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アフリカの町で聞いた「一番の願いごとは手に入らない」という話

 タンザニアに、バガモヨという町がある。ほとんどの人が、この町の名前を知らないまま一生を過ごすに違いない。二〇一一年、私が地球の歩き方東アフリカ編の取材で訪れた町だ。タンガからダルエスサラームを経て、バガモヨへ。移動の多い一日で、取材資料も入って大荷物になったバックパックを抱えてのバス移動に、疲れ果てていた。宿泊先を探すために歩き回るけど、最初に訪れた宿は予約でいっぱいだという。外国人が経営する海岸沿いの宿は高い。だけど、英語が使えるから現地の正確な情報が入りやすいのも確かだ。私はバックパックを抱えて宿に行き、ダメ元でも無料で泊めてもらえるように交渉する。

 交渉がうまくいって、私は海の見える部屋に案内される。ベッドの上に荷物を広げ、明日の取材予定を立てる。バガモヨに二泊。それからザンジバル島へ。その後は南方の町、ムトワラ、リンディ、キルワへ。アルーシャからモシ、タンガとつづいた取材の旅もこれでようやく四つめの町。まだ半分も終わっていない。

 初めてのアフリカで初めての取材。緊張の連続で、座っているだけで涙が出てくる。でも留まってもいられない。少しだけ落ち着こうと陰りゆく空の下、海の近くへ歩く。海岸沿いは強盗が出ることも多いので、宿には柵があり、警備員代わりのマサイさんが敷地内を歩いている。敷地内なら安全だ。

 波打ち際には木のカウチが置いてあり、私はそれに寝そべって空を見る。明日からまた大変だ。でも、今この数分だけは、何もかも忘れて気持ちを休めよう。

 思いっきり伸びをすると、少し離れたカウチに女性が寝ているのに気づく。白い帽子とサングラスで顔がよく見えない。金髪のロングヘアが胸元にかかっている。彼女もこちらに気づいたようで、右手を振ってくる。私も手を上げて応えて見せる。

 しばらくお互い黙っていたが、そのうち彼女が水のボトルをもって近づいてきた。
「ハロー、一本どう?」
「ありがとう」

 私が身体を起こして受け取ると、彼女はカウチの横に座り込んだ。女性が一人で来るには大変な町だ。連れがいるのかもしれない。私が「一人旅?」と聞くと、彼女は「そうだ」と応えた。彼女はザンジバル島からダルエスサラーム、そしてこのバガモヨに来たのだという。

「今、一番ほしいものってなんかある?」

 彼女の突然の問いに、私は戸惑いながらも「安心して歩ける夜」と答える。彼女のほしいものを聞くと、一人の男性の名前を答えた。その彼は、彼女の親友と結婚し、そのハネムーンを兼ねて、友だち五人でタンザニアのサファリツアーに来たのだという。

 ザンジバル島で友人たちと別れ、彼女は一人で旅をしている。どこに行きたいわけでもなく、ただ胸だけが痛んで、帰りたくないのだという。

「私っていっつもそうなの。一番ほしいものに手を伸ばせないの。一番好きなもののことを知られるのがイヤで、ずっと平気なフリをして、友だちと彼が仲良くなっていくのを手伝っていたわ。二人は私のことをキューピッドだって。ねぇ、バカみたいでしょう?私はキューピッドなんかになりたくなかったのに」

 彼女の目から涙があふれて、それを見て私も胸が痛む。好きな人が幸せならそれでいい、なんて自分のことを傷つける台詞だ。本当は、自分と一緒に幸せであるのが一番の願いだったはず。

「早く別れればいいとか、仕事がうまくいかなくなればいいとか、そんなことばかり頭の中をまわってて、離れてくれないの」

 私は泣きじゃくる彼女を抱きしめる。誰か、話を聞いてくれる人が必要だったのだ。頭をなでながら、他に何か言いたいことがあるか尋ねる。

「愛してるって言えばよかった。彼女より先に。もう遅いけど」
「それ、今言える?」
「もう遅いわ」
「言うだけ言ってみない?誰も聞いてないから」

 彼女は少し黙ってから、彼の名に添えて「好きよ。・・・これからも好きでいるわ」と小さな声でいう。私は「分かってるよ、ありがとう」と小さな声で返す。

 彼女は私の左肩で泣きつづける。少し泣き止んでから顔を見ると、かわいそうなくらい涙でいっぱいだった。

「もう、ずっとそう。ずっと。一番ほしいものは、私には手に入らないんだわ。手を伸ばすだけの勇気がないの。ダメだったらどうしよう、私にはふさわしくない、そんなことばかり考えて、結局、いつも何もしないまま見逃しちゃうの」

 「自分を変えたい」と彼女はいう。でも「自信がなくて無理なのだ」とつづけていう。

 ふさわしいかどうかなんて、誰にも決められないはずのこと。自信をもてずにいる彼女は、私にそっくりだ。どうしたら彼女を、笑顔にできるだろう。私は少し考えてからいう。

「そしたらさ、一番欲しいものは月で、一番好きな人は火星人にしない?」

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