州の土地に一軒の日本酒酒造が誕生した。それが「麗人酒造」である。

麗人酒造のある諏訪盆地はフォッサマグナの上にあり、諏訪湖や上諏訪温泉といった豊富な水に恵まれた土地。降り注いだ雨が気の遠くなるほどの時間をかけて地中で浄化され、伏流水となって麗人酒造の中にある井戸から湧き出ている。これがいわゆる「霧ヶ峰の伏流水」である。

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日本酒造りにおいて欠かせない水。江戸時代から200年以上もの間、この伏流水は大切に受け継がれてきた。

自然のめぐみをたっぷりと受けた麗人酒造は、ここ信州の土地の長い歴史を見守り、そして共に発展し続けてきた。麗人酒造の蔵の中には創業当初の面影や雰囲気がそこかしこに残っている。

日本酒の製造技術を活かしたビール

この恵まれた立地、そして水を利用し、長きにわたり日本酒を製造し続けてきた麗人酒造がビールの製造を手がけている。それが善光寺浪漫ビールだ。

麗人ビール工場(銅釜㈪)

創業当初から日本酒の仕込みに使用されている霧ヶ峰の伏流水と、上諏訪温泉を使って造られている善光寺浪漫ビールは、ミネラル分をたっぷりと含んでおり、味わい深さが特徴的だ。特に、温泉に含まれているミネラルは酵母の発酵を促してくれるため、さらに味に深みを増してくれる。

今回は、善光寺の限定デザインが施されたライン「善光寺浪漫ビール」の中でも、信州を代表する植物「くろゆり」をイメージして造られた黒ビール「くろゆり」をふたりのみのラインナップに厳選した。

善光寺くろゆり

ビールの原料となっている麦芽には、大粒の二条大麦を100%使用。その大麦を黒くなるまでローストしてできているスタウトビール、いわゆる黒ビールである。甘くなりすぎないようスタウトらしい香りにこだわってできている「くろゆり」は、香ばしく味わいの奥行きが深く、麗人酒造が刻んできた歴史の深さを感じることができるだろう。

家で感じる、歴史の深さ

善光寺が創建されてから1,400年という長い歴史の中で、戦乱の江戸時代、明治、大正、昭和、平成、そして令和と様々な変化や混乱、苦難が人々を襲ってきた。そんな困難の中、人々の心の支えとして存在してきた信州善光寺。

きっと今のこの未曾有の事態の中でこの場を訪れたいと願う人は少なくないはずだ。しかし思うように動けないというのもまた事実。

だからこそ、この善光寺のデザインが施された「くろゆり」をお届けし、皆さんの家の中から善光寺が刻んできた長い歴史をビールでなぞってもらいたい。私たちはそんな思いでいる。

そしていつの日か実際に信州善光寺を訪れる日は、ぜひ麗人酒造にも足を運んでもらいたい。200年という実数値以上の歴史の長さ、深さを実感できることだろう。

文:フジタ マナ

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