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韓信の股くぐり

人間には、元気が出る時とそうでない時、強気な時と弱気な時がある。
一般的に、いいことが続いたら、それは元気になるし強気になることが多い。逆に、意気消沈してしまうことや意に沿わないことが続くと、どうしても弱気になってしまう。

今週の福岡出張は、どちらかと言えば、後者だった。
福岡出張がどうというわけではない。たまたま福岡出張の時に、あまり芳しくないことがいくつか重なったということだ。

そんな気分で寝た時は、あまり良い夢を見ないものだ。とんでもない夢を見て、「えらいこっちゃ」と飛び起きて、夢だったと思って一安心する。
そして、その不吉な夢が正夢でなかったことに、「私は運がいい」と思う。この「私は運がいい」と思ったらしめたものだと気分を変えよう。

「とんでもない夢が正夢でなくて、きっと今日はいいことがある。これから良いことが続く」と思えば、それはしめたもの。
そんなことで、今日の"勤労感謝の日"で、悪い流れを断ち切ってしまうことにしよう。
何事も、「私は運がいい」と、気持ちを明るく、人生を前向きに考えることで、人生は好転していく。

[韓信の股くぐり]の故事を思い出した。

韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は屈辱にもよく耐え、目先のつまらないことで人と争わないことのたとえだ。

【注釈・由来】
韓信は、漢の天下統一に功績のあった名将だ。
韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、大志を抱く身であった韓信はごろつきと争うことを避けた。
股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、その後、韓信は大成し、天下統一のために活躍したという故事から来ている。

将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めである。

そして、後日談がある。
韓信は大成したのち、そのごろつき(韓信にまたぐらをくぐらせて恥をかかせた男)を召し出して、楚の中尉にとりたててやり、将軍や大臣たちに向かって、「この男は、立派な男だよ」と言ったのだとか。
このごろつきと思われた男は、ほんとはごろつきではなく、"一角の人物"だったというのだ。

そこで私は考えた。
「韓信」を大成させたのは、
①韓信が大志を持っていたこと
②屈辱にグッと堪えて、股くぐりをしたこと
だろう。
③そして、そのごろつきを取り立てて、一角の人物にしたという韓信の人間としての"大きな器"が、さらに韓信を大成させたのだ。

私は、"若気の至りで人生を棒に振った"と思った時もあった。それで捻くれなかったのは、「真っ直ぐな人生を生きよう」と思って生きてきたからだろうと自負している。
終わってしまったこと、やってしまったことはもう取り返しがつかない。そのことを思い悩むことは感性的な悩みだ。

稲盛和夫さんは、[6つの精進]の6番目に、「感性的な悩みをしない」と説いていらっしゃる。
完璧な人間はいないのだから、日々の自らの行動を素直に振り返り、至らないところについて、毎日の反省(利己の反省および利己の払拭)はしなければならないが、決して後悔はしてはいけないのだと。

[感性的な悩みをしない]
人生では、誰でも失敗をしますし、間違いを起こします。
しかし、そうした過失を繰り返しながら人は成長していくのですから、失敗をしても悔やみ続ける必要はありません。
「覆水盆に返らず」という言葉がありますように、一度こぼれた水は元に戻りません。起こってしまったことを、いつまでも思い悩んでいても何の役にも立ちません。それどころか心の病のもとになり、人生を不幸なものにしてしまいます。
自分のどこが悪かったのかは反省しなければなりませんが、十分に反省した後は、くよくよせずに新しい道を歩み始めることが大切です。
済んだことに対して、いつまでも悩み、心労を重ねるのではなく、理性で考え、新たな行動に移るべきです。そうすることが、すばらしい人生を切り拓いていくのです。

私は[韓信]になろう。

①大義を持って生きること、大志を忘れないことだ。
②懐深く、グッと堪えることだ。
人間、喜怒哀楽は常だ。"怒るな"と思っても人間であればそんなことはできない。ただ、グッと我慢をすることならできるだろう。そして、その怒りを表に出さず、心に収めて、穏やかな心で、どうしたらその問題を解決できるだろうかを自らが考えることだ。加えて、信頼できる人たちの意見にも耳を傾けることも大切だ。
そして、淡々と、解決策を実行に移すことだ。
③人を育てることだ。
私は、人と人をつなぐことを生業にしている"人事のプロ"ではないか。人を育てることができなくて、何が人事のプロだ。
大きな器で人を包み込んで、"人をつくる"ことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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