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遅く帰る担任に教わった自分は遅く帰る教員になった

教員、とりわけ小学校教員は早く家に帰るべきだと思うんです。このテーマは世の中いろんな人がいろんな切り口から語ってます。石を投げたら定時退勤ツイートに当たるってぐらいに。空前のブームです。

自分も今からこの結論について根拠を延々と語るわけですが、それなりに自分の中でストンと落ちている根拠ですので、ちょっとだけ耳を傾けていただければと思います。傾けるのは目ですね。文なので。


時は1990年代まで遡ります。登場人物は12歳の頃の自分。母。そして6年1組で自分の担任をしていた男性教員。

自分は卒業担任であるその先生のことをだいぶ尊敬していました。面白く、力強く、人間臭く、学級を面白くし、時々大説教タイム。まとめると、愛のある人物であり愛を語れる人物でした。あ、漫画を描くのもやたらうまかったです。

その先生はのちに校長となり退職したと聞いています。いまでも尊敬している人物です。

その先生、面倒臭いので名前を振りましょう、「F先生」は毎日遅くまで学校に残っている人でした。学級通信を毎日出すスタイル。後々考えると学年主任もやっていましたね。当時は学年主任なんて仕事は知りもしませんでしたが。とにかく夜まで学校にいる印象でした。

そう、印象です。実際毎日遅くまで残っていたのかどうかは知りません。でもクソガキもとい少年だった自分の心には、「F先生=遅くまで仕事してる人」という印象が強烈にインプットされていたんです。

印象は色々な角度から作られ強化されていきます。
PTA役員の仕事をしに夜の学校に出かけていた母が家に戻り「F先生まだ学校にいたよ!」と自分に話す。印象は強化される。
夜のスーパーに買い物に出かけた母が帰り道に学校の窓の明かりを見つけ「6−1の窓、まだ明るかったよ!F先生頑張り屋ねえ!」と自分に話す。また印象は強化される。

冷静に振り返ってみれば半分母が作り上げたような印象ですが、自分にとって尊敬するF先生は夜まで学校にいる人というイメージだったのです。


時を2010年頃に進めます。自分は臨時教員として北海道の山間部で働き始めました。F先生を追ってるような追ってないような、よくわからない動機で気づけば教員になっていました。

駆け出しの教員なんてものは何の武器も持たない無力な存在です。特に大学でまともに勉強しなかったクソガキ系男子は。自分ですね。

何の知恵も技術も持たない役立たずですので、すぐに仕事は行き詰まります。そこで記憶を頼りにすがるのが、自分がこれまでに教わってきた歴代の担任の先生方の思い出。楽しかったことを自分も真似してみよう、そんな悪あがきをするのです。

自分が真っ先に思い出したのはF先生との6年生の一年間でした。自分は小学校教員なので、やはり手本にしたいのは小学校の先生たちの記憶。その中で強烈に残っていた、というか真似したいと思える尊敬できる相手がF先生でした。他の先生は正直覚えてない。いや、1年生の先生は覚えてるかな。優しすぎて教室をサファリパークにしたおじさん。優しくて好きだった。

話が逸れました。自分はF先生の真似を始めました。記憶を頼りに。授業や学級の楽しかった要素を一つ一つ抽出して真似ていきました。


そういえば、F先生は遅くまで残って仕事をする人だった。

遅くまで残って仕事をする教員はかっこいい。


この思考が自分の中に生まれました。生まれた?いやちがう。小学生の時点で自分の心の中には「遅くまで残って仕事をする人間こそ尊敬できる社会人だ」という価値観が作られていたのです。F先生の姿と母の言葉によって。

恐ろしいことに、自分は当時10時11時まで学校にいたわけですが、今思い返してみるとそこまで成果は出していなかったと思うのです。残業した時間の多さに対し、残したアウトプットの量も質も大して良いものではなかった。ダラダラ仕事をしていたということです。

ただ単に、「遅くまで残るべき」という選択だけが一人歩きしていたのです。

必要に迫られて残っていたのではなく。

残るものだと思って残っていた。惰性で残っていた。

そんな働き方をした20代前半でした。


昔話を終わります。

結局自分が言いたいのは、「小学校教員は子供たちに働き方を見せている一番身近な社会人である」ということ。

さらに、専門職として子供との関係づくりにも長けた存在ですから、与える影響もまた大きいのです。それこそF先生を尊敬した自分が迷うことなくブラック労働を自ら望んでやり続けたように。

小学校教員がブラック労働を見せると、子供達の中には「働く=ブラック労働」と脳に刻まれる子が出てくるかもしれません。

それじゃああまりに残念です。というか教育として何か間違ってる気がします。


小学校教員が見せるべきは、「早々と帰り、自分の時間で趣味を楽しむ姿」なんじゃないかな〜と思うんですよ。

「昨日もずっと学校にいたよ、やれやれ」という話を子供たちにするのではなく。

「昨日はスプラトゥーンで15キルしたけど試合には負けた!なぜだ!味方が悪い!」みたいな暴論を訴え、子供から「味方のせいにすんな!おめーの立ち回りの問題だ」とツッコまれるぐらいで良いと思うんですよ。


小学校教員は早く帰って人生楽しんでる姿を子供に見せたいもんです。そのために、仕事の生産性をあれこれ上げていかなきゃと思うんですが、まぁそれが難しい。現実は非情です。早く帰れませんが早く帰ろうとしましょう。おしまい。

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