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島国キューバでは新鮮な魚介が食べられない!?

アメリカから日本に帰った翌年(2001年)一月、私は生まれて初めてキューバに行った。

その4年前、私はフランスのグルノーブルで開かれたフランス文化省主催のフランス文化政策の合宿型セミナーに参加した。そこには、東欧、北欧、北アフリカ、中南米、アジアなどから文化行政やアート・マネージメントに携わる人々が二〇名近く招かれ、私はそこでキューバの文化省に勤める女性、マイテに出会った。二週間、毎日顔を合わせていたので、個人的に親しくなった。

今回、あるメディアから、ハバナ・ビエンナーレという国際美術展の取材を依頼され、久しぶりにマイテにも会いたいしと、二つ返事で引き受けた。

折しも日本では、ギタリストのライ・クーダーがプロデュースし、往年のキューバのミュージシャンが共演したアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が流行しはじめ、それに輪をかけ同ミュージシャンたちをドキュメントしたヴィム・ヴェンダース監督の同題の映画が2000年に公開され、日本でもにわかにキューバ・ブームが沸き起こった。エネルギッシュな女性たちは突如としてサルサを踊りはじめ、「ロハス」を唱導していたメディアは「オルガノボニコ」を都市型有機農業の最先端事例として紹介しはじめていた。

そんな相も変わらず地に足のつかぬにわかブームを尻目に、私は、メキシコ経由でキューバの首都ハバナに到着した。

しかし、そこは、予想以上に、日本のメディアが作り上げた記号的「キューバ」とは似ても似つかぬものであった。廃墟のような旧市街に棲みつく人々の荒んだ表情、廃車寸前のような車やトラックが撒き散らす猛烈な排気ガス、物資の不足でスカスカの商店の棚、馬や自転車が逆走してくる穴だらけの「高速道路」などなど。

食事情もしかりである。社会主義国であるがゆえに米など生存に不可欠な食糧は政府から支給されるが、それ以外の食料は、頼っていたソビエト連邦の崩壊とともに輸入が激減し、国内流通もいたって貧弱なため、前述のように、ハバナ市内の商店はどこにいっても半分以上の棚が空で、配給以外の食料を得る場合は、多くを闇市に頼っている。

文化省の役人のマイテでさえ、彼女曰く月給は(ペソで支給されるが)ドルに換算すると20ドル足らず。したがって、食事は1日2回。夕食はほぼ毎日、(甘くない)バナナのフライ、豆の煮物、ライスの組み合わせ。肉が食べられるのは、よくても週2回程度。でもまだ、肉が食べられるだけ「豊かな」方だという。屋上の「オルガノボニコ」も見せてもらったが、日本の「ロハス」系メディアが理想化していた、都市型有機農業の最先端といった意識はまるでなく、単に必要に迫られて、化学肥料など使いたくても手に入らないし、こうでもしないと新鮮な野菜が食べられないので、仕方なくやっているという。

当時、キューバは単に貧しいだけではなかった。それは、資本主義と社会主義という、近代が作り出した二大システムの狭間で文字通り喘ぎ苦しんでいた。

キューバは、(皮肉にも)完全に二重経済だった。「人民」の通貨ペソとツーリストの通貨米ドル。しかも、米ドルの脅威はツーリズムから溢れだし、民衆の日常生活にも浸透しつつあった。生存に必要な最低限の物資は配給され、教育や医療は無料だが、スーパーや小売店での支払いはドルが主流になりつつあった。生命の再生産に必須なもの以外の「奢侈品」(といっても、肉、チーズ、アルコールといったわれわれにとっての日常品だが)はドルでしか手に入らなくなりつつあるので、皆ドルを得ようと躍起になる。当然、ドル札は不足する。

