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3回目の調停

今週3回目の調停が行われました。
財産分与等の話し合いも行われることから、金融機関や保険会社から書面を集めるなど準備を進めていました。父が亡くなった直後などは、葬儀屋さんと打合せをしたその足で金融機関に行き、残高証明書の申請手続きをするなど、バタバタした日々を送っていました。

調停は思うようには進みませんでした。
財産分与は…妻側が必要書類を用意していなかったため、全く進みませんでした。こちらは全て用意していたのに、話し合いをすることもできないまま次回に持ち越されました。婚姻費については、妻側が引き上げを求めてきました。それに対して私の弁護士は真っ向から反論…双方とも計算方法や判例など持ち出して話し合いましたが、折り合いがつかず審判に移行するかもしれません。妻と子供たちが住んでいる自宅の住宅ローンも私が払い続けていますので、婚姻費と合わせると結構な額になります。それでも私が妥協すれば、この不毛な話し合いが終わるのなら…という気持ちもよぎりましたが、納得いかない部分が大きいため、弁護士とも相談して、安易な妥協はしないことにしました。妥協できる部分はしますが、やはり正しいと思うことを主張していこうという姿勢で臨むようにしています。

心配なのは子供たちの状況です。特に息子は2学期は学校も休みがちだったようです。私が原因で子供たちが精神的に不安定になった…というのが当初からの妻の主張でした。そのため、子供たちのために…ということで別居に至りました。別居後、私と子供たちは2年以上の間、一度も会っていません、話しもしていません。手紙のやり取りも昨年4月を最後に行っていません。それでも子供たちの症状が良くなっていないということは、私との因果関係が本当にあるのか…別の要因があるのではないかと思わざるを得ません。やはり夫婦関係の悪化等が子供たちを不安にさせたのではないか…と思います。まずは夫婦関係を清算して、離婚を成立させたうえで、その後、金銭面の支援は当然に行っていきながら、焦らずにゆっくりと子供たちの意思を尊重しながら、再び会える環境を作っていきたい…と考えています。

毎回、調停後はぐったりします。
無力感、焦燥感等の感情に襲われて、何とも言えない不安定な状態になります。調停の翌日、久々にメンタルクリニックに行きました。父が亡くなったこと、3回目の調停が行われたこと、いま感じていること、日常生活のことなどを淡々と話しました。特段生活に支障はなく、仕事も多忙だけど普通にこなしていて、食欲はあり、夜も薬に頼るけど眠れていて、朝の目覚めも悪くないことなど伝えたら、医師からは「この状況で本当によく頑張っている、あなたは自分で思っているよりメンタル強いよ、もっと自信持って良い…」と言われました。

実際に私がメンタルが強いのかは分かりません。もしかしたら、とっくに限界を超えていて振り切れているだけかもしれません。でも一つ言えることは、数は少ないながらも私を支えてくれる人たち…母、親族、友人、仕事関係者などがいて、その人たちの存在がなければ、私は日常生活を送れていなかったし、生きていたかも分からないとうことです。人に依存したり、判断を委ねてしまっているわけではないのですが、頼れる人、話を聞いてくれる人がいるということはとても重要で、むしろそういう存在を持つことが「自立」と言えるのかもしれません。必ずしも一人で何でも解決できてしまうことが、自立ではないと思います。別居後、私は人に頼ってばかりですので、いつか恩返しをしつつ、自分も人から頼られる存在になれたら良いなと思っています。

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