見出し画像

ルーマニアで話し合いを投げ出した末にたどり着いた反対語をもたない「愛」のこと

 市役所主催のアートイベントの後、ワークショップを行った道の近くを歩いていたら声をかけられた。

「あー、お前はこの間ここでイベントやってたアーティストだな」

 白髪交じりの茶色い髪とタバコのせいか少し茶色くなっている口ひげ。青いTシャツを着たおじさんが私を指さしている。

「うちの娘がオリガミをもらったって喜んでたよ」
「ああ、参加してくださったんですね、ありがとうございます」
「絵を持って帰ってこなかったんだけど、集めてるんだって」
「はい。いろんな国から。ルーマニアが十カ国めなんです」

 私はいろんな国の人に書いてもらった絵をつなげて、大きな作品をつくろうとしていることを伝える。彼は興味をもったようで、始めたきっかけや他の国での様子について聞きたがった。

「おもしろい試みだね。文化や習慣の違いはあるが、まずは話し合うこと、歩み寄ることが大事だよ。そのために知る、知識をもつということは大事なことなんだ」
「話し合える状況までいければいいんですけどねー。実際は人間関係って、もう顔も見たくないとか、何言われても腹が立つとか、どう頑張っても理解しあえないとかあるし」
「ぶつかってもいいのさ。知ってるかい?マザーテレサの言葉」
「愛情のやつ?」
「そうそう、愛情の反対は無視だってこと。相手を責めたり怒ったりすることもあるだろう。でも無視はダメだ。無視するっていうのは、相手が存在しないって言ってるのと同じだからね」

 そう言われて私は言葉を止める。本当にそうだろうか、無視は本当に愛情の反対なのだろうか。

「私は、無視も誰かに対する愛情なんじゃないかって思うんですが」
「どうして?」
「どうしても分かりあえない。相手のことを罵って怒りをぶつけるのも違う。それでも、どうしても伝わらない、そういう時に相手から離れる、これ以上傷つけない、傷つかない方法としての無視があってもいいと思う」
「言い方を変えればいいじゃないか、別の方法がないか、諦めずに模索すればいい」
「それでも見つからなかったら?」
「分かりあうことを諦めたら終わりだよ」
「たとえば生き物を殺すのが大好きっていう人がいて、あなたの娘さんをどうしても殺したいって言われたら?」
「そんなの受け入れられるわけないだろう。だから説得するよ。それはいけないことなんだって。話し合って分かってもらう」
「彼はすでにナイフを持っていて、あなたの娘さんの前に立ってるとしたら」
「そういうのはすごくレアなケースだろう。実際には起こらないよ」
「私だったら、家族を遠ざけると思う。それで関わらないようにする。それがお互いにとって良い関係を保つってことだと思う」
「相手を遠ざけるだけでは、何も解決してないだろう。そういう姿勢が世界を平和から引き離してしまうんだ」
「私は世界平和なんて知らない。個人が、一人一人が平和に暮らしていければそれでいいと思う。そういう距離感をみんなが取れればいい」

 彼は大きく首を振った。「だからね、そのために話し合いが必要だろうって言ってるんだ。相手を無視することなく、相手とちゃんと向き合うんだよ。分かりあうまで」

「今、この話が始まって、私はすでにすごく悲しい気持ちになってますよ。あなたは話し合うって言っておきながら、私のことを分かろうとしてるわけじゃない。話し合いが大事だっていう自分の意見を認めさせようとしてる。それは、本当に話し合いの姿勢なんでしょうか」
「でも僕らは今、やめずに話しているだろう。議論から逃げてないよ」
「私はもう逃げたい。話し合いが大事ですよねって返して終わらせるのは簡単。だけど、話し合いが届かなかった時には逃げていいという私の意見は、それこそ無視されて死んじゃうだけ」
「つまり、キミも話し合いから逃げてないだろう。それが大事ってことだよ」
「誰か、あるいは誰かの意見を無視していいとは思わない?」
「ぜんぜん思わないね。大事なのは話し合いから逃げないことだから」
「無視してもいいと考える私の意見は間違ってるってこと?」
「間違ってるとまでは言わないけど、無視しても解決しないだろう?」

 解決するよ、少なくとも、理解してもらえない苦しみから逃れられるんじゃない?私のその言葉に、彼は「それじゃダメだよ、それは逃げだ」と返す。私は自説をぶつけ合うだけの話し合いは果たして必要なのだろうか、と考える。それなら話し合いなんてせずに、お互い別の場所で好きなことをして、好きな人と話して、好きなものを食べているほうが、よっぽど世界平和に近くないだろうか。

 私は「オーケー、話し合いは重要なのを理解したよ」と言い、話を終わらせる。彼はその言葉に満足したようで「分かりあうまで逃げないことだよ」と言い、笑顔で去っていった。

 もし、この世に本当に「愛」みたいなのがあるとしたら、それを表現する言葉は反対語を持たないでほしい。対するものがあるということは、敵をつくってるのと同じことだ。愛の反対と定義された「無視」という言葉は、それだけで悪の象徴みたいにされてしまった。
 もし、この世に本当に「愛」みたいなものがあるなら、それはきっと、すべてを受け入れるものだ。

敵をつくる愛なんて、この世にいらないだろう、私はそう思った。

ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!