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「躾」

「さすが、荒削りなサイキックだわ」と私。
これはと思う妖しい話題を見つけると電話する友人につけたあだ名です。敢えて荒削りなとなったのは。ことば通り繊細ではないと言いたかったわけです。そんな悪態をつける間柄だからこそのあだ名でもあると気に入っています。多分、友人も。

このあだ名を口にするのは私。耳にするのは友人です。口にするのと耳にするのでは微妙に意識が違うのを教えてもらった出来事がありました。

友人の友人にこんなあだ名を付けた友人がいると話題にしたとき。なんとしても「荒削りな」のことばが出てこなくて困ったというか驚いたことがあったそうです。

あんなに何度も耳にしていた自分の分身のようなことばが。どうにも最後まで思い出せないものだから。自分の表現で似せてみたというのです。

いったいどんな偽物が登場することになったのか。名付け親としとはもちろん興味深いところです。

「なんて言ったの?」
「躾のできていない犬ってなっちゃったのよ」

いつも友人が耳にしていた
荒削りなは躾のできてないに
サイキックは犬になっていました。笑

友人曰く、いつも聞いている馴染みあることばだったけど。 自分のことばではなかったんだね。いざ、誰かに伝えるとなったら出てこなくて不思議だったわ。といつの間にやら物忘れの話しが不思議な話しになっていますが。最高におもしろい話しになっていて。私は大喜びで聞いていました。

確かにことばには何種類かあるように思います。知識としてのことば。
情報としてのことば。
感情のことば。
どんな通路で人に入ったことばも自分自身の経験のフィルターを通りながら。オリジナルのことばになってゆく。ひとつのことばは人のなかで変化変容しながら自分の一部になるような気がしました。

「荒削りなサイキック」は同時に
「躾のできていない犬」でもある。
どちらもひとりの人を表現していることばです。
これが、ことばの神秘的なところなのかな。

ことばの変化変容もあれば
嬉しい変化変容もありました。

4年越しの観葉植物ウンベラータの剪定をしました。2メートルほどまっすぐに成長した幹に挟みをいれるのはドキドキでした。でも、うまく行くことだけ考えて。切口から新しい芽が育つのを楽しみに待つ日日でした。


続く命

先週くらいから。たくさんの芽が膨らみ黄緑色の葉っぱが次々に生まれました。


根っこもでてきた


切り取った方の幹も水のなかで根が出てきました。
土に還す日も近いです。この夏の暑さを一緒に乗り越えた仲間かと思うと愛おしい存在ですな。


昨夜のお月様








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