《鬼の旅7》 ヌナカワヒメの正体


糸魚川と言えば、翡翠が有名だが
翡翠とはそもそも何なのか?



そのことを調べ始めてから色々と繋がり
まさかの正体に驚愕することになるー



翡翠とは? 1000年の空白の謎


翡翠が国石であることをご存知だろうか?


豊穣と繁栄をもたらすとされた、糸魚川翡翠。
霊性の高い石とされ、埋葬時には
副葬品として埋めていたという。


その背景には、翡翠に死んだ人を蘇らす力や
死後の旅の安全を守護する力があると
考えられていたからだとされる。



日本が原産地である翡翠は縄文時代から
弥生時代・古墳時代まで装飾品などで
重宝されてきたが

6世紀に入り仏教の時代になると
完全に姿を消したというー


この空白の1000年が意味するものは?


その背景には、時代が女性原理から男性原理に
移行したことが関係しているのではないか

という記述を見つけた。



女性原理とは、すなわち呪術的な霊性を持って
女性が祭祀を務める縄文的な生き方から

男性原理、すなわち武力や権力、領土、所有
という概念が生まれ男性をリーダーとする時代へ


国土を争う戦において重要となったのは
呪術的な側面を持つ翡翠よりも
金属であったことは想像に容易い



こうして、時代の背景と共に姿を消した翡翠ー
その原産地が日本であることは
すっかり忘れ去られ

発掘された翡翠は大陸から
持ち込まれたものとされていた。



再び、翡翠が姿を現したのは
それから1000年後のことー

昭和13年 (1939年)に糸魚川で
翡翠が発掘されたのだった。


なぜ、このタイミングで発見されたのかも
後に、ヌナカワヒメとの会話で
知ることとなるー。




こしの国 翡翠ノ女神

ここからはヌナカワヒメの正体と
翡翠との関係、1000年の空白の実態について
綴っていこうと思う。


ヌナカワヒメは古事記に登場する
越(富山・新潟)の国を統治していた
女王である。

古事記では、出雲の大国主命が
美しいと噂のヌナカワヒメの家まで
遥々やってきて熱心に求婚し、
互いに歌を交わして
結婚したことが書かれている。



これをラブストーリーの聖地として
お祭りが開催されているようだが、
果たして、本当にラブストーリーなのだろうか?


という疑念が拭えない。



なぜなら、こちらで綴ったように


ヌナカワヒメから
「いいように使われた」
というラブロマンスとは程遠い感情



そして、糸魚川入りした時に感じた
「わたしのこと忘れないでよ!!」
という悲痛な叫び



を感じているからである。
表向きのとは別の「何か」があるに違いない。


出雲が攻めてきて、ヌナカワヒメを連れ去った、
ヌナカワヒメは越の国へ逃げ帰ったが
大国主命・出雲族に追われ
これ以上逃げられないと察したヌナカワヒメは
自害したという、悲劇の伝承が残っている。




ヌナカワヒメは大国主命の求婚を断っていたが
それでも熱心に求婚されたので、受け入れた。
とされるが、




受け入れたのではなく
「受け入れざるを得なかった」
のではないだろうか…




現代でも言えることだが、力づくで襲われたなら
やはり女性は力では男性に敵わないのだから…


そして、二人の間に生まれた子、タケミナカタもまた封印された神であることからも、察しがつく。




当時、翡翠は豪族たちの
権威の象徴になっていたとされ
翡翠の産地である越の国にとって
重要な資源になっていた。



そこに目をつけたのが、大国主命である。


そう、大国主命が出雲島根から越の国新潟まで遥々出向き
断られても熱心に求愛し続けたのは
単に、ヌナカワヒメが美しいからではなく
翡翠を手に入れることが本当の目的だったのだ。


大国主命はヌナカワヒメに翡翠の産地や
加工技術などの機密情報を聞き出そうとしたが
ヌナカワヒメは決して教えることは
なかったという。



それゆえ、追い詰められ
最後は自害という悲劇に繋がるのだが




「いいように使われた」



そう、これはまさに
「自分という存在」を愛するのではなく

「翡翠」を手に入れるための
「道具」とされたヌナカワヒメの
深い深い悲しみと怒りであった。




「わたしのこと忘れないでよ!!」
という叫びもまた、
人々の目が翡翠に眩み

翡翠と通しての「自分」という
見方しかしてもらえないことに対して


「もっと、わたしを見て!!」

「わたしそのものを見て!!」

という悲痛な叫びであり
たったひとつの純粋な願いだったのだ。




きっと、誰にでも経験があるのでは
ないだろうか?


ルックス、地位、名誉、所有物、肩書きなど
自分という存在そのものではなく、
それ以外のフィルターを通して
自分を見られることの辛さを。


例えば、自分の親が大企業の社長であることで
自分ではなく「社長のお子さん」
というフィルターで見られたり


女性であれば身体的特徴により、
中身ではなく、身体ばかりに目を向けられたり


ヌナカワヒメの悲しみ、怒りも同じだったー


「どうせ、みんな翡翠目当てなんでしょ?
だったら、こんなものなくなってしまえばいい!!」



ヌナカワヒメの「ヌ」は「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の「ニ・瓊」、と同じく、輝く宝石がもつ呪術力の意味があり翡翠(ヒスイ)のことを古代はヌナタマと呼んでいました。
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/16373808


これを読んだ瞬間に電撃が走ったー



ヌナカワヒメはヌナタマヒメであり
翡翠は、ヌナタマヒメが
生み出したものだったのだ



本当は大好きな翡翠。
なぜならそれは自分の一部だから。


でも、いつしか人々は権威の象徴としての
翡翠に目が眩み、目の色を変え
奪い合うようになった。


「そのために、生み出したわけではないのに…」


さらには、生みの親である
自分にはだれも目をくれず
生み出した翡翠ばかり、注目された。



「生み出したのはわたしなのに…
わたしなのに…」



いつしか、自分が生み出した
美しき翡翠という存在を
疎ましく思い、憎み
生み出したことを悔やんだ。



わたしも罪、翡翠も罪



として


命を断つことで
翡翠と共に自らの存在を封印した
翡翠ノ女神 ヌナタマヒメ



それが、1000年の空白の真相であるー



大国主命に産地や加工技術を教えることを
頑に拒否したのは、ヌナタマヒメの
せめてもの抵抗であり
自分=翡翠を守るためであった。




再び姿を現そうとしたヌナタマヒメ

1939年 6月に糸魚川で翡翠が再発見された。

なぜ、自らを封印したヌナタマヒメが
1000年の沈黙を破り、再び姿を現したのか?




1939年 9月 第二次世界大戦勃発



再び「争い」が始まる直前に
姿を現したことは
偶然だとはどうしても思えないー




わたしには


「悲劇を繰り返さないで」


「権力や所有ではない、
翡翠の時代=縄文を思い出して」


というヌナタマヒメの祈りであり
警告だと感じられて仕方ないのだ。



しかし、ヌナタマヒメの声は届かず
戦争は起き、悲劇は繰り返されてしまった。



「止めようとしたけど、止められなかった」
その言葉がわたしの琴線に触れた。


1000年の時を超えて、声をあげたのに
聴いてもらえなかった…

わたしの声は誰にも届かない…



そうして、再びヌナタマヒメは
自らを封印したー



つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?