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足が痛い

最近イボ治療に通っている。右足の裏にいる彼とは小学校くらいからの付き合いなので、記憶の改変が行われていない限り10年以上の仲である。中高の友人より長い時間を、このイボとは過ごしているわけだ。俺の人生の色んなことを俺の足の裏から見守ってくれていたイボである。
イボとは、イジイジ触るために存在するものだ。俺は当然、日々イジイジしていた。
(医学的には絶対にイジイジ触ってはいけません)
あぐらかいてイジイジ。風呂に入りながらイジイジ。靴下脱いだ勢いでイジイジ。寝る前ベッドの中でイジイジ。テレビ見ながらイジイジ。ジョジョにハマった時には「これエンプレスみたいにならないかな」と思いながらイジイジ。好きな子ができた時なんて、「俺なんて彼女に釣り合うのかな?」とウジウジしながらイジイジである。
そんなイボと別れることになったのは、この冬の乾燥で足の水虫の薬が欲しいと皮膚科に行ったからだった。水虫の塗り薬下さいっつって足出したら、イボも治しなさいと言われたのだ。むしろイボがメインで来たと思われたくらいだった。イボがあるけどそれを置いといて水虫だけ治すのは皮膚科の先生としてはありえない。まあそりゃそうだと言う話である。俺の人生でイボが悪さをしてきたことは1度もないものの、いつか別れなければならない時が来ると覚悟はしていた。いよいよこのタイミングなのだなと思った俺は、じゃあいっちょ治療してくださいとお願いした。通院スタートである。
週一で皮膚科クリニックに通い、足裏のイボに液体窒素を当てる。これがまあ、耐えれるけどなかなか痛い治療なのである。液体窒素で冷やされることでどんどん痛みが強まってきて、最終的に我慢できるギリギリの激痛がほんの一瞬だけ発生して終わる、ジェットコースタータイプの痛みが襲う治療である。小学生の俺なら泣いてた。怖くなっちゃって通院もできないだろう。大学生の今でも痛くてちょっと泣いちゃいそうだもん。泣かないけどねもう大人だから。怖くもないし。我慢できる。
問題は治療後である。液体窒素で足裏がジンジン痛い。何もしないでも痛い。足動かしたらもちろん痛い。それに絆創膏貼って、靴下履いて歩くけど、ずーっと痛い。右足に負担がかからないように、2日間くらい歩き方が変になる。「歩き方変だな」と思いながら歩くのが、なんだか凄いイヤ。気分として嫌だ。何をしていてもずっと「足痛え〜」と思いながら生活している。嫌だ。「右足に違和感あるな〜」と思いながら生活している。嫌だ。何より、治療している、治しているのに却ってめちゃくちゃ痛くなっているという状況が、なんだか理不尽に感じてすこぶる嫌だ。
イボで嫌な思いは今が人生初である。痛くなったこともないし、邪魔だと思ったこともない。足の裏は完全に自分のフィールドで、誰かに見せるのも皮膚科の先生と風俗のお姉さんくらいだ。軽い気持ちで治しますと言っちゃったことを、ちょっと後悔もしている。
でも2ヶ月くらい通って、いまさらやめるわけにもいかない。多分完治寸前の今が一番痛いんだと思う。イボの人生もいよいよクライマックス。イボが俺の足からいなくなりたくないと、血豆になって必死で俺に叫んでいるのだ。かわいそうなぞうのトンキーの芸と一緒。俺にはそう見えてしまう。飼育員の俺は泣きながら、国の要請のためにイボを見殺しである。心のどこかでは、早くいなくなってくれとさえ思っている。かわいそうなイボ。
関係ないけど「かわいそうなぞう」ではなく「そして、トンキーもしんだ」じゃなかったか?どっちもあるんでしょうけど、俺はたしか後者の絵本を読んだ記憶がある。そして、で始まるタイトルなんてあっていいのか?!って衝撃でなんか覚えている。もしドラみたいな。そしトン。笑い飯のネタでもかわいそうなぞうあったな。「かわいそうな、ぞ」「う、言えや!」っていうボケを今でも覚えている。
トンキーたちは、戦争が無ければ死なないまま上野動物園で天寿を全うできたはずなのだ。戦争さえ無ければ。戦争反対。綺麗事だけど俺は戦争反対を叫びたい。綺麗にしていればイボも水虫もならないって、皮膚科の先生に言われたから。俺今後は今まで以上に足の裏も首の裏も石鹸でゴシゴシ洗うって、先生と約束したから。
NO WAR NO イボ
綺麗で素敵な世界を目指したい。足痛え〜。

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