音邑音音 (おとむら ねおん)otomura neon

タブレットをカンバスに描く。社会に流される心が止まり木に寄り道して書く。日々の証の備忘…

音邑音音 (おとむら ねおん)otomura neon

タブレットをカンバスに描く。社会に流される心が止まり木に寄り道して書く。日々の証の備忘録。

マガジン

  • 視覚に囁く『小ご絵』

    いつも大きくて立派な扉ばかり見せられてきたように思う。 深く考えることなく、大きくて立派な扉ばかり追いかけてきたように思う。 だけどいつもうまく開けられるわけじゃない。 ある日、見立たぬ物陰の通用門に気づく。 扉は軽く、ふれただけで開く。 その先に同じものがあるかどうかはわからない。 だけど、中には入れる。 あと戻りもできるから、試しに入ってみたら……。 そんな思いで描いた「絵のことば」。

  • 楽譜が読めない人のピアノ・レッスン

    楽譜を図解で理解する、楽譜を読むのが苦手な方のためのピアノ・レッスンです。 独学でも「必ず弾ける!」ようになります。 敷居の低いピアノで、あなたもピアノを弾いてみませんか?

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イラスト集『函館Graffiti』(電子出版)第2刷発行!

【更新情報】2021年9月6日、第2刷をリリース。  お買い求めいただいた方は第2刷にバージョンアップしていただけます。  これに伴い、第1刷の販売は終了いたしました。  函館に旅をするためのものではありません。  函館の景色に、人に、出来事に、心がかすめたことがある方にこびりついた思いの軌跡、そんなはがすにはがせない瘡蓋みたいな燻りを、遠くに置き去りにしてきたみたいになっている思い出を、掘り起こし、今いちど手のひらに広げてみて、愛で、味わってもらえたらいいなあ、という思い

有料
1,000
    • 納得への航路。

       ジェンダー平等は、女性らしさを不定する。慣用的な男尊女卑を糾弾する。  それって、女が男に近づき、男が女寄りに変異することを推進しようとする試み? 子孫へのバトンを繋ぐ役割以外はすべて対等になれって言っているのかな?  ふうん。  恋愛観が異性に対してばかりではなく、人柄や嗜好に幅を広げていった背景って、こんなところにあるのかもしれないね。認識面を含めてね。  そもそも昨今では恋愛自体の勢いが衰えを見せている。染色体の違いが生むときめきは、明確な性差を意識することでス

      • 潮流は作られている。

        ーーカヌレが来ますね。ーー ーートゥンカロンが人気です。ーー    テレビやネットで、灯された火種が風を受けて広がっていく。円安にしても、専門家が「しばらく続きそうですね」と発言すれば、行きもしない海外旅行に「しばらくは行けないなあ」と落胆色が広がっていく。    潮流は作られている。    さも世間が流行に染まってしまうように報道は導く。ブランドは戦略によって仕掛けられたものでしかないのにね。    かつてルーズソックス広がったし、ヴィトンは今でも人気だ。潮流には短期もあれ

        • 幻のピアニスト。

           椎名林檎の曲目を華麗な指さばきで演奏しきるガタイのいい男がいる。パッペルベルのカノンを1音ずつ愛おしむように追う老婆がいる。ストリートピアノは、人生を聴き入る、生きる道行きの休息地。生き急ぐ人は足を止め、立ち席は見る間に埋まっていく。聴衆の顔は演奏が始まると不意に現れいでた夢心地の繭に包まれ、コンサートホールの客席についたように穏やかになる。  ひとつの人生のかけらが奏で終わると、次の人生のかけらが音で語られていく。  華奢で背の高い女が額に落ちた黒髪をかきあげ、椅子に座

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        • 視覚に囁く『小ご絵』
          1,317本
        • 楽譜が読めない人のピアノ・レッスン
          8本

        記事

          にゃおん日記ーーお願い。

          「少し甘やかしすぎたようだ。  今ではわがままし放題、好き勝手いい放題。  昨今は人間さまがが粗食に耐えている」  いや、猫のしもべはしもべで、ちゃっかり恩恵にあずかる人も。Youtubeで人気を博せば、飼い猫に養ってもらえる時代になったんだもの。  今どきの猫はネズミを獲らずに人気取り。  かくして人類のシモベ化が加速する。 『最近、甘やかしすぎかなと思ってる。  昨今の人間ときたら、仕事に行かずにビデオを撮ってるだけだもん。  世の飼い主さんたち、次々と会社を辞め

          私はここにはおらんのです。

           墓参りで足を運んだのに、あなたは「私はここにはいません」と言う。死人のくせにどの口をもっていけしゃあしゃあとそんなこと。  考えてみれば、たしかにあなたの言っていることは正論よ。肉体から抜け出た魂は、焼かれて残った骨に依存しない。せっかく自由の魂になったのだから、わざわざ墓石の下の骨壷の窮屈な居室にじめじめ惨めに籠っている意味なんてないものね。  あたしゃ元から仏教の信徒じゃないから説法は馬の耳で聞き流すし、期待を空まわりさせる輪廻も信じない。ファンタジーにもすがらない

          私はここにはおらんのです。

          越えられない壁と、この不確かな街。

           進撃する巨人の侵入を防ぐための壁じゃない。脱走兵が見上げる未踏のハードルでもない。社会には、秩序を守る壁がある。そしてその壁は社会を牛耳る誰かにとって都合のいい壁である。  無知は幸せだけれども愚かで、呑気に壁を防御の要とハナクソを丸めながら惚けるだけだが、知恵足らずの穏健派をよそに危機感を募らせる火種がひとつ人知れぬ闇に灯った。  社会に流されるまま生きる被操作者は、支配者の存在に気づくことはない。マリオネットのごとく、縦糸の上げ下げに健気にしたがい、踊る阿呆の滑稽譚。

