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OUEN Japan 信念会と仲人


イノベーションソフト社長の黄英蘭さんとは昨年2月にお会いした。

まだお会いして2年も経っていない。彼女は私の歳の離れた妹のような年齢だ。私が若く子を授かったとしたら、黄さんのような年齢の子どもかもしれない。どちらかと言えば年齢的には後者が近い。

お付き合いが短く、それほどの歳の差がある異性ではあるが、なぜか私は彼女を心の友、それも親友以上の"心友"と思うようになった。
彼女のザックバランな愛すべき温かいキャラクターは、私の周りにいる人の中でも格別だ。

彼女が[OUEN Japan 信念会]で、以前中国で働いていた時の同僚の方を含め3名の中国人の方々をお連れになる。
そして、信念会の前日に4名で私の事務所にいらっしゃる。
私はどんなお手伝いができるか分からないが、黄さんのご友人であれば、私ができることはお手伝いしたいと思う。

人との出会いは不思議なものだ。
日本と中国との国際関係があまり芳しくないので、私はお会いすることを控えていたのに、お会いしてみるとそのお人柄に魅かれてしまったのだ。
私は自分のことを素直な心の持ち主と思っているが、どうしてもアンコンシャスバイアスがあるのだ。心したいことだ。

私は、どうして、[OUEN Japan 信念会]のようなイベントをするのか。
それは人が好きだからだが、人と人を繋げることで、その人たちに「ありがとう」と言ってもらうことに、こよなく「幸せ」を感じるからだと思う。

自分のためは人のため、
人のためは自分のため


ビジネスマッチングはビジネスライクではあるべきビジネスマッチングではない。
目指すべきビジネスマッチングは、ビジネス色が薄い"仲人"に近いのではないかと思う。
ビジネスの中に、熱いハートがあるのだ。

今はほとんど聞いたことはないが、私が結婚した時は結婚に仲人がいるのが当たり前だった。形式的な仲人もあったが、私の場合はそうではなかった。

私たち夫婦の仲人は、村田英雄似の岡田和郎さんだった。岡田さんは私が安田信託銀行に入社する時の採用担当部長(研修部長)、温和な義理人情豊かな人だった。

私の十八番は村田英雄の『王将』だった。この歌がヒットしたのは、昭和30年代半ばだったから、私が小学生3〜4年だったろう。
その時に、私は、この男らしい"ど演歌"を好んで歌っていたのだ。そして、この歌の主人公である阪田三吉の生き方に憧れた。そんな思いを岡田さんに見た。
妻は銀行の同期であったので、岡田さんをよく存じていた。
そんなことで、岡田さんに仲人をお願いしたのだ。
その時、岡田さんは癌を患っていらしたらしい。そのことを私は知らなかった。
後から奥様にお聞きしたのだが、奥様は岡田さんに、「小林さんの仲人はお引き受けにならないでください。仲人は結婚の時だけではなく、ずっと生涯に亙り面倒を見なければならないのです。それができないかもしれないと分かっていて仲人を引き受けることは小林さんに失礼ではないですか」と仰ったそうだ。
岡田さんは、「どうしても小林君の仲人をしたいんだ。小林君は、特別に想いがある若者なんだ。わがままと思うが、引き受けたい」と。

そんなわけで、岡田さんは、形式的な仲人ではなかったのだ。

[仲人(なこうど)]
仲人(なこうど)は、日本において、人同士の間に入り、人間関係を仲立ちする役割の人。媒酌人、月下氷人とも。
特に男女の間で結婚の仲立ちをする人を指すことが多い。江戸時代では、相手探し・見合いの段取り・結婚までを世話し、依頼した人の持参金の一割を礼金として受け取っていた。

そんな思いが、私が主催する[OUEN Japan 信念会]にはある。ビジネス以前に、人の心と人の心をつなぐのだ。そんな人の心があるビジネスマッチングであってほしいと思う。
OUEN信念会は、そんな出会いのプラットフォームであってほしい。

黄さんや黄さんのご友人たちとの出会いでそんなことを考えた。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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