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猫を飼う家を買う。

 家は人を守り、人は家を護る。
 人に見捨てられ、朽ちていく家を悼んだ。人の住まなくなった家は、側も内部も風雨にさらされているのと同じだ。後ろから前から、外から内から、容赦なく傷めつけられる。
 人に支えられなくなった家は生気を失い、失意のうちに命の焔を消していく。人が放つ熱は、手のひらでそっと包むようにして、家を生きながらえさせていたのだった。

 かつて新宿中央公園の裏手に、建て替え不可で上物価値をなくした小さな路地裏古家が売りに出た。都会で生き伸びることを拒絶されたその家は、見捨てられ、中型車1台分ほどというとんでもない破格がつけられた。投機の意味もなく、快適性を欠いた忌みの家。
 ひとりの女史がするりと救いの手を差し伸べて、手のひらで包み込むようにその家を買った。
「賃貸じゃ、猫を飼うのに苦労がつきまとうから」飄々と生きる彼女の望みは慎ましく、多くを望まないどころか、中央突破の一点に絞られていた。
 彼女の猫屋敷持ち家願望と、彼女でも買える価格と、延命を望む物件と、早く手放したい不動産業者という4つの思惑が、奇跡的にひと所に着地したのだ。
 
 独居老人さえ住まなくなった古家が増えているという。昨今はリノベーションという手立てで救いの手が差し伸べられているようだが、急流の先で雪崩れ落ちる勢いで増えていく空き家を救うには、一粒ずつ金平糖を拾い上げるような手作業の手法では、とてもじゃないが追いつかない。
 保護犬、保護猫の地道な活動が広がり、殺処分が減っていった。それと同じように、保護家の地道な活動がもし広がるようなことがあるならば、家の殺処分(候補も含めて)も減っていくのだろうか、などというくだらないことをつらつらと考えながら床を出た朝であった。

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