『作りたい女と食べたい女』のデタラメ性的同意回を考える
【前提】「性的同意」とは何か
『作りたい女と食べたい女』(以下、『つくたべ』)は言わずもがな毎話デタラメな漫画なのですが、どうもこの漫画を模範的性的同意作品と持ち上げる人が一部でいるらしく、こんなものを教科書にするなんてとんでもないということで、その第40話について書いておくことにしました。
一応念のため、「性的同意」について図書館で調べてみたのですが、当然なのか何なのか児童向けの本しか見つからなかったものの、とりあえず私が以前書いた記事は必ずしも間違ってはいなかったかなあとは思いました。
なお、上記の2冊に関しては本記事最後に改めてレビューを書いておくので、気になる方は後ほどご覧ください。
私としても特に専門家の類ではないので自信がないのですが、性的同意に関するポイントは、おそらくは以下の3つに絞られるのではないでしょうか。
事前の同意
事後の同意
判断能力の有無
事前の同意はそのままなのでいいでしょうが、性から離れたら同意など考えなくてもいいという認知の人もいるかもしれません。
しかし、同意というのは本当に身近なところから始まるものだというのは改めて意識すべきことなのでしょう。
さて。では、事後の同意はどうでしょうか。
そのあたりは、今回目を通した本にも重要テーマの1つとして触れられており、引用したように拒否の大切さを説いています。
「同意とはイヤとは言わないことではない。積極的にイエス!と言うことだ」は性の同意に対してなかなか良いまとめ方であるように思います。
そして、最後に忘れてはならないのは、判断能力の有無であります。口約束が認められていても酔っ払った人とする約束までもが有効とされるのは理不尽に感じる人が多いでしょう。
2023年に性的同意年齢が13歳から16歳に引き上げられることとなりました。16歳までは判断能力が無いから同意をとっても無効という改正です。
もちろん同意能力は法が禁じている範囲でなければオールオッケーというわけではありません。食事中の人に次の食事のメニューを答えさせるような、些細な判断能力の喪失はけっこう起きることです。
『つくたべ』第28話はサンプルページで常時まるごとすべてを読むことができますが、同意において重要な判断能力の有無という点を作者の人はまったく理解していないことが伺えます。
『つくたべ』第40話を改めて振り返る
さて。前提を書いたところで『つくたべ』第40話を見てみましょう。(この動画は何一つ関係ありません。)
第40話のサブタイトルは「互いを確認すること」だそうです。1ページ目の最初でディスプレイ用に1枚中身を見せて置いてあるカツが次のコマになった途端どういうわけだか全部横向きに置いてあったり、白米がテーブルの端から遠い場所にあったり、分量がまったく同じで作品のメインテーマだった「たくさん作るけど少食で食べきれない女&とにかく大量に食べたい女」は何だったのかとか、そもそも「ホッカァ」って揚げ物の擬音として合っているのだろうかとか、スタート時点からして気になるところがいくつも出てきますが、キリがなくなるので飛ばすところは飛ばしていきます。
『つくたべ』というのは、不思議なことに序盤からこうした目の前の女性を性消費しながら飯を食う描写が繰り返し出てきますが、もちろんその過程に同意などありません。
そのあたりはドラマ版の公式サイト特集ページのコメント欄にも近い感想が以下のように書かれており、何故ここまで来ても顧みないのか不思議で仕方がありません。
続いて、食事を終えた2人の描写が始まります。不動産屋では「半同棲なのだから真剣交際アピールしましょう」みたいなアドバイスを受けていましたが、これといった同棲に慣れたムードもなく、野本さんのいいお母さんぶりだけが描かれています。
第40話にして急にふたりきりを意識して「あわあわあわ」し始めましたが、では第39話の特に何か言うわけでもなく野本さんの手を握った春日さんの描写は何だったのでしょうか? 手を握るのにも同意が必要と強調したいのであれば、第39話の説明がまったくできません。それとも、「男は強引に、女は自ら求めず」の昭和以前的男女恋愛観で描いているだけなのかもしれません。
だから第39話で勝手に手を握ったのは何だったのかと。
そして、この「手を握りたい」という意思を全く示さないまま「どこまで触れていいか」と尋ねる奇妙な意思確認の手順を見ると、性的同意を「事前に言質を取ったら何やってもオッケー」という粗雑な解釈で理解しているようにしか思えません。
同作者の過去作における「セックス同意書」も、性の同意を訴えるフェミニストを揶揄しているとしか思えないひどい発想でしたが、そこから何のアップデートも無かったのは残念で仕方がありません。
