田舎でハマったこと。
以前、田舎には娯楽がないのでは。という旨の記事を上げた。
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その記事を見返すと『アヤトの動く城』や『メカ熊』とかいう、ワケのわからない単語が頻発していた。
しかし僕にはまったく覚えがなかった。
いったいどんな思考回路をすれば、こんなおかしな単語が出てくるのか疑問でしかたなかった。
きっといつも見守ってくれる読者の方々や、一緒に過ごしていたMUちゃんの優しさに甘えていたのだろうと思った。
今後は、先日の『おにやんま君』の記事のように、役に立つ発信をしていこうと志を改める所存だった。
改めることといえば、もうひとつ。
僕は実際に田舎にやってきて、暇を持て余しているかといえばそんなことはなかった。
以前亡くなった叔父の遺品や、震災でめちゃくちゃになった品物の整理をしなくてはいけなかったし、よりよい文章を書くために、インプットもアウトプットも、もっと増やさなくてはいけなかった。
家族と過ごす時間も大切だった。
足元がおぼつかない祖父を散歩に連れ出したり、近所にある知り合いの竹林に分け入って、祖母とたけのこを獲ったり、彼女から生け花を教えてもらったりしていた。
花が好きなMUちゃんを思い出せる大切な時間。
無駄な時間といえば、カメムシと死闘を演じているときくらいだった。
それに僕は今、とある趣味にハマっていた。
自然豊かな環境、人の少ない土地、なにものにも急かされない暮らし。
僕が野鳥観察にハマったのは必然と言えるかもしれなかった。
きっかけは朝の散歩だった。
二月の田舎の早朝には、白く冷え冷えとした静寂が満ちていた。
どこか遠くでトラックのタイヤが地面を削る音が、世界中に響いていた。
自分の足音も、やけに大きく聞こえた。
高い木々の枝先で桜の蕾たちが、孤独な僕を見下ろしていた。
そこに動く影。
僕が歩みを止めると、辺りで動いているものはその影だけになった。
影は灰色がかっていた。
しかしあまり視力の良くない僕は、それが鳥であるということしかわからなかった。
もっとよく見たいと思った。
急いで家に帰った僕は、Amazonで12倍の単眼鏡を注文した。
そのレンズをはめこんだ高級感あふれる筒が届いた日、僕は興奮のあまり、父や母の顔や隣の建物を12倍にしては狂喜乱舞していた。
そして今、二ヶ月が経った。
僕はすっかりバードウォッチングにのめり込んでいた。
いつのまにか山と溪谷社から出ている『あした出会える野鳥100』という書物が手元にあったし、そこに記された『出会った野鳥を示すしるし』は30を超えていた。
ウグイスやキジ、オナガにアオサギなどの鳥を間近で観察できるという珍しい体験をしたこともあった。
今の僕は『バードウォッチャー・アヤト』としての名声をほしいままにしていた。
その証拠に、野鳥観察におけるスキルの高まりを感じていた。
たとえば、狙いをつけること。
単眼鏡を使い始めてしばらくは、自分の狙いたいところをピンポイントで観ることは難しかった。
木や枝が見えても、それがどの辺りなのかわからず、まごついているうちに鳥を見逃してしまった。
『木を見て森を見ず』ならぬ『木を見て鳥を見ず』だった。
しかし、今。
今は視界にうつった目立つ物にアタリをつけ、そこから素早くたぐるようにして、観察対象まで容易にたどり着くことができた。
そんなスキルのなかには、実生活で役に立つものも多かった。
たとえば、気配。
鳥たちとの距離によっては、こちらの挙動は彼らを怯えさせてしまう原因になる。
それゆえ僕は音を立てずに移動し、気配を極限まで殺すことのできる身のこなしを磨いた。
おかげで夜中に祖父母の安眠を妨げることなく、トイレに行くことができるようになった。
祖父は朝まで、基本的に三回ほど用を足しにいかなくてはいけないので、それ以外の余計な物音は極力減らしてあげるべきだった。
飛んでいる鳥を追うために、動体視力も養われた。
そのため、近所の中学校から飛んできたフライボールをイワツバメのごとく華麗にかわし、それをみていた野球部の監督からドッジボール部のコーチに誘われた。
野鳥観察者は、一般人視点ではとても怪しい。
手には望遠鏡、服装は地味、かぜでボサボサになった長髪、ヒゲ。
急に立ち止まり、屈んだり、ゆっくり動いたり、そうかと思えばニヤニヤしていたり。
その姿は不審人物と紙一重だった。
異なる点といえば、知的好奇心くらいだった。
そして、僕はそれをそれとなく自覚していた。
だからすれちがう人間たちを安心させるために、挨拶を会得した。
にこやかに挨拶をすることで『ああ、この不審人物は、悪い不審人物ではないんだ』と思わせることができた。
挨拶によって人当たりがよくなり、先述の野球部監督の誘いも、ひな鳥の羽毛のようにやんわりと断ることができた。
興味本位で始めたことが、こんな形で活きてくるとは信じがたかった。
野鳥観察、実に役に立つのだった。
そしてこれを書いている僕は、また一つ役に立つ発信ができたことに、手応えを感じているのだった。
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