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大才と情報と情愛

[柳生家の家訓]
小才は、縁に出会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす

この[柳生家の家訓]は、まさに真実だと思う。

3月の石川県出張は4名で訪問したが、中能登町と金沢では、現地でしか感じることができないさまざまな情報を受信することができた。

情報は"情けに報いる"と書く。「情報には"情け"がある」のだ。

"情け"をネットで繰ってみる。

なさけ【情け】
読み方:なさけ
1 人間味のある心。他人をいたわる心。人情。情愛。思いやり。「武士の—」「浮き世の—」→御情(おなさ)け
2 男女の情愛。恋情。また、情事。いろごと。「深—」「薄—」
3 風情。おもむき。あじわい。
「落花啼鳥の—も心に浮かばぬ」〈漱石・草枕〉
4 もののあわれを知る心。風雅を解する心。風流心。
「—ある人にて、かめに花をさせり」〈伊勢・一〇一〉


「情けは人の為ならず」

昔からのことわざに、"情けは人の為ならず"というものがあります。
これは「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にした方が良い」という教えです。「情けは人の為ならず 巡り巡って己が(自分の)為」ということになります。

ところが、「情けをかけることは、結局はその人のためにならない」、だからすべきでないという全く反対の意味だと思っている者が多いと話題になったことがあります。

さて、この「情けは人の為ならず」を科学的に実証したと大阪大学が研究成果を発表しています。
それによりますと、「幼児が第三者間のやり取りを観察して他者の親切さを評価していること、親切を行う幼児は後にまわりの児から親切にしてもらいやすく、自分が親切にした分をまわりの児から返してもらっていることが明らかになりました」(大阪大学最新研究成果リリース)としています。

ヒトの利他性は動物界の中でも大変特異的で、大きな謎とされてきたそうですが、それを幼児の日常生活の行動からデータを集め実証したというのです。

人間は「他人のため」に何かをすること自体を喜びとするものですし、「他人のため」に一生懸命努力している姿に感動するものです。

「他者に親切なものには、より親切に振る舞う」という「正の連鎖」は良いのですが、「他者に親切にしないものには親切にしない、もしくは罰を与える」という「負の連鎖」や「倍返し」は断ち切らなければなりません。
     
※雲雀丘学園中学校・高等学校 学校長 中井 啓之:校長通信引用

そんなことで、"情け"と"利他"は、緊密な関係があるのだ。
相手を思い遣る、人の立場に思いを致すことは、情愛であり、それは相手のために尽くすと言う"利他"である。
原点には"自利"があるのだが、その"自利"を極めることで、自ずと"利己"が消滅して、それが"利他"に昇華していくのだ。

そのことを、石川県出張のおり、中能登町と金沢市の皆さんや私たち4人の交流のなかで、私は実感した。

能登の復興のために、[TEAM OUEN NOTO]は何をしなければならないのかは、突き詰めていえば、私、小林博重のためである。私が、"ふるさと能登のために"何かを成すことが私のミッションと思う。そのミッションを果たすことは、私の心の安定のためだ。それが、究極は能登のためになるということだ。それで、関わった皆さんが Win Win Winになれば最高だ。

そのことが、いろいろなところに派生していってどんどん拡がっていく。人の輪が和になって、ビジネス&ボランティアが拡がっていく。そして、ビジネスがボランティアになっていく。ボランティアがビジネスになっていく。

それが大才の入り口のように思う。"袖振り合う縁をも生かす"ことは、相手のことを思い遣るということだ。
それは自分のためであるが、それが相手のことを考えて、何とかしてあげようと思うことは人のためである。それが大才の入り口なのだ。

大才とは、人のことに思いを致す"恕の心"を持った人なんだろうと思う。
人さまとのご縁をビジネスとしてしか思うことができない人には、どんどん拡がっていく"人の輪と和"は分からないのだろうし、"情報≒情愛"という深い意味は分からないのだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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