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過去・現在・未来をアウフヘーベンする

「虫の目」「鳥の目」「魚の目」 〜本当の多角的視点とは〜

物事をどのように「見るか」ということに関して、表題のような表現があります。

「虫の目」は、複眼です。
つまり「近づいて」さまざまな角度から物事を見るということです。

「鳥の目」とは、高い位置から「俯瞰的に全体を見回して」見るということです。

「魚の目」とは、潮の流れや干潮満潮という「流れ」を見失うなという意味です。

一般的には、「情報」は近づいて、さまざまな角度から眺め、理解する必要があります。
組織で言えば、現場に出かけ、直接「情報」を仕入れるということです。
そのとき、一面的な見方をせず、「複眼的」に見るということが「虫の目」です。

しかしながら、接近しすぎると全体が見えなくなるので、 一度距離を取り直して、地域や業界という大きな枠からその「情報」を見直す行為が「鳥の目」です。

そして、その「情報」を理解するときに、時代や社会の流れの中で考える必要があります。
情報や事象が、どのような変化の中で発生したのかを忘れないための「魚の目」ということになります。

経営や組織運営に関して、経営者や経営幹部はさまざな判断を行わな ければなりません。
あふれかえる「情報」の中から必要なものを集め、分析し、理解を重ね、次の一手を繰り出していかなければなりません。

その時に、「虫の目」で情報を【多角的に眺め】、「鳥の目」で【判断を下し】、「魚の目」で【決断を行う】必要があります。
この「プロセス」は、組織の大小に関わらず「統率者」にとっては重要なことです。

私の人生の"来し方"と"行く末"を考える。

70歳までの第一生は、[虫の目]の追求だったのではないか。
若い時は、思いの丈が強くて、どうしても単眼思考に陥りがちだ。

人生の幸不幸のほとんどは人間関係が占めている。この人にお世話になった。この人には義理がある。この人の恩義に応えることが人としての生きる道だ。
義理と人情の男の世界に憧れる。鶴田浩二や高倉健、藤純子の任侠の世界を生きていきたいと思う。

私が若かりし頃に、よく歌った歌だ。

[人生劇場]

1.やると思えば どこまでやるさ
 それが男の魂じゃないか
 義理が廃れば この世は闇だ
 なまじ止めるな 夜の雨

2.あんな女に 未練はないが
 なぜか涙が流れてならぬ
 男心は 男でなけりゃ
 分かるものかと 諦めた

3.時世時節は 変わろとままよ
 吉良の仁吉は 男じゃないか
 俺も生きたや 仁吉のように
 義理と人情の この世界

人生劇場は、早稲田大学第二校歌でもある。4番と5番があるらしい。

4. 端役者の 俺ではあるが
 早稲田に学んで 波風受けて
 行くぞ男の この花道を
 人生劇場 いざ序幕 

5.早稲田なりゃこそ 一目でわかる  
 辛い浮き世も 楽しく生きる
 バカな奴だと 笑わば笑え
 人にゃいえない こころいき

[唐獅子牡丹]

1.義理と人情を 秤にかけりゃ
 義理が重たい 男の世界
 幼馴染の 観音様にゃ
 俺の心は お見通し
 背中で吠えてる 唐獅子牡丹

2.親の意見を 承知で拗ねて
 曲がりくねった 六区の風よ
 積もり重ねた 不孝の数を
 何と詫びよか お袋に
 背中で泣いてる 唐獅子牡丹

3.朧月でも 隅田の水に
 昔ながらの 濁らぬ光
 やがて夜明けの くるそれまでは
 意地でささえる 夢一つ
 背中で呼んでる 唐獅子牡丹

[王将]

1.吹けば飛ぶよな 将棋の駒に
 賭けた命を 笑わば笑え
 生まれ浪速の 八百八橋
 月も知ってる おいらの意気地

2.あの手この手の 思案を胸に
 やぶれ長屋で 今年も暮れた
 愚痴も言わずに 女房の小春
 つくる笑顔が 意地らしい

3.明日は東京へ 出ていくからは
 何が何でも 勝たねばならぬ
 空に火が点く 通天閣に
 おれの闘志が また燃える

人間、"義理"と"人情"と"意気地"を忘れて生きることは決してあってはならないことだ。それは男女を問わず必須のことだろう。
しかし、ともすれば、"匹夫の勇"に陥ってしまうことがなきにしもあらず。"森の石松はいい男"だが、やはり清水の次郎長でなければ大事を成すことはできない。

私の第一生は、"義理"と"人情"と"意気地"に、人間としての"虫の目"を持つようになるための70年間であったように思う。
「成らぬものは成らぬ」では、身も蓋もない。成らぬものを成るようにすること、アウフヘーベン(止揚)することだ。すなわち、あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと、矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一することだ。
これが、「虫の目」を持つということだろう。

では、私の第二生が目指すところは何か?

それは、「鳥の目」と「魚の目」を持って、幾ばくかでも社会を変えていくことなんだろう。
地域や業界という大きな枠を意識すること、時代や社会の大きな流れ、それは"宇宙の大流"でもある。それを、穏やかに見据えることだ。

私にはこれからまだまだすることがある。だから、少なくともあと30年は現役で頑張りたい。
第一生の経験と知恵と、第二生の現在・未来をアウフヘーベンして、社会変革の一端を担いたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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