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能登は盲腸であって盲腸ではない

3月14〜15日、1泊2日で能登・金沢に出張した。4月も22〜24日の2泊3日で出張をする。
これからも月一の頻度で石川県に出張することになるだろう。

土曜日(4.13)、石川県産業創出機構の福井浩一さんから当日の北國新聞朝刊の一面がLINEで送られてきた(福井さんには、22日に訪問し、[OUEN Japan]が考えている[TEAM OUEN NOTO]について、金沢・加賀からもご協力いただきたいことをお話ししたいと思っている)。

北國新聞の記事には、[両陛下、能登思い再訪]〜穴水、能登町 犠牲者に黙礼〜と題した一面記事が載っていた。

天皇・皇后両陛下は、能登半島地震の被災者を見舞うため、3月22日の輪島市と珠洲市の訪問に続き、4月12日に穴水町と能登町を日帰りで訪問された。
地震発生から3カ月以上を経ても避難生活を余儀なくされている住民を労い、被災地に心を寄せられたのだ。

能登の出身であるこの私も、両陛下の"国民のことを思われる温かいお気持ち"に思いを致し、「あぁ、私は日本人で良かったな」と心が熱くなった。

北國新聞には、「能登は盲腸ではない」と題して、住民が天皇・皇后両陛下への感謝の気持ちの他、さまざまな思いを語っている記事が掲載されている。

「2度も被災地に足を運んでもらえることは大変うれしい。勇気が出る」
「『なぜ、市(輪島市と珠洲市の訪問)だけなのか。町(穴水町と能登町)にはおいでにならないのか』と思っていた。それが、1カ月も経っていないのにお越しいただいた。その温かい心遣いがありがたい」

「能登半島は日本の秘境だ」
「能登は石川県の盲腸だ。盲腸は、炎症を起こせば切除される。今回の地震がその炎症ということなのか」

「震災の道路損壊による交通制限で、能登から出るだけで一苦労だ」
「金沢から珠洲まで130キロ以上離れている。『裏日本』と呼ばれた北陸の中でも、能登は奥まった場所だ。人が少ない地域だけど、両陛下は気にかけてくださる。だから、『頑張ろう』と勇気をもらえる」

「過疎地でも、『あなたがいるから、美味しい料理があるから』と言って、東京や大阪から食べに来てくれる」等々。

北國新聞は、
「能登は"盲腸"であるはずがない」それが復興を考える上での大前提、これからの地方のあり方を考えるための大前提だ。
と書いている。

勿論、能登は、決して、切って捨てていい盲腸ではない。
しかし、近年、盲腸は人間の身体に大変大事な働きをしている器官であることが認められるようになってきた。
そして私は、そのことを4月6日の[OUEN blog]に書いている。

能登半島と盲腸(虫垂)
https://note.com/ouen_dancho120/n/ne4868bb8d53f

私は、能登半島は日本列島の盲腸のようなものだと思っているが、能登半島も、本家の盲腸のように存外役に立つ存在なのだ。
日本全国から「能登半島は日本のリーダーだ」と思ってもらえるような存在になってもらいたいものだと思う(私は能登の田舎者だが、幼少から能登半島を誇りに思っている。勿論、東京には憧れていたが。鄙びた田舎と花の東京の両極端を併せ持つことがバランスがよい人間になることだ。今は心からそう思うようになってきた)。

昔の盲腸と今の盲腸の考え方は真逆だ。この両極端を素直に腹に落として、何事も、明るく、前向きに捉え、考え、行動することが、能登半島の復興には不可欠ではないのか。

「能登は盲腸ではない」と言ってみたところで、日本列島から突き出ている盲腸のような能登の位置は変わるわけではない。
では、どうしたらいい?
盲腸である得手を生かす
ことだ。フルに生かすことだ。
そして、石川県(金沢や加賀)の人たちのみならず、全国の心ある、心温かい人たちのお力を素直に受け入れて、そのことに深く感謝して、過疎地のリーダー、日本のリーダーになろうと、捻くれず、堂々と人生を生き抜くことだ。

「能登は、盲腸であって盲腸ではない」

その考え方、両極端を併せ持つ、素直で、前向きで、明るい考え方を持ち、果敢に行動することなのだ。

大いなる道というものあると思う
心は未だも消えず

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)



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