「手自体は結構お互い触れてましたしね」で早くもこれまでの数ページがムダになりました。何だか同意内容と描き方が極端すぎて、お互い同性との接触を気持ち悪く感じている異性愛者にしか見えなくなってもきましたが、この有様で物件のオーナーには真剣交際アピールしたのでしょうか。
その後、第40話は顔に触れて、ハグに移って、キスまでします。
ところで、「待望のアセクシュアルレズビアンコミックだ!」と大喜びされたのは一体何だったのかというぐらいの性欲で押す展開になった気がするのですが、その方面の読者は大丈夫なのでしょうか。第22話の矢子可菜芽による「それはビアンでアセク当事者な …この私が保証します」が今となっては余計すぎたように感じます。
矢子さんから性的同意について教えられて、初めてのハグもキスも無事上手くいきました、バンザイ!な感じに締めつつありますが、そもそも矢子可菜芽というキャラクターは手を握ることすらできないアセクシュアル設定だったはずです。そんな彼女が自分と同じアセクシュアルと思っている野本さんへ伝えるべきは、性交渉を求められた時の断り方ではないでしょうか。第40話になった途端に周囲のそういった部分のキャラクター設定まで壊れてしまっているように感じます。
そして、この第40話が教科書的ではないのは、事後の同意、すなわち「やってみたけど不快だった」ことが一切起きない都合の良さです。先述引用のパイ投げの例えのようなものが第40話にはまったく出てきません。作者の人に「セックス同意書」からまったくアップデートが無かったのは、そのあたりに強く現れています。
また、判断能力の有無も完全に度外視されています。どうも作者の人は無かったことにしたい設定のように思えますが、野本&春日の2人は非正規職で貯金もままならないということになっています。
その2人が第39話で3LDKの住宅に引っ越すことを決めています。そんな退路を断った状態で人間関係の不一致を生み出すわけにはいかず、性の同意において正常な判断能力を保てるかどうかは怪しいところでしょう。
デタラメ性的同意回を考える まとめ
『つくたべ』第40話を性的同意を描いた漫画という観点でまとめてみましょう。
事前の同意→基準がめちゃくちゃ
事後の同意→「バウンダリー(境界線)は変わる」という基本的なことから逃げてる
判断能力の有無→最も判断能力を喪失するタイミングでキスを描くまずさ
改めてまとめてみると、実にデタラメ性的同意漫画としか言いようがなく、『つくたべ』の第40話が素晴らしいものに思えてしまった人は、今一度学びなおしてみたほうがいいのではないかと私は思います。
百合漫画における性的同意に関しては、当方ブログにて『つくたべ』より前の作品を紹介して書いておきました。それらと比べると、やはり『つくたべ』は異様にレベルが低いように感じます。(『つくたべ』にレベルの高い部分は見当たりませんが。)
【おまけ】引用した書籍のレビュー
以下、引用した書籍のレビューです。
元はイギリスの本らしいですが、この「若者による話し合い」を日本でやると具体的な話をしすぎていて違和感あるだろうなあという感じです。もっともそこは日本が大きく遅れているからですけど。
全体的には悪くないのですが、理解しがたい部分もあるにはありました。「男の子も悩んでるんだよ」の例として、女子からアダルトビデオの男優を理想像として押し付けられているというのがあるのですが、その“理想の男性像”というのが、男性が勝手に作った理想男性像に見えるような…。まあ、そのあたりはそれぞれの国事情もあるはずなので、何とも言えませんが…。
それと、男子が登場した途端にゲイの存在が語られたり、旧来的ならしさ批判も妙に男性中心だったりと、よく読むと本書内で男女の扱いで非対称性があるように感じます。どうなんでしょうかねこれ。
これは同意を紅茶で例えた動画の作者による本の翻訳版のようです。
一応「小学2年生くらいからひとりで読める本」らしいのですが、使っている漢字が小学2年生仕様にしては難しい気がしますし、具体的な性被害の描写を避けて描いているため大人でないと真意が伝わりにくいかなあとは感じました。
この本では「バウンダリー(境界線)」という言葉が度々出ているのですが、前述の『考えたことある? 性的同意』巻末の日本人による解説によると、米国オレゴン州では幼児期からの性教育に出てくる概念らしく、そのうち日本でも広まるのかもしれません。
(記事見出し画像)
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