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身近な死について考えるお年頃

私の母は8人兄姉の末っ子で齢80を超えている。
残党は二人、90歳の伯母と88歳の伯父でそれぞれ独居生活をしている。
伯母はもうスイミングをやめてしまったが、伯父は肝臓を110gほどゴッソリ取った10か月後にはゴルフコースに出ている。
母にいたっては、カラオケ教室の発表会で忙しそうだ。

先日ミッシェルのチバさんが亡くなった、私と同じ年だ。
10月には友人のオナンちゃん(スペルマーメイド)が急逝し、1年に二人くらいは友人知人がこの世を去るお年頃になった。看取り世代というのもあって悲しみとは別に、「死」という現象に慣れつつある。

 一年前に子供がいない伯母の看取大作戦が決行され、姉と私で京都に幾度となく通った。姉は介護職のため伯母本人の世話と施設との交渉等を担当、私は事務処理能力が高いので公的な身辺整理と相続関連の法務仕事をわけていろいろと片付けながら伯母を94歳で見送った。
 彼女は伯父が亡くなってから30年弱、生涯独居だった。

 人が死ぬ、という事象はものすごい影響力を持っていて、肉体が現世から消えるという身近な人間からしたら大事件なわけである。
話すことも会うこともできない次元に、その個体のエネルギーがいってしまうわけで、あとはお空の星と話す以外に方法がなくなる。
喪失感たるや、近しければちかしいほど、大きくのしかかってくる。

 伯母の住んでいた家は築120年くらいのボロ家で、味わい深すぎる京都の一軒家だった。その家を片付けるのは、私の仕事だった。

ここで、ジョンレノンのイマジンの出だし。

 想像してごらん?
 120年の家族の歴史と荷物がつまった5LDK二階建てを…

私一人では到底無理なので、関西圏の友人たちにSOSを出し紹介していただいた「関西遺品整理センター」さんに片づけ相談を依頼。
その節はありがとうございました、工藤さん!ありがとうありがとう!
3回ほど京都に通い打ち合わせ、こちらの都合に合わせて日程を組んで、丸二日間で総勢8名で一緒に片づけをしてもらった。
2トンロングトラックに3台。
それはそれはものすごい荷物で、ひとつづつ取捨選択する暇もなくとにかく詰める、捨てる。
段ボールを捨てるための段ボールほど空しい存在はないのではないかとか思いながら、ゴミ袋を結びすぎて手首を痛めるなんて経験はしたくなかった。

 伯父(生きてたら103歳)の姉たちの婚約時の水引きが3箱、結婚式の写真ごっそり、明治40年くらいの日付の家計簿…鍋窯、謎の機械、大工道具、古い家あるあるの布団が十数組、夏用座布団、冬用座布団…古ぼけたスーツ。右から左へ通り過ぎていく「不用品」の数々を目にしながら思った。
伯父にとって大事な家族の思い出でものすごく意味がある品々なのに私には「遠い親戚の不用品」だ。そりゃ捨てるよね、と。

『彼を識る人々が一人ずつ死んで行くにつれて、彼の生きる幽明界は次第に狭くなり、最後の一人が死ぬと共に、彼は二度目の、決定的な死を死ぬ。この死と共に、彼はもはや生者の間に甦ることはない。』 草の花・福永武彦

伯父の育った家庭のことを覚えている人はもういないだろう。そういう意味で伯父の母親も父親も、決定的な死を死んだ。
私にとっての第三親等であった伯母の、配偶者たる伯父の思い出は私の中にはまだあって、伯父には第二の死はまだ訪れていない。しかし伯父を取り囲んでいた大事な彼の人生の諸々は血のつながらない姪の手によって、バラされて廃棄されていく。幾ばくかの感慨を手向けに、手首の痛みと共に捨てられていった。


人生というものは非常にドメスティックで、それを認識している脳が不在になった瞬間から大きな意味では「無意味」に近い。その人が存在していたこと自体を知らない人間がほとんどなのだから。
伯父の姉がどんな人だったのか知る由もない姪の私は、ハイハイこんにちわそしてサヨウナラ、と遺影を捨てる。罰当たりである。
そしてふと思う、命を軽視するという意味ではなく、そんなに「人生の終わりである死」を重視しなくても大丈夫なのではないかと。
実際に「生きていた存在の痕跡」をこんなに軽く扱っているのだから。
一人の人生はその人や周囲の人にとってものすごく大きな出来事でも、大意としては「そんな大したことでもない出来事」だったりするのではないか。
視点の違いではあるが、そう考えたら悲しいのとは別に、6トンの遺品片づけをしながらも私は一種の安堵を得た。
私の人生も別に大したことではないのならば好きにやりゃいい。
私のものなのだから貴重品扱いせず、終わりまで自由で良い。
そういうことか、と。

 そして、BUCK-TICKの櫻井さん、ミッシェルのチバさんのことを考える。
彼らの第二の死は100年経ってもこないんじゃないか。
そういう人もいる。
「そうじゃない人」の人生の終わりで感じたことを、書いてみた。

伯母の家は、先日京都の染め物工場さんが買い取ってくれた。
改装はされたとしてもショップかなにかになれば嬉しい。




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