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理想という病【SF短篇】

ラジオはテレビより生き物に近い存在みたいだな、とハヅキはいつも思う。テレビのような視覚的な訴えかけのないところは、コトバを武器とする人間の意思表示にそっくりだ。それに心臓の鼓動のように放送の止まる日はなく、もし止まったとしても年に一度程度のメンテナンスの数時間だけに限られる。

マイクのスイッチを切って、次のパーソナリティと入れ替わる瞬間、彼女は声を奪われることの居心地の悪さにいつも襲われる。わたしが居なくなる世界で、別のわたしが知らないコトバでリスナーと交流しはじめるように感じる。といってもその違和感は瞬間だけで、「お疲れさま」とスタジオを抜け出た頃には不安は跡形もなく消えている。生き物の一部としての役割を終えて、鰓呼吸から肺呼吸に切り替わった肺魚のように、ハヅキはさっきまでの水中生活の喜びや不安の一切を考えなくなる。それはそれで構わないと彼女は納得していたし、彼女にも趣味や恋人やその他いろいろな身の回りの世界に生きることが大切だった。

現実に戻ったハヅキは、その日は陽気なチャイコフスキーの音楽を流すカフェに初めて立ち寄った。店内はほぼ満席で、ほとんどがおひとり様の客だった。セルフサービスで先に会計を済ますと、店内のよく見渡すことのできそうな奥の席を確保した。モーニング(彼女の生活サイクルでは晩ごはんにあたる)を摂りながら、ほかの席の様子を注意深く観察した。もちろん彼らが送る生活サイクルを見抜くことはおろか、性格や経済事情を知ることもできるわけはない。それでも彼女は彼らのことが無性に気になった。

彼らは十中八九、ハヅキの放送するラジオを知らないだろう。知られていないこと自体は彼女にとって孤独でも失望でもなく、ただ当たり前だった。火星でも例外なくラジオはテレビよりマイナーな存在だったので、放送を知る人は限られている。ハイウェイトラックの運転手や、火星人リスナーの多さが投稿の傾向からはっきりしている。

火星人。彼らはみな口をそろえて、火星人だと名乗って投稿していた。電子メールの時もあればプリントアウトした手紙、時にはペン書きのものもあった。自称火星人のアカウントや住所を見てみると、数人程度のいたずらではなく、少なく見積もっても数十人にも及んでいた。

ラジオ局「ようこそ火星へ」の社訓には、「火星で耳を澄ますあらゆる人たちのために」を第一に掲げている。だから、地球からの開拓者であれ、火星人であれ、火星に暮らす誰にも喜んで呼びかける。「でも、火星人ってなんなの?」と彼女は冷静になって考えることがある。スタッフたちはジョークだと言って、ただのペンネームの流行りにすぎないと片づけている。だが、ハヅキは心のあちこちで引っ掛かっていた。手紙を声に出して読む立場だからこそ、そこに感じる微妙なズレを知っていた。想像するだけで滑稽だとわかっていても、軟体動物の姿の火星人がペンを握って便箋に字を書いたり、キーボードを叩いている姿が浮かび上がってくる。そのたびハヅキは妄想を振り払う。

これまで火星人たちから、いろんな投稿が送られてきた。火星人が羊羹店の食べ歩きを自慢したり、『ツァラトゥストラ』の読後感想を送ってきたり、ハリウッド映画よりヌーヴェル・ヴァーグが大好きと書いてきたり、カレーライスはカツカレーが最高と写メで送ってきたり、廃屋を利用して放牧業を営んでいたり、風邪をこじらせて入院したのに手違いで虫歯を抜歯されたり、ハイドンの交響曲第6番『朝』をリクエストしてみたり、一番好きな乗り物は自転車と回答したり、ミドリムシ属の生態研究に没頭したり、火星人の手のひらの形態にあわせたマウスを設計したり(添付写真ではグローブみたいな形だった)、足し算と引き算のない数学理論を講演したり、推しの作家が芥川龍之介(『河童』が特にお気に入り)だったり、地球人から学んだ自作の鉱石ラジオに夢中で聴き入ったり、トウモロコシを食用だと知って死ぬほど驚いたり、カンディンスキーとモディリアーニとユトリロの展覧会をはしごして夢中のあまり干からびて病院に担ぎ込まれたり、息子がピアノ教室に通い始めましたと報告したり、幽霊ってほんとうにいるんでしょうか? と質問してきたり。

やっぱり、そんなことはあり得ない、と彼女は自分を説得した。

ハヅキのなかで、火星人は火星人らしくあるべきだった。彼女は電波を通じて火星人と対話していると心のどこかで信じようとしても、投稿内容から垣間見る著しく世俗的な火星人の姿に戸惑っていた。高尚な音楽と凡庸な作曲家の人物像の対比と似ていて、その素の表情を知るのであれば火星人である肩書は伏せて読みたいとすら思った。それは理想を崩したくないだけの自己中心的なことだと彼女も理解しているが、心のなかで理想ほど壊しにくいものはない。いつまでも昔ながらの火星人が彼女の心に住み続けていた。

先週、こんな投稿があった。

「最近のマイブーム、というお題に、初めてメール投稿します。わたしも火星人です、どうぞよろしく。ペンネーム希望《ガスパールの昼寝》でお願いします。毎朝、ウォーキングの後に立ち寄るカフェがあります。そのカフェはプラタナスの並木沿いにあって、陽気なクラシック音楽ばかり流すシックなお店です。つい正体バレしてしまうほど居心地がよくて、それだけが悩みの種です。おすすめはモーニングのBセット(玉子サンドとトマトサラダ、熱々のコーヒーはおかわり自由)で、これほどボリュームのある濃厚な玉子サンドはなかなかお目に掛かれません!だから、ハマっています。ハヅキさんもぜひ食べてみて下さい」

店内に流れる陽気なチャイコフスキーが、やがて陽気なバッハになり、さらに陽気なシューベルトになっても、ハヅキは店内の様子を注意深く観察し続けた。この店に間違いはなかった。だが、投稿には性別も年齢も記されていなかったので、目安とするもののない大雑把な人探しだった。それにほとんどの客がBセットを頼んでいたため、食べているメニューから割り出すことも不可能だった。

「いつか火星は身を潜めている火星人たちで、溢れ返る日が来るかもしれない。彼らは地球人について理想を持っているだろうか?」ハヅキはそんな疑問をふと抱いた。

今のハヅキが掲げている高尚な火星人たちの夢と同じようなイメージを、彼らは地球人に見るだろうか? 地球人は社会を築くことに労を惜しまず、青い空を愛している、と彼らは信じるだろうか? その答えはすぐに出た。「とっくに見抜かれてるよ」と。地球人ほど内面の変化のわかりやすい生命体はいないだろう。何をたくらみ、何を求めているのか、言動のひとつひとつから滲み出している。地球人に対して高尚な夢なんて見るものか。

だからこそ、彼らはまるで歩き慣れた旅人のように、なんの抵抗もなく等身大の地球人の生活を堪能して投稿で知らせてくるのだろう。

食べ終わったトレイを所定の場所に戻しながら、ハヅキはさらに考えた。もし、今店内にいるすべてのお客さんが火星人だと自己紹介してきても、驚いたり失望してはいけない。相手について彼女が無知なだけなのに、目の前の姿を「思っていたのと違う」と遮ることはあまりにも身勝手すぎるだろう。求めすぎてはいけない。ここに私たちがいるというそれだけでも、それは特別なことではなく、日常生活のごく当たり前の風景なのだから。

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