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生温い日

 いつもふとした時に思い出す。
 TikTokやYouTubeをひらくと画面に映る女性。噛み付くともっちり伸びそうな雪見だいふくの表皮のような肌を見た時に。
 いつの間にか窓からぬるっと入ってきている街灯や車のライトが、間接的に部屋を青白く照らす深夜の布団の中で(その時僕の眼球は天井を眺めているのか、それとも宙に漂っているのか分からない)。

 あの日、ファミレスで、座った席の場所まで覚えている。
 それから数日経って、彼女は言った。
「あの時私は目の前にある水をかけてやるつもりだったのよ。だけど変に冷静な自分がいて、それはドラマっぽいなって感じちゃったの。だからメニューの横にあった紙ナプキンを全部掴んで投げつけてやったのよ。」
そういうところが、僕は好きだった。僕が彼女なら迷わず水をかける。水をかけて去って、自分に酔う。何の前触れもなく告げた別れ。有無を言わせない宣言。
「理由はないけど、別れよう。」
水をかけたっていいのに。リアリストな彼女は、そんな劇じみた行為を想像して恥ずかしくなったのだろう。彼女の美しいところ。
 最後に会った日に、5箱入りのBOXティッシュをくれた。「どうせ必要でしょ」と鼻炎の僕に一言添えて。ワゴンRで去る、彼女の最後。
 詩織とは大学一年生の冬に出会った。バイト先のレンタルビデオ屋で、新人として入ってきた彼女は、身長は低いのに大人びた顔つきで、化粧の仕業なのかSMクラブの女王様のような視線の鋭さがあった。何と言っても一番印象的なのは、その白い肌で、ひと目見た時から(僕の語彙力の問題なのだろうが)雪見だいふくの表皮以外に例える言葉が見つからなかった。
「どうもよろしく、門田です。」
レジ横で、習ったばかりの返却処理をやっている彼女に声をかける。緊張で膝が震える。
「あっ、どうも。よろしくお願いします。白石です。」
「それ、分かる?」
震える膝の音が世界中に響き渡りそうで恥ずかしく、両足の親指に目一杯力を入れて踏み込む。
「え、あ、はい。何とか。」
人見知りなのか、これが初めてのバイトなのか。大人びた顔つきと表情で気が付かなかったが、その挙動と、迷子の子供のような眼球の動きで分かった。彼女の挙動や眼球も緊張していることを世界中に叫んでいる。ロックバンドでも組もうか。ヴォーカル眼球、ギター挙動、ベース両足親指、ドラム膝。
「え、大学生?」
「いえ、高校生です。」
「お、まじか。眩しくて目が開けられないな。何年生?」
「開いてますよしっかり。3年生です。」
「はは。じゃあ、一つ下だ。俺大学1年。今度ご飯でもどう?」
実際、緊張で目の前は真っ白だった。何を話しているのか分からなかったし、何で話しかけたのか、どうして段階を踏まずに食事に誘ったのかもさっぱり分からない。ただ、彼女と話したかったし、食事にも行きたかった。一目惚れに近かったし、たまたまタイミングよく自分自身に勢いがあって空回りしているだけで、全ては本心である。
 彼女はこれまで一度も目が合わなかったのに、じろりと僕の目を見て、いや、ほとんど睨んで。
「チャラいですね。」
「だ、よね〜。まあ、よろしくお願いします。分からないことあったら何でも聞いてよ。うち客少なくて超、暇だけど、一応俺このバイト始めて一年だし、大体のことは経験してるし、分かってるつもりだから。」
「おごりですか?」
「え、あ、ごめん、えらそうだった?そんなつもりはなかったというか…」
「いや、ご飯。」
「えっ、あ」
僕の返事に被せるように、
「いくら暇でもあるでしょ、やること。掃除とか。」
店長のドラマチックな割り込み。
 膝の震えは止まっていた。

 初めてのデートは二人でオムライスを食べた。気合いを入れた整髪料の照り具合に詩織は苦笑していた。付き合い始めて「あの時の髪型、私の事を思って必死にお洒落してきたの?」と聞かれたが「いいや、あの髪型はセットをして初めて完成だから」と、わけの分からない事を言った覚えがある。詩織は笑っていた。
 付き合っている間、色々なことがあった。詩織は高校を卒業して私立の大学に進学した。自動車学校に通い始め、免許を取り、車を買った。「これでどこへでも行けるね。」と言う詩織に「そうだね。」としか返せなかった僕は凡人である。バレンタインの日に、僕のスマートフォンを勝手に見た彼女は激昂し、円盤のチョコレートを真っ二つにして踏みつけて出て行った。ピンクや赤の絵文字を多用する親戚の博子ちゃんというおばちゃんとのLINEを見たそうだ。僕は夜中の公園で号泣しながら釈明した。
 実家暮らしだった僕は、大学に近いアパートへ引越した。詩織は金曜の夜に車で訪れ、土日はそのアパートで一日中一緒に過ごした。それらの日々は、とても心地よく、満足だった。多分、これは、奇跡的なことなのだと理解していた。この穏やかさと温もりは当たり前ではないと常に思うようにしていた。なるだけ人に優しくしようと思えた。大切な人たちに幸せになって欲しいと思えた。
 それなのにどうして、少しずつ、彼女のことを疎ましく感じ始めた。土日には決まって詩織はうちに来ていた。友達と飲みに行くと言うと、微笑みながら「私もついて行きますよ」と言った。今週は少し一人で過ごしたいと言うと「何か気に触ることした?何かあったら言ってね。」と言った。僕はこれを嫌だとは思わない。むしろ詩織からの好意を感じていたし、僕はその好意を求めていたし、それに対して、僕は満足していた。それなのにどうして、少しずつ、僕は彼女と距離を置くようになった。好意と全く同じところに、嫌悪が存在していた。彼女は何一つ変わっていない。一目惚れしたあの頃のままだ。疎ましく思うのと同時に、あの頃と変わらない気持ちが僕の中に確かにある。飽きたとか、そんな安っぽい言葉では片付けられたくない。僕の好きなタイプは、僕が嫌いになるタイプでもあったのだ。

「理由はないけど、別れよう。」

 僕は大学を卒業し、仕事についた。休みの日は昼過ぎに起き、サッポロ一番の味噌ラーメンを作って食べる。夕方までスマートフォンを弄り、昼に使ったままの鍋でまたラーメンを作る。夕飯だから特別に卵を落とす。食べ終えた頃には陽も落ちていた。スマートフォンを片手に布団に横たわる。Facebookで彼女の結婚を知る。不思議と感情は動かない。知らない芸能人同士の結婚のように。しかし多分またいつか、ふとした時に思い出す。

#2000字のドラマ #3人目無理やり入れ込む

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