ところで、ハバナには、カリブでは珍しい「チャイナ・タウン」がある。が、その「チャイナ・タウン」に中国人はほとんどいない。キューバ人たちが「チャイナドレス」もどきを身につけ、「中華料理」もどき、というか文字通りの「無国籍料理」を作っている。その味は、ビエンナーレに出品していた友人の日本人アーティストいわく「戦慄すべき」不味さだ。その不味さを味わうため、わざわざランチにでかけた。勘定のおつり四ドルの中に「一ペソ」札が一枚混じっている。さては、観光客だと思い馬鹿にされたか、と憮然としながら、その「一ペソ」札を一ドル札に交換してもらった(ちなみに通常のレートは一ドル=約二〇ペソである)。店の人は、解せない顔をしている。

翌日、ホテルの枕銭として、財布に入っていた「二〇ペソ」札をおいた。その晩、マイテのアレンジで、ハバナ大学のある教授のホームパーティに招かれた。現地のアーティストや俳優や評論家など10数名のこぢんまりとしたパーティだった。スープに、サラダに、ラザーニヤに、デザートという、ヨーロッパなどではごく当たり前のメニューである。家がハバナの大分郊外だったので、帰りはタクシーを呼んでもらったが、待てど暮らせどやってこない。結局、二時間後にタクシーはやってきたが(キューバでは驚くに当たらない)、その間その教授と世間話をしていた。片言の英語ながら、彼は真摯に私のいろいろな質問に答えてくれたが、最大の驚きのひとつは、彼の月給(ペソ払い)もまた、ドルに換算して二〇ドルだが、にもかかわらず今日のパーティの食費は、二〇ドルかかったという。つまり、この(「ヨーロッパ」的には)「ごく当たり前」にみえた一晩の食事に彼は月給を丸ごと投じたことになる。それは、特別な「大ご馳走」だったのだ。さらに、話がキューバ経済に及んだとき、彼は妙なことを言い始めた。キューバには、通貨が「三種類」あると言うのだ。でも、ペソとドルだけでは、と私が言うと、いやもう一種類「ドルペソ」というものがあるのだ、と言う。片言の英語なので、彼の説明はわかりにくかったが、要するにキューバには、キューバ政府が発行する、通常のペソとは異なる、ドルと等価のもうひとつ別な「ペソ」があるということらしいのだ。えっ、そういえば思い当たる節がある。あのチャイナ・タウンのおつりの中に混じっていた「ペソ」は、それではこの「ドルペソ」だったのか。ということは、もしかすると、今朝枕銭としておいた「二〇ペソ」ももしかすると「二〇ドルペソ」だったのではないか。ということは、「二〇ドル」のチップを上げたことになる。二〇ドルと言ったら、この教授の月給と同じではないか。今ごろ、メイドさんは感極まっていることだろう……。と、様々な思いが走馬灯にように頭の中を駆け巡った。

キューバ滞在は10日ほどであったが、ビエンナーレの取材も終わったため、レンタカーを借りて、キューバ島を巡ることにした。キューバに足を踏み入れて以来、およそ「資本主義」圏では想像を絶するような現実を数々見てきたが、レンタカーと交通事情をめぐっても驚愕すべきことが連続した。

まず、キューバには道路地図がないのだ!(もちろん当時は資本主義圏でもカーナビはなかった。)レンタカー屋では車の鍵とともに一応「地図」を渡されたが、A4一枚の大きさになんとキューバ本島全体が載っているのだ!(ちなみに本島の面積は、日本の本州の約半分。)もっと大きく詳しい地図はないのかと尋ねても店にはないという。近くに本屋があるから、そこならあるかもしれないという。行くだけ行ってみたが、案の定そんな地図はない。いや、キューバにはそもそも道路地図が存在しないという。

それでも、私は、マイテに勧められた、奴隷貿易で栄え、今やユネスコの世界遺産にも登録された古都トリニダーを目指して、キューバ島を縦断するキューバ唯一の「高速道路」に乗り、そちらの方面と思しき方向に走りはじめた。片側四車線という「立派な」道路だ。しかし、である。おそらくできてからずっと補修がされていないのか、路面は大小の穴だらけで(