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はじけてとんで

スーパーのパンのコーナーや果物のコーナーでごく稀に「うわ、めっちゃ旨そうだなぁ」と心を惹かれることがある。それは大概めちゃくちゃに空腹な時。ツヤツヤのロールパンとか甘い匂いの桃とか。心を惹かれるのと同時に「でも今ここで食べる訳にはいかないよなぁ」と踏みとどまり、私はそれらを掴み、カゴへ入れてお金を払い、手に入れる。
袋詰めをしている時に、ふと、売り物をその場で食べちゃダメって当たり前だと思ってるけど、それを当たり前と思えるのって実はとても大事なことなのでは?と考える。

同じようなことを痛ましい事件を知った時にも考える。電車で女性が何人切り付けて逮捕、母親が子供を虐待、教師が児童に暴行、だとかそういう。
人を傷つけるという行為は小さい頃から「してはいけない」と教わっているのに、不思議だなぁと思うと同時に、自分の小さい頃を反芻する。

わたしは、小学生のころ自分の気持ちを制御することが下手くそで、よく先生に怒られ、それは母に伝わり、家でも更に怒られた。同級生の男子を殴りつけたり、生意気な口を聞いてきた女子の頬をつねったり。
気にいらねぇな、と思った瞬間に手が出る。口汚く罵る。例え相手の方に非があっても、それ以上にやり返して結果わたしが怒られる。思い返す度に「村で有名な乱暴者すぎるだろ」と驚く。本当に自分のした事なのか?と。

そんな村一番の乱暴者だった過去がある故に、ニュースの中で報道されている人はもしかしたら自分だったのではと考える時がある。

小学生のわたしに、先生や母は「何をされたとしても手を出してはいけない、人を傷付けてはいけない」と何度も何度も怒ったり、時には泣きながら訴えかけてきた。
わたしは乱暴者であると同時にとても真面目な子供だったので、何度も言われるうち、流石に学習をして、徐々に大人しくなる事ができた。
でも、ここで何も響かない子供だったら、自分の気持ちを抑える術を身に付けられなかったら。
30歳を過ぎたわたしは、小学生のころよりは社会性を身に付け、怒りで我を忘れそうになったら趣味によって心頭滅却する事ができている。口汚さは正直増しているが、それを人に浴びせることはない。流石に手も出ない。
今報道されているこの人だって、初めからそうしたかった訳じゃないだろうし、ふとした瞬間に何かがパチンと弾けてしまったんだろうと思う。
ああ、この人はわたしなのかもしれない、我ながらなかなか中二病だなと思うけど、これは本当に大真面目に考えている。

当たり前と思っていることを当たり前だと思えるのはとても大事なことで、何かが弾けることなく生きていて良かったなと思いながら、コンビニでお金を払っておにぎりを食べている。

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