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大連・旅順の旅を思う

私は、11月2〜5日に、祖父の日露戦争旅順の攻防戦を辿る旅で、大連と旅順に行く予定だった。馬形さんが案内してくれることになっていた。
しかし、昨今の中国との関係悪化の影響で、今はVISAが必要だ。
妻が、「米次郎おじいちゃんを偲ぶ旅は、ビザが免除になってからにしたらいい。今行くことはない」と言うことでもあり、今回は行くことを中止した。

馬形さんは、以前勤めていた会社で大連への出張が多く、マイレージが溜まっており、その期限のこともあり、清水次郎長の"石松代参"ではないが、"馬形代参"となったものだ。

私と馬形さんとの付き合いは、大学時代からの半世紀の長きに亙っている。
私は、本郷の東大のおりは、大学近くの文京区西片に下宿していた。
馬形さんは岡山県林野の出身で、岡山県の学生寮である[鶴山館]に住んでいた。鶴山とは岡山県の北部にある津山城の別称だ。
私がよく利用していた居酒屋の「養老の滝」に鶴山館の学生たちも来ていて、そこで早稲田大の同学年だった清田浩さん(現、清田寂順さん)と親しくなったことがご縁だ。
清田さんは鶴山館の寮長をしていて寮生には人望があった、いわゆる"人物"だった。この清田さんに特に可愛がられていた男が馬形貢さんだった。
馬形さんは酒は全く嗜まないが、そんなことで時折酒席を共にしたことがあった。それだけの縁だったが、私が安田信託銀行渋谷支店に勤務していた時、「博重さんが勤めている安田信託銀行に入社したい」と言って、来社された。私は人事部を紹介した。その当時は石油ショックの影響でどこの会社も採用を抑えていたが、時期は遅かったものの、人事部の橋本世紀男さんの「これぞ早稲田マンと言う男だ。小林君の紹介でもある」と言うことで、最後の1人として採用に至った、実にユニークな人物だ。

小才は、縁に会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす
(柳生家の家訓)


柳生家の家訓

せっかく人間として生まれたのなら、小才や中才に留まることなく、大才になるべきだ。
大才になれば、人は幸せになることができる。

馬形さんは、以前勤めていた会社のオーナーの依頼で、ずっと日露戦争の旅順の攻防戦のことを調べていたのだとか。
私との会話で、私の祖父が金沢の第九師団歩兵第七連隊に所属していて、「露軍に奪われた連隊旗を奪還保守した戦功により、金鵄勲章を受章する栄に浴した」ことを話したところ、ちょうど調査していたこととピッタリ一致したのだろうか、とても驚かれた。

第九師団歩兵第七連隊は、旅順の盤龍山堡塁の突入に失敗して、隊員1,700名のうち生還したのが70名余りとほぼ全滅したこと。そして、奪われた連隊旗を奪還したのが、こともあろう、私の祖父だったことにとても驚かれたのだ。

同時に、私も驚いた。ハナ肇の"アッと驚く、為五郎"だ。
そして、祖父の功績もさることながら、たった4%の確率で祖父が生き残ったことで、今の私が存在していること。私は運がいいこと。その奇跡を思い、それが必然であるならば、私がこの世に生を享けた意味があり、それを果たすことを全うしなければならないと、より現実的に強く思うに至ったのだ。

大いなる道というもの世にあるという思いは今も消えることなし
(下村湖人)」

下村湖人

そう思って、一度、祖父が命を懸けて戦った旅順・二〇三高地を巡って、祖父の功績を偲び、これからの私の後半生を生きる糧としたいと思ったわけだ。

昔を偲ぶ旅は、過去を振り返って過去を懐かしむことだけではない。未来に向かって前向きに生きるための糧でもあるべきなのだ。

できるなら来年、中国との関係が改善し、VISAなしで大連・旅順に旅することができることを願っている。

人間の欲望が戦争を引き起こす。争いは人間の欲望があるからだ。
しかし、欲望があるから人間社会は成長発展してきたことも事実だ。

世界の為政者たちよ。もっと賢くなれ!!

その欲望をコントロールすることで、平和な世界が訪れることを切に願うものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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