#家事 を #頑張っていますアピール の裏に隠されたもの

ブログやホームページ等のメディアのプロフィール欄に #頑張っていますアピール することが多々ある。

額面上では前向きに書かれていても、マイナスな気分になっている人達にとっては嫉妬や鬱陶しさから生きるためには当たり前のことであると批判することが多い。

数年前に自死した親友と遊びに行く約束をしていた日の朝に家事をしていて約束の時間に少し遅れたことが多く、会う度によく仕事と家事の両立をして頑張っているねとか労われたことがあったものの、前職の飲み会の酒席で同様なことを言ったら、同席した8歳年下の後輩の主査に

「当たり前ですよ!」

と突き放されたような発言をされ、悲しい気分になった。

それを嫌う人としては他人に認められたいということに対して嫌気がさしていることは勿論、日常生活の一環として必須であるということを言いたかったのだろう。

出勤前に80坪分の家の掃除機がけと洗濯の準備を約30分した後に仕事をするのは女性でも心身ともに辛いものであり、体力がある男に女性特有の脆さを理解されなかったことで悲しい気分になった。

私と同じか類似の形態で一人暮らしをしている人や既婚・子持ちの人達は実家より狭い集合住宅に住んでいるからその分楽だろうと突っ込みたくなった。

1999.4に施行された #改正男女雇用機会均等法 の影響で既婚・子持ち女性も働かなければならない状況になった影響で、家事に専念しているの母親のような完璧な家事を求められても不可能であることを身に染みたのは私だけだと思っていたが、同じ #家事 でも手抜きが可能な部分があってもいいのではないかと思えるようになった。

反面、何もせずに遊び呆けている奴よりはまだマシではないか...。

その裏では疲れ切っている自分に鼓舞するようにやられていることは理解できるが、家事をする義務を両立させて自分の時間を作り出すことは困難であるという嘆きや嫌味にも聞こえる。

私と同年代の #既婚・ #子持ちの女性 は法律の影響で実の親に家事・育児を申し訳ない形でお願いするケースが多々あることから、その経験がない私でさえ、日々の家事や手がかかる老害の相手にするだけでも消耗してしまったのと同時に、彼女達のことが理解でき、その経験を話せるような情報交換をしたいと思っている。


只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。