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名物書店の思い出 1 ーー人徳者ーー

 かつては名物書店なるものがあった。販売網から情報網にめぐらすアンテナの指向が変わってから以降、現代の書店事情はよくわからなくなった。関わらないでいると疎遠になるのは、関係ばかりではなく、そこで得たはずの知識も、だ。
 書店営業の今の実態を知りたかったのなら、新しい書店世界を行き来する現代の達人を頼るといい。現代の達人は、漁でいう漁獲効率がいい。どこで網を張ればいいか、どの海に何がいるかの最新情報を握っている。
 対して古い水夫は昔話を語るに過ぎない。現代の漁に屁ほどの役にもたたないガラクタ情報は、わざわざ足を止めてまで耳を傾ける価値などない。待ち合わせまでの暇つぶしに、パチンコですりたくなかったら、冷やかしに覗いてみればいい。その程度のものだ。風に吹かれれば導かれるまま流されるような物語は、このようにしてはじまる。
 
 かつての書店には、人徳者の書店、1パーセントの書店、書店三悪なるものがあった。もちろんこれらがすべての個性を代表するものではない。書店営業マンはエリア担当制で、受け持ちの書店と取次担当者との絆を築いていく。関係の構築には、甘い蜜もあれば苦い薬もある。それらのやりとり、キャッチボール、ボタンのかけ違いなどを通して、担当エリアという限られた世界の中で、希望の光や冷たい炎を燃やす、いわゆる特筆書店が浮き上がってくる。上記の3候補は、担当した狭いエリアで出会った書店のバリエーションにすぎない。個性の幅はほかにもあるはずだ。書店の個性をもっと知りたくなったなら、自らの足で古い水夫を訪ね歩いてみることだ。口伝えをたどっていけば、おそらく目的の人物に行き着く。書店営業とは土臭いネットワークで構築されており、古道になってもその道がつづいていることがよくあるから。
 
 人徳者の書店は、風光明媚な観光地をいくつも抱える暮らし豊かなエリアにちんまりと展開する本屋さんだった。漫画雑誌が飛ぶように売れ、男性誌・女性誌が店頭に花を敷き詰めたように並んでいた時代に、その書店は書籍の魅力を読者に伝えようとしていた。
 本は、ほとんど著者で売れる売れないが決まる。小説家のように名前が売れていなくても、信頼に値する肩書さえあれば、テーマしだいで売れる。テレビにレギュラー出演しているアイドルなら売れる。そんな時代に、人徳者の書店は、肩書きもなく名も知られていない著者の1冊に着目した。いい本だ、という判断があった。
 全国には、知名度と広い売り場面積で本を強力に販売していくメガ書店がある。そうした巨大書店が腰を上げたなら、もしかしたら同じ結果をもたらしたかもしれない。だけどその人徳者の書店は、地方の1都市で、わずか数店舗の展開で、メガ書店でも成し遂げなかった偉業を成し遂げた。『○杯のかけ○○』を仕掛け、全国にその書籍を知らしめるまでに推進運動が広がった。
 著者のその後には有名税がのしかかり、とても残念なことだけどいい話は取り上げられることはなかった。なぜ人は成功者に嫉妬するのか、腹立たしくて仕方のなかった1件だったけど、いくら繰り返してもその辺りの見苦しさは変えようのない人間の性のようである。人は聖人君子を追いかけるけど、聖人君子は人々の心に巣食う幻の理想でしかない。人は多かれ少なかれ罪を犯しながら生きているものなのだ。ペットを飼いながら肉を食らい、簡便を優先させるがために空を汚し、大義名分をたてて人を殺す。いくつか並んだ記事の数々は、空高く舞い上がった鳥を撃ち落とすための機関銃だった。鳥が罪を犯していたかどうか、本当のところは知らない。だけど、もし有名税を払わなければならないポジションに就かなかったら、機銃掃射のような攻撃は受けなかっただろうに。
 
 人徳者の書店は、店主の立ち居振る舞いにあった。舌の根も乾いていないのにこう表すと石を投げられそうだが、彼をたとえるなら書店世界でいちばん聖人君子に近い、みたいな人物だった。書店の集まりでは彼のまわりに人垣ができ、代表スピーチが必要とあらば誰もが真っ先に彼に熱いエールを送った。穏やかに話し、凛と答える。話は納得の腑にすとんと落ちていき、はむかおうとするへそ曲がりは現れなかった。誰も彼の代わりは務められないことを心得ていた。
 
 遠い過去に起こって、閉じていった話。今は鍵をかけられた宝箱にしまわれ、海底深くで眠りについている。いずれ誰かが海から引き揚げ、宝箱を開いてみせるかもしれない。過去を懐かしむのではなく、新しい時代に甦ってほしい物語。
 
 1パーセントの書店と書店三悪については、いずれまたどこかで。
 

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