ピアニスト近代史(1)ピアノは俗世のものにあらず 意識高い習い事の時代 (~1990年代)

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言うまでもなく、現在もピアノはもっともポピュラーな習い事の一つです。最近はリトミック人気もあり、「音楽教室」の方が主語になることも多いですが、子供に習わせたい楽器の第一選択肢としてなかなかその座を降りることのないピアノ。
90年代であっても2020年代であっても、「ピアノという習い事の需要」はあまり変化していないと思います。
ただ、ピアノの習い方や姿勢は確実に変化をしていると感じます。
端的にいうと、昔はピアノを習う=子供の英才教育の一環で、教養や音感を身につけさせたいという目的が大きかったと思います。
そのため、”意識が高い親”が、ピアノ(アップライト含む)を自宅にも購入して、スクールや個人経営の先生の自宅ではグランドピアノを弾けるという状況までを見込んで習っていた。親は子供の練習にも付き合い、レッスンにも付き添い、発表会で上手に弾けるようになるとさらに欲を出し、次の発表会ではライバルの子より難しい曲を弾く…コンクールに出る…音高音大を受験する…といったわかりやすいエスカレーション構造です。ちなみに今もこのスタイルはしっかり存在していて、こういった「ガチ勢」は今も昔も変わっていません。
大きく変わったなと思うのは、ガチ勢以外です。ここには「必ずしも家にピアノがなくてもいい」(上手くなったらいつかは欲しいけど…)もしくは「家のピアノは電子ピアノでいい」という考えが割と出てきていると感じます。
一例として。私の親族は関東や東海地方でピアノ教室を運営していて毎年コンクール出場や音大受験をする子を多数抱えるピアノ教師ですが、東京の生徒は自宅ではほぼ電子ピアノを使用しています。
年々、ピアノを習うことがカジュアルになり、お金持ちでなくても家が広くなくても、気軽に始めやすい状況にハードルダウンしていると言えるとは思います。
これがなぜかといえば、主軸は日本経済と教育産業の変化によるところだと思いますが、ここにピアノの文化的な背景も絡んでいるのではないか、という考察がありますので、それは次の章で触れたいと思います。

さて、90年代頃の「習い事としてのピアノ」は、冒頭に触れたように英才教育の様相が強かったため、習う方も教える方も凄まじい気合いであったと記憶しています。レッスンの雰囲気も、楽しいというよりは、子供を追い詰めてしまうようなスパルタなものが多かったとも。この時代、日本ではピアノを習う子が世界で一番多いと言われつつも、やめていく子も世界一多いと言われていたそうですが、日本人らしい真面目でストイックな面がここにも…

私もその時代にピアノを習っていた者のひとりですが、「ピアノを習っているなら上を目指すものだ」というムードは常にありましたし、往々にしてピアノの先生というものは怖い存在とされていました。時代として、教育業界全般がスパルタ路線だったわけですから、ピアノもその例外ではなかったのと、そもそもピアノを教える(ことがちゃんとできる)というのは特殊技術の一つでもあります。先生たちの選民意識というのも少なからずあったかと思うのと、月謝も他の習い事よりは比較的高く、1万円近いことがほとんどです。子供の習いごととしても水泳や習字や英語と比べると少々高額です。
だからこそ、途中で投げ出して、何も手に残らないことは避けたいという親の心理も子供へのプレッシャーとしてかかってくる。これが悪目に出ると、肝心な子供のやる気は加速度的になくなります。幼少期の習い事としてのピアノは、親と子供の二人三脚が肝心で、なんとか基礎からブルグミュラーくらいまでを乗り切らないことには、次のステップは難しい。
小学校高学年や中学校に上がるくらいまでにソナチネやソナタくらいの難易度の曲が弾けるようになっていると、子供ひとりでも練習を自主的に頑張ったり、音楽の知識がない親であればもう指図もできないといったことが起きたりして、一気に自立したものに変わっていくので、そこまでは本当に親も努力しないといけませんでした。

こういった側面もあり、90年代、ピアノはインフラを整えて始めるのが大変な上に、レッスンが厳しくて離脱者が多く、それがピアノ自体への敷居の高い印象や引いた目で見られる要因にもなっていた気がします。
そんな時代に幼少期を送っていた人たちが、「ピアノ近代史」の登場人物たちです。

次回は、
ニコニコ動画で弾いてみた投稿が流行 オタク文化とピアノ音楽が急接近した時代 (2000年前半)
について綴ります。

(本稿では子供の習い事のピアノについて書きましたが、大人の習い事のピアノは趣味の範疇であることがほとんどのため割愛します)

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