見出し画像

AIに自分の作風をコピーされたほうがいいんじゃないか説

こんにちは、今日も楽しくAI作画にハマっているみじんこです。
昨日は食べかけの鰻重を出していただいたんですが、にじジャーニー氏が描いてくれた絵はこんな感じでした。

ちなみに他のバージョンの「食べかけの鰻重」

人類の「食べかけの鰻重」の概念は、そろそろ更新したほうがよさそうです。

※にじジャーニーは日本語入力可能ですが、錬成されるときに自動翻訳されるので、「食べかけのうな重::+100、イラスト、人物::-200」→「Half - eaten eel+ 100, illustrations, people」に変換されてたせいっぽいですね。最初のやつは「eel, heavy(重い鰻)」に変換されてたので、そもそも「鰻重」じゃないっぽいです。

AIは特定の画像を参考に錬成することもできる

AI作画では、参考画像をもとに画像をつくるということもできるようです。

ネット上にある、誰かの画像を参考に作画をすることができちゃうんですね。自分の作風のコピーがつくられてしまうので、作家にとっては脅威を感じるんじゃないでしょうか。

AIは特定の画像を参考に錬成することもできる、という呪文で呼び出したAI作画

人類の倫理観が内包されるとき

ちょっとソースを忘れてしまったんですが、どこかの学者が「人類は周りにあるものを内包することで進化してきた」と言ってたらしいんです。
海を身体にいれることで、陸上生物になった。言葉を内包して社会化していった、みたいな感じです(ちょっと忘れちゃったので曖昧だよ。誰か元ネタ知ってたら教えて)。

その話の最後に、次の人類がどうなるかっていう話があったんですが、次は「法律」を内包するそうなんです。自分の外にある「法律」。これが正しいよっていう社会の決まり事であった法律ですが、今は社会の発展が早すぎて整備がおいつかない状態になっていますよね。

だからこそ、一人一人が「周りの人のことを考えて自主的に動く」ことが必要になるし、そういう状態になっていきます。要は倫理観の進化です。自分の利益だけを考えて、他人の作品をコピーして自分の物のように振る舞うか。あるいは、使うけれども、「相手のコピーライト」を尊重し、引用元を明記するか。

たぶんね、倫理観が徐々に内包されていった時、相手のコピーライトを尊重しながら、自分も得できる方向に向かっていくんじゃないかなって思うんです。どちらにしろ、我々は目に入ったものに常に影響を受けているし、自分の作品が誰からも何の影響も受けていない完全のオリジナルかって言われたらそんなことはないです。

誰かがつくった創作物のいいなと思った部分や表現が自分の中にたまっていって、その組み合わせが自分のオリジナルになっているはず。自分の中に取り入れていった表現はたぶん、自分がとても好きだったり、気になったりした表現なんですよね。

人類の倫理観が内包されるとき、という呪文で呼び出したAI作画

「トレパクとか自作発言なんてダサい」という文化をつくる

最近、プロフィールに「AIに真似させないで」みたいなことが書かれているのも見かけるのですが、これを書くことはもしかしたら、自分にとって不利になるんじゃないかなと私は思っています。

というのも、Midjourneyとか見てると、すでに海外の人は「GHIBLI(ジブリ)」とかで画像作ってるんですよ。GHIBLIでAI作画すると、ジブリっぽい絵柄になる。これを「ジブリのパクリを勝手に作ってる」っていって即禁止するのは、そこそこ無理だし、ジブリにとってもそんなに得にならないんじゃないかなと思ったんです。

だって、ジブリの魅力って、一枚の絵じゃなくて、世界観ですよね?ジブリだったら、きっとこんな物語をつくってくれる、こんな世界を見せてくれるに違いないという期待感が私たちの中にありませんか。ジブリっぽい絵柄がつくられたところで、ジブリの価値は揺るがないし、むしろファンが増えるだけです。

ジブリっぽいAI作画を見た人が、「ジブリってなんだ?」って思って元ネタを調べてみることもあると思います。AI経由でジブリを知って、元ネタの作品を知りたいと思うことも必ずあるんじゃないかと。自分も、九龍城砦都市とか、AI作画の呪文経由で知りましたし、機会があったら行ってみたいと思っています。

AI作画を見ていると、誰だか知らない日本人作家の名前がスクリプトに書かれていることもあるんです。そのAI画像がめちゃくちゃかっこよかったら、誰の作風なんだろう、と元ネタを必ず探りたくなる。そして行きつくのって、結局、一次情報になりませんか。

自分は作家として、他の作家の名前やスタジオ名などは使わないように錬成すると思うんですが、他の人が楽しむ時に、Oumaやみじんこの名前を使ったとしても、みじんことオーマの価値は揺るがないと思うんです。だって、すべての作品の裏には、作家の世界観があるはずだし、それは表面に見えてる部分が似たとしても、コピーしきれないと思うんです。

トレパクや自作発言はもちろん残念ですし、世界の裏側で自分の作品のコピーが勝手に販売されてたとしても、正直もう分かりません。でも、もしそうしてコピーされた作品が有名になったとしたら、その時には自分のところにもその情報は必ず届くはずです。世界は6人の知り合いでつながっているのだから。今、そうなってないとしたら、誰も私の作品をコピーしてないし、したとしても、誰にもなんの利益ももたらしてないということ。なら、そこを気にするよりは、自分の作品をもっと作って世界に出していく方がいいと私は思っています。

「トレパクとか自作発言なんてダサい」という文化をつくる、という呪文で呼び出したAI作画

ネット上に自分の作品を発表し続けてログを残し、周りの人たちに守ってもらい、同時に周りの人たちのことも守っていく。「自作発言とかダサくね?」っていう文化を、みんなでつくり、そういう倫理観を自分たちの中に内包していく。

個人で権利を守ろうとするより、みんなでみんなの分を守ろうとするほうが、気づきやすいし楽なはず。その中で、数回間違っちゃっても許し合えるといいよね。人を傷つけたことがない人なんて、たぶんこの世界に一人もいないんだから。

みんなでみんなの権利を守り合ったほうが、一人で戦ったり、詐欺ったりするより、全員にとって得になるはず。そういう社会のほうが生きやすそうな気がするよ!

今日はそんなお話でした!

▼AIで描かれたみじんこ(mijin-co)。

実物

▽実はLINEスタンプあります。

▼AIでつくったみじんことオーマ

オーマ、という発音は、割とどこの国でも「おばあちゃん」を意味するので、左下におばあちゃんが出てくるのは、なんか納得です。

ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!