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私は、人を好きになるということがわからない。

見返りを求めない愛が自分を強くすると思う。

私は多分、あまり恋愛感情というものがない。
音の構成に恍惚とすることはあるし、
色彩の甘美に心が震えることはある。

だけど、「人に恋をする」「恋愛映画にキュンキュンする」そんな感情が分からない。

嫉妬、執着、美学、主観的な価値づけみたいなものが入り交じった、言葉では説明できない「アート」のようなものと「恋」は近いのでは無いかと推測している。

だから、私の好きな人は、「もっと知りたい人」「興味深い人」であるし、「新しい世界を見せてくれる人」でもある。

ちなみに、私には「愛する」という感情はあって、
これは、お花や木に水を遣るようなものだと思っている。
よく、「愛は肥大化させていく感覚がある」と私は話すが、これは友人にも好きな人にも同じように適用されるもので、順位をつけられるものではなく、横並びになっているものなのだと思う。

だから、恋人と友人の境目がとても曖昧で私にはよく分からないし、困っている。
セクシュアリティに限らず人としての魅力を感じたら、「ライフパートナーを意識する」という意味で恋人になって欲しいし、人生を共有したいと思うから、余計に難しい。

ただ、付き合うまで、愛するまでの過程が少しだけ違うだけなんだ。
私の場合、興味や関心から入って、その人を知ることで愛を肥大化させていき、私の人生を共有したいと思うようになる。
もっと知りたいと願い、手を広げて心臓に手をあてている。
頭の中で考えていることと、心で感じていることをどうにか手から私の心へ流れてきておくれと祈る。

人間は合理的な感情人なので、ぶつかることはもちろんあるけど、そういう時こそ思いやりを持って話をしようって思えるなら、尊敬し合うことができる関係なら、恋人として意識できるのかもしれない。

深い夜の深い悩み

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