ドラマ『作りたい女と食べたい女』第11~18話原作改変&改悪メモ
NHK夜ドラ『作りたい女と食べたい女』(以下『つくたべ』)シーズン2の放送が、全5週中、2週目まで放送されました。
シーズン2は原作ストックが足りていないためシーズン1よりも改変が多くなっています。会食恐怖症の原因を学校の完食指導に変更するような良い改変もありましたが、残念ながら改悪と呼ぶべき改変も目につくように感じます。最後まで見てからだと前半などは忘れていそうなので、そのあたりをメモ書きとして今のうちに記録しておきたいと思います。
各話改悪点
第11話 「物価が高い、卵が高い」と言い出す
物価に関しては原作第3話を最後にあまり言及されなくなった要素であり、特に原作2巻以降あたりだと完全に忘れさられる要素です。5巻収録予定の原作第44話で1度だけ触れられますが、卵に関してはまったくのドラマオリジナル台詞です。
物価への言及だけなら大したダメージにはなりませんが、「物価が高い」と言いつつ「卵4個使っちゃいました~」など、原作以上の節約知らずでドラマは進行しており、そのため登場人物の印象を悪くしています。
第12話 “南雲世奈”のビジュアルを原作に寄せる熱意がない
原作で“南雲世奈”のスタイルは他のメインキャラクターよりも特に重要な要素であり、それを大して再現しなかったということは、春日十々子役の人が過激な増量を行った理由をますますわからなくしています。
第12話 野本ユキが会社で出世しそう
原作にそういった描写はありません。原作と経済状態に違いが出そうです。
第13話 野本ユキがヘテロセクシャル女性・佐山千春と仲が良すぎる
方向性が真逆すぎて原作第45話がまるまる潰れました。
第13話 野本・春日コンビが宗教の勧誘をしている
原作で野本ユキと南雲世奈の初めての顔合わせはたまたま玄関前でばったり出会って、その時持っていた柚子ジャムを渡す流れであり、1対1でした。しかし、ドラマでは2人で迫り、宗教の勧誘状態で怖かったです。
第14話 南雲世奈が失業中になっている
原作では産業医面談のお知らせを見ていたのに、何故…?
第14話 春日十々子、恵方巻で長寿を願う
第14話はほとんどすべてがドラマオリジナルでした。春日十々子というキャラクターが「長生きなんか知ったことか!」と腹を決めて食べまくってるならまだしも、長寿を願うなら食事の節制は避けられません。野本ユキは果たして健康食に切り替えることができるのでしょうか…?
第15話 矢子可菜芽が同性婚法制化を訴えている
第5巻収録予定の原作第38話によると、矢子可菜芽は「日本の婚姻至上主義極まってるな」と婚姻制度そのものに対して批判するスタンスをとっています。原作の矢子可菜芽というキャラクターが崩壊しました。
第17話 春日十々子に甥or姪が誕生している
介護を誰が協力するかの話で、春日十々子の弟に子どもがいるという原作にはない設定が付け加えられました。そのことにより、育児負担もある長男に介護の協力は頼みづらいという前提が出来てしまいました。何故父親の「自分も仕事の合間に介護を手伝っている」みたいな原作の台詞を削っておきながら、あえて原作にはない設定を新たに付け加えたのでしょうか?
第18話 野本ユキが同僚・佐山千春に作りすぎドーナツを食べさせている
周囲の人に食べてもらうぐらいのコミュ力があるのなら、日頃から「作りすぎ料理が食べきれない」という悩みは大したものになっていなかったのでは?
第18話 家父長制の奴隷となった母を案じている春日十々子の描写が加わっている
第18話のドラマオリジナルパートで、これだけ母のことを気にかけているのなら、たまには実家に戻るようになるドラマオリジナル展開に変わるのかなあと私は思いました。しかし、ドラマオリジナルキャラクター藤田貴子の「親のために自分を犠牲にしたりしないでね。私なら娘にそう言う」という言葉で春日十々子は母の身を一切案じないことを決意。その後、原作の流れ通りに「母さんのことがわからない」「そっちには一生戻らない」と母を無慈悲に切り捨て、春日十々子が原作以上に血も涙もないキャラクターへと変貌を遂げました。
ちなみに、原作の描写で、母は母でストレス最高潮になっている様子が描かれているため、ドラマのように「親のために自分を犠牲にしたりしないで」とは言わないのではないかと私は想像しています。むしろ、原作第32話で触れられている「請求書」は父と母両名の意思であるように見えてしまいます。
『つくたべ』公式アカウントの発信問題
・作品で語ることを放棄して解説サイトに誘導
ドラマの中で矢子可菜芽は「いろんなレズビアンのお話が足らないね」みたいなことを言ったのですが、その作中表現から解説サイトに誘導するのはドラマに目を通した上での行動なのでしょうか…?
ちなみに、上記解説サイトは「接触恐怖をアセクシュアルと自己診断しないように」「ジェンダー、セクシャリティはネットで診断できるものではない」(いずれも意訳)と、『つくたべ』の作中表現と対立する説明がされています。
・いつまで経っても会食恐怖症を個性扱い
会食恐怖症の人が目指すものは何も問題なく会食できることであり、「食べたくない」ではありません。困っている人を「創作に使えるもの」として都合よく便利扱いするのは、当事者を踏みにじる行為です。
・結局同性婚法制化を支持・応援してるのかしてないのかどっちなのかよくわからない「Chosen family」
解説を読むと必ずしも性的少数者でなくてもいいみたいなのですが、検索するとLGBTQ+系のサイトばかり出てくるので、生家が保守的な家庭で居場所のなかった性的マイノリティのための概念かと思います。
それで、上記のHUFFPOST記事の解説によると、脱・法的家族という新しい家族観でもあり、わかりやすい例で言えば赤の他人の男女4人が集まって法にとらわれない家庭を築くのも「Chosen Family」の形のひとつだということです。
じゃあ、このチャリティーって何のためにやったのでしょうか? 「Chosen Family」の考え方であるなら、野本ユキと春日十々子は法的な家族関係にはならなくてもいいわけで、何なら住まいを同じくするのに恋人関係にはならなくてもいいまであります。
同性婚に関しては当事者からの意見で「現行婚姻制度に反対だから、同性婚も反対」「結婚していない人が強いられている社会的不利益を考えるべきだ」といったようなものもあるわけで、『つくたべ』のようにあっちこっちに手を出すのは何も考えてなさすぎるというか、純粋にみっともないように思います。
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