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満月カルテット10.20

春のことを振り返る - その1

4月30日、神保町試聴室にて石川高さんをお招きして満月カルテットの公演。今回から舞台のイメージを共有する手引きとして、満月カルテットのnoteを開設してプログラムノートを書いてみることに。ライブ会場ではご来場いただいた方にnoteのQRコードを読み取っていただきました。それから、満月カルテットのZINEもセットでプレゼント。

ちなみに満月カルテットZINEですが、吉祥寺のブックマンションの満月カルテットの本棚よりお買い求めいただけるはずです。私はAX(アナログトランスフォーメーション)について書いてみたのですが、noteで今後もうちょっと掘り下げて書いてみようかと思案中。

さて、今回の公演テーマは石川高さんがゲストということで、平安時代に編纂された和歌集などから選ぶことにしました。笙が盛行した時代の文学に目を向けてみようという計画です。満月カルテットらしく、選ばれた2首どちらも月に関連する歌となりました。

ひとつめは西行による
『ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん』

完全即興ではなく、AとEの完全5度を基本的に用いるルールに基づき演奏することに。しかし時折発することのできる不協和な音程が、完全音程によるスタティックな時間を推進させる逆説。

ふたつめは白居易の漢詩から一節
『琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君』

石川さんのソロアルバム「青の静寂」に収録されている朗詠を聴きながら、和漢朗詠集をめくっていて見つけたもの。自然は恒久の輪廻であり、人の付き合いは儚いという価値観の対比ですが、いまは人類の努力なくして自然も恒久の輪廻とは言えなくなってしまったな、という前提を演奏前に共有したりしました。

おまけ。私の主催するプロジェクト、winter light ensembleでは石川さんに笙を吹いていただいているので、ファーストセットの最後にアンサンブルの曲を満月カルテット版アレンジで2曲演奏しました。アンサンブルのアルバムタイトル「永遠と一日」はアンゲロプロスの映画から取りましたが、ここには季節の循環と過ぎゆく時間の痛みという意味を重ねています。なんとなく白居易の詠んでいることと通じ合う部分があるように思うのです。

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