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どう死にたいかではなく、どう生きたいか

おはようございます。Otoyoです。

看護師のJOさんのラジオを聞いていて、
ACP(人生会議)について、しっかり考えたことが無いことに気付き、
自分なりに考えてみたので、
思考整理と備忘録のために書いています。


そもそもACP(人生会議)を知らない方のために一言でいうと、

ACP(人生会議)とは
どんな死を迎えるかについて大切な人と話し合う作業のことです。

正直、僕はこの言葉を授業や実習を通して知っていながらも、
誰かとこういった類のことについて真剣に話し合ったことはありません。

その理由としては、
健常者の僕が話し合う必要性がないと思っていたからです。

でもJOさんのラジオや今まで見てきた救急現場、そして救命処置を考えると、健常者であっても考えるべきことだと感じました。

交通事故などで明日突然命を落としてしまうことは十分にあり得るからです。

ACP(人生会議)というと、
何だか亡くなる直前に行うイメージが強く、ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、
僕はそうは思いません。

むしろポジティブなものだと思います。

なぜなら、
どう死にたいかを考えることは、
どう生きたいかを考えることだと思うからです。

最後の瞬間、自分はどのように迎えたいのかを考えることで、

自然と「そのためにどうやって生きていこう」という思考になります。

これこそが人生会議の本質だと僕は思います。

そしてそれを踏まえた上で、
どのような死を迎えたいかということは、
自分のような健常者でも考えた方がいいこと、
いや、
考えるべきことなんだと思います。

その理由としては、
自分が大切にしていることや
人生をかけてでも達成したいことを見つめ直すきっかけになるからです。

そしてもう一つの利点としては、
延命処置などの決断を迫られた大切な人の罪悪感を軽減できるかもしれないということです。

大切な人の生命を左右する決断をすることは
非常に精神的負担が大きく、また「本当にこれで良かったのだろうか」と心悩ませます。

そんな時に以前から自分の意思を共有しておけば、
その大切な人の決断の後押しにもなり、
多少心苦しさを軽減できるかもしれません。

そういった意味でも
健常者や僕のような若者が延命処置などのことについて考えることは重要だと思います。

でも健常者や若者にACP(人生会議)をしましょうというと、
具体的なイメージも湧かないでしょうし、おそらくやりません。
看護師見習いの僕でもやらないです。

だから、
この記事が大切な人と気軽に話してみたりするきっかけになればいいなと思います。
そしてそういう機会を持てることが大切なんじゃないかなと感じました。


ちょっとまとまりのない文章になってしまいましたが、
今後、自分のような若者を含めた多くの人が、
人生会議やそういった話を気軽に出来るように働きかけをしていきたいなと思いました。

では、さよなら!

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