見出し画像

両親との別れを 自分なりに向き合うことができた
そんなふうに 思えるようその時は 必死だった

3月初旬の土曜日 一緒に食事に行った際「麻痺」のような「異変」を感じ、週明けの定期受診で 医師に伝え「転移性脳腫瘍」発覚

転移性脳腫瘍
また 転移ですか

平成26年10月 大腸がんで父を送って 母が患ったのは 3年後のこと
毎日 お迎えに来てはくれないのねと言っては 哀しみの底から浮上できず 食欲は減り 身体はひと回りふた回りも小さくなって行った母

我が家に泊まりに来て 一緒に出かけることが楽しみだった母

平成29年 季節は 梅雨に入る前の行楽には過ごしやすい季節だった

どうしてそんなに 体力無くなったのよ (嫌だな〜おばあちゃんみたい)というのは 歩く姿を 意識する人で 美しい姿勢だった
なんでそんなにゆっくりしか歩けないのか 独居になり 行動範囲が狭くなると 人はこんなに虚弱になるのだろうか

鎌倉に行く予定だったが これでは無理だ

毎日 数千歩を意識してウォーキングしようね まずは体力アップをしていこうね
そうして 我が家から母のスピードで無理のない距離を歩いて ショッピングをして そんな程度の楽しみ方だけで 実家の足利まで送っていった

白内障の手術をする予定だったが
体調が優れず検査のための入院で 気を失った 貧血の原因が 大腸がん

お母さんは お父さんのような化学療法と放射線治療はやらないからね
8月に手術をして、転移もなく大成功と思っていたのに 、半年後に肝臓に転移していた
こちらの手術もがんは全て切除できたと聞かされていたので もう元気になる!そう信じていた

翌年 平成30年8月 母は80歳になった
私たちとラインをするために スマホデビューも果たした

母からのLINEを読み返してみよう9/7

今晩わきのうわ日赤病院でしたの(^_^)/
やっぱり肺に転移してました
来月私の治療法を決めなければならない
長生きする事ないしね
貴方もたいへんね
私わ治療に入れて2年かな


お母さんと まだ2年 旅行したり 食事行ったり出来ると思ってた
春休みに計画して

(意識がしっかりしている間にもっと会話をしておけばよかった)

3月半ばには「吐き気」で、食事が摂れなくなった
脳に転移性の腫瘍が見つかったのだ


「○○で鉄火巻頼んで、○○の寿司なら食べられそう。」

(電話貰った時に買って行けば良かった!)

「イースターのうさピヨちゃんのぬいぐるみを買って来て。」

(ストアでミニーちゃん買っちゃってごめんなさい)

3月末
「夜さみしいから、抱っこして寝る。」
そう言って ミニーちゃんと右手で恋人繋ぎしていた 左手もまだ反応あり

4月に入って 主治医の宣告「呼吸を司る部分の腫瘍の為 いつ呼吸が止まってもおかしくない状態であり、食事をとっていない事 点滴も栄養ではないので 場合によっては2週間」

(お父さんが逝って、私達がそばにいてあげられなくなって、みるみる痩せて、気がついたら癌になって…外科治療は泣いて震えて乗り越えて、お母さん頑張った!2回の手術で、取り切った成功したよって喜んで。肺に転移が見つかって、今度は脳…喋れない)

まだ余命はあって入院した時は介護申請とホームの申し込みに動き始めたばかり
要介護認定は最高になり 緩和ケアから出る話は無くなった
看取りは近い

ここで父を娘と私で看取って
母もここの病棟でお願いした
お父さんのように化学治療を経て、弱って入院してから亡くなるまでとは違って お母さんはまだまだ元気だったのに「脳腫瘍」のせいで、ナルベイン投与が必要になった

そう 感情が 無いようにみえる
状態になった
4月半ば 言葉はなくなった


でも 目で語ってくれた
気高くて気丈で信じられないくらい「いい子」

ワガママ勝手なお母さんが 嘘のよう

緩和ケアで治療はありません
会話が出来た頃
吐き気が取れて食事をとり 生活向上できるかもしれないから 放射線治療を試みる?
お母さんの答えは、まさかの「イエス」だった!
あんなにお父さんのように私は頑張れない!抗がん剤と放射線治療はやりたくない!痛み止めの座薬ですらやりたくないの一点ばりだったのに…

(生きていたかったんだよね、私達と笑って)

腫瘍は縮小せず 放射線は効かず
その後 ひと月半全く食事を取らなくなった

さらに点滴も止めて2週間

転移性脳腫瘍が判明した日から 2ヶ月で旅立たった


娘の高校の入学式の後 付き添い許可を貰って病室に泊まり 弱ってしまった母の亡くなるのを待っているような状態に耐えられなくなって 自宅に帰って 毎週木曜から日曜日を病室で過ごした
お母さんの最期に居てあげられ無くても仕方無いと 折り合いをつけて

2回駆けつけて 持ち直した復活劇を遂げたお母さん
3回目 間に合うかどうか…はや目にドクターが呼んでくれたおかげで 荒い呼吸フルマラソンの呼吸で 一旦止まっても 私達が来るからと声をかけてたら 吹き返したと
5/15 0時を回って病室について 15分後に 穏やかに眠りについたお母さんに 待っていてくれて本当にありがとうね とお別れが出来た


間に合わなかったら 未だ ぐちゃぐちゃな気持ちだったと思います


転生するという話もあります

大好きな人にもう一度巡り合うためには 記憶を失って生を受ける

母は 父の元に行けたのだろうか
父は 母を待っているのだろうか
必ず 探して出会って貰いたい
そしてまた わたしも会いたい


人は なぜ死ぬために 生まれて来るのか
一見意味の無いことのようだ
でも 死ねるということは
関わるもの全て選択できるということ 自らの 人の生 無駄に使う時間はない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?