          越えられない壁と、この不確かな街。

          猫の足。

          「猫の手も借りたい猫の手は、痒いところに届かない手だけど、それでもかまいませんか?  痒いところに届くのは、手じゃなく足なんですけど。  猫の足でよろしければ、貸しましょか?」  狐につままれたような、とは聞くけれど、猫につままれるような出来事に出会うとは思ってもみなかった。  猫が賢くなったのか、人がおばかになったのか。それもこれも、逃れられない壁に囲われているせい。みんな庇護のバリアに守られていると信じきっているからなんだね。  海の向こうで始まった戦争の業火は、す

          清い探偵。

          「倍だそう。いや3倍の300万円だ。これならいいだろう」  俺は探偵をしている。世の中は広いもので、社会には探偵大学校なるものがあって、俺はそこを2年で卒業した。成績優秀。もっとも同級生は6人しかおらず、ほかの連中はテレビの影響で憧れからか、下心からか、あるいは滑り止めにも引っ掛からなかった落ちこぼれしかいなかったが。  正規に学べば4年の苦行も、地獄の沙汰も金次第。白湯を水で薄めたようなぬるい授業に貴重な4年を費やしたくはなかった。できるだけ早く俺は社会復帰したかった。

          月が食う。

          「ついこの間、北米でお日様がまた食われただろ。新しく赴任してきたお日様、今度はだいじょうぶかな?」  月の軌道に太陽が重なる時、太陽は月が開けた大きな口の中に、飛んで火にいる虫のごとく食われ、その命を終える。月の腹の中で太陽は抵抗するも、反骨心に実力が伴わず、足掻きの断末魔をあげて、逝く。  太陽を飲み込み消化した月は、地上からは見えない裏側に隠した肛門からこっそり残骸を排泄する。  お日様がなくなると困る。で、新しい太陽が赴任してくる。  見た目は食われる前の太陽とさほど変

          流星360。

           高度成長期の騒音と空気汚染が日本の元気の源に思えることがある。出過ぎた音も行き過ぎた空気も規制され、たしかにきれいになったし静かにもなった。だけれども、すべての臭いものに蓋をされた感のある現代は、元気までにも蓋をされ、まるで閉じ込められた檻の中でくすぶっているようだ。  昭和には、耐え難い苦痛がいくつも存在した。終わってしまったものへの美化を差し引いても許せない汚点が。  大量消費の経済循環に、企業はメチル水銀化合物を河川・海域に垂れ流し、巡り巡って消費者たる人類を貶めたこ

          波のまにまに。

           労働力はうねる波だ。高まりと沈み込みがあって、命は波のまにまに翻弄される小舟。  新聞に、国民年金納付期間延長と高齢者労働の所得額確保の記事があった。長寿化と資金不足が定年までの労働力を延命しようとしている。昭和に55歳定年がまかりとおっていた話を耳にすると、狐につまままれた気しかしない。100歳時代の55歳なんて、人生の半分を寝て暮らすようなものだ。しかも今と違って、寝て暮らしても、美味い飯は食えるし、地方豪遊も夢じゃない。潤沢にもらえる年金に不足はなかった。  年金は

          もしかしたら自分だけ?

           人からの忠告はお節介で、素直に聞けない。人って天邪鬼な生き物だね。(もしかしたら自分だけ?)  助けてもらいたい時はアドバイスをもらいたいのに、助けてもらいたくない時のアドバイスほど鬱陶しいものはない。断固拒否したくなる。人ってそういうものでしょう? (忠告されると敗北を嫌って鉄壁の防御姿勢をとってしまうのは自分だけ?)  素直に聞ければ可愛げもあるだろうに、素直に聞けないタチだから、つい反論してしまう。それでも気が小さいものだから、あとになって悔やんでしまう。人ってつ

          もったいない魚の命運。

           生鮮の宅配でたまに『もったいない魚』を頼む。どんな魚が入ってくるか、毎回楽しみにしている。キスにしても前置詞に副詞がついたみたいなナントカキスとか、飛魚の亜種みたいな魚が入っていたりして、すべて干物だから都度ごと焼き上がりを楽しみにしている。  ところが、さすががにもったいない魚、一般市場で売れないから、捨てるに惜しいもったいない魚、売れないだけあって美味かった試しがない。どれもが美味くない。  前出のキスなど、言い訳みたいな冠名字がついているはいるが、元がキスだから淡白な

          ライター、小説家もどきを演ずる。

           あのとき僕は、京都の呉服屋で若旦那だった。卒業から不逢まに10年が経ち、それぞれに途切れた時間を縫い合わせようと、4人だけの同窓会話が持ち上がった。  現実的ではなかった。一人はデザイン関連の仕事でニューヨークにいたし、一人は海外1号店を開業させたばかりで上海にべったり張り付いていたし、京都の僕と東京のもう一人の事情を鑑みるに、せめて京都か東京での開催が現実のライン上にかろうじてしがみついていた。  僕は家族をつくり、安定と引き換えに足枷もできた。同窓会で家を空けるとなる

          ライター、小説家もどきを演ずる。

          間がいい。

           離れてから便壺に到達するまで間があった。あのころは、何においても離れてから到達するまで間があった。問われて答えるにも、逡巡を迎え入れる大らかさがあった。あの間がよかった。  今じゃ、青信号と同時にアクセル踏まなきゃクラクション。スタートシグナルのカウントダウン、ゼロで飛び出しチェッカーフラッグ、勝ってガッツポーズ、負ければ悔し涙も、秒刻みのスケジュールが終わった時間をたたみかけてくる。    切り替えが大事とは今に言われたことではないけれど、あのころは思いっきし後悔を積む間