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嗅覚

生まれてから37年。とくに大きな病気もなく、剛健に生きてきたつもりなんだけど、どうやら嗅覚にはいささか問題があるらしい。僕はまったく気づかないんだけど、僕が洗濯したシャツから異臭がすると妻が言うのだ(事件性があるわけではない)。使っている洗剤や洗濯機が違うわけでもなく、同じものをずっと着つづけたというわけでもないんだけど、僕がやると勝手が違うようだ。干していると臭いと連呼されるので、ちょっと強めの洗剤で洗い直したら、まだじゃっかんにおうという。犬は人間の100万倍、猫は人間の数万倍くらい嗅覚があるというが、同じヒト族でもここまで違うものなのか。結婚というのは、自らの能力を可視化する良い機会である。

これは洗濯だけでなく、皿を洗うといった家事でよりいっそう問題になる。シャツであれば僕が着るのであまり影響はないんだけど、食器は家族のもの。多少鼻にツンときたところで、僕はまったく問題なく食べれてしまうんだけど、妻はそうでないようだ。悲しそうな顔をして、洗ったはずのコップをまた洗いにいく。彼女はこれまで僕のいたらない点について、ごまんと指摘してくれたが、最近はもうあきらめてしまったのか、その能力的欠陥を前提に生活を組み立ててくれているので、ありがたい。あいにく五感は鍛えられないのだ。僕は彼女ができないことや力仕事などに精を出すしかあるまい。

しかし思えば、鼻にはとても悩まされた幼少期であった。鼻炎という症状が頻繁に発生していたので、ズボンのポケットが破裂せんばかりにティッシュを詰め込んでいた。元栓を閉めようとするばかりに、ティッシュを鼻に詰め込んだりもしたので、そこで嗅覚がおかしくなってしまったのかもしれない。ただ妻の嗅覚能力が異常に高く、僕は平均値だという可能性もある。嗅覚検定があるわけでもないので(健康診断でもあったっけ)、自分がどのくらい「利く」のか、よくわからないけど、非常時に有毒ガスから逃れるのは遅れそうだ。そういった能力は妻に任せて(家族とは便利な存在である)、僕は自分の何かしらあるだろう能力を信じるしかない。

音楽は長らくやってきたので聴覚はいいんだと勝手に思っているけど、まあこれも猫にはかなわない。ベッドで起きると同時ににゃあにゃあと鳴き出すやつらの察知能力には、常々おどろかされるのだ。

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