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セッテナーレ(Settenale)

「本日のアートシーンは、最新の演劇の話題をお送りします。火星芸能を追って二十年のフリーライター、すみかすみさんにお越しいただきました。よろしくお願いします」

「どうぞよろしくお願いします。今回の演劇は、火星では珍しく屋外を舞台にして、砂と荒れ地だけのP7K4丘陵地でおこなわれたものです。舞台建築らしきものを一切使用しない開放的なものでした」

「その場所を衛星写真で確認すると、今でもまったく人の手の入っていない土地のようですね」

「その通りです。最近は火星でも珍しくなってきた、すごく寂れた土地が使われています。このイベントを主催しているのは、有志の旅芸人たち三十人のグループです。実は、今回が五回目の開催で、七年おきに定期的に催されているセッテナーレ・イベントとして知られています」

「へえ、初めて耳にしました」

「ご存じないのも無理はありません。ほとんどメディアでの告知はされていなくて、チケットは口コミでしか入手できないイベントだからです。それに七年も経てば前回の興奮も収まってしまいますからね」

「不思議な上演形態ですが、いったい、どういう演劇グループなのでしょうか?」

「普段は二、三人で各地を回る辻芸人ばかりです。七年間隔という期間が何を意味するのかは主催者側では敢えて伏せられていますが、あたかも周回軌道をまわる小惑星のように三十人が必ずここに集まってきます。そして彼らが集団で演じるのが、この大きなイベントなのです」

「全部で三枚、その時の写真をお持ちいただいたのですが、まず一枚目のこの写真・・・うわあ、あああ、荒れ地に数えきれない数の案山子が点在する写真です。圧巻ですね。なんというか、この光景だけで言葉を失ってしまいます」

「これは《火星の陽気なマクベス》の一場面です。上演内容はシェイクスピアの原作《マクベス》とは別のもので、承認欲求に憑りつかれた主人公が、未知の惑星~つまり火星という設定なんですけれど、そこで言葉の通じない火星人と交流していくというお話です」

「そうなると、この案山子たちは、まさか・・・」

「そうなんです、案山子たちはどれも火星人たちを表しています。ただの荒れ地に突き刺さっているだけの単純な舞台装置なのですが、演者の躍動感あふれる身体表現とセリフ回しによって、観客からはいつも動いて感じられて、それはとても不思議な演技でした」

「写真で拝見しているだけでも、生き生きとしていて動き出しそうな雰囲気ですね」

「本当は動いているんじゃないか、ひょっとして動いていないと信じようとするほど観客は騙されているんじゃないかと疑ってしまうんです。裏返しのトリックみたいな」

「ついで二枚目の写真に移ります・・・うわあ、これはあ、こちらも壮観ですね。荒れ地に正方形のテーブルが、一定の間隔をとりながら、すさまじい数で配置されているのですが」

「はい、こちらは《トリスタンとイゾルデの末裔》の舞台です。それぞれのテーブルの上には、一つずつ木の器が置かれています。それぞれの器にはそれぞれの薬が盛られていて、主役の兄妹の演者はそれぞれの毒に身を焦がしながら、恋や生きること、死や未来のことを知り語っていきます」

「あれ? この二つの劇は、同じ日に開催されたんですよね」

「そうです」

「《火星の陽気なマクベス》と《トリスタンとイゾルデの末裔》のあいだの休憩時間に、これだけ多くの案山子とテーブルを並べ替える膨大な作業があったのですか?」

「実は、舞台装置の入れ替え作業は、一切ありませんでした」

「それは、どういうことですか?」

「二つの劇は、異なる舞台を使用していたのです。舞台装置の案山子の群れは観客席から見て西の方角に、そしてテーブルの群れは東の方角に向かって、見事な扇状に設置されていました。午前と午後の日当たりを天然の照明としていたのです」

「そうでしたか。それでは最後の写真です・・・あああ、無数の案山子が夕暮れの荒れ地を浮遊していますね、これは?」

「《トリスタン~》の最後の場面で、兄と妹が天上の国の向こうに『さらに何かが見える』と言って旅立っていく場面です。その瞬間、それまで背後に置かれたままだった案山子に、なんらかの装置(おそらく風船)が仕込まれて一斉に飛び立ったのです」

「こんなの見せられたら、心に残りますね」

「同じ演劇はしない方針だということで、現実の世界がそうであるように二度と再現されることのない、貴重な体験だといえます」

「本日は貴重なお話を、ありがとうございました。解説はすみかすみさんでした」

「こちらこそ、どうもありがとうございました」

「アートシーン、提供は火星テレフォノでお送りしました。また来週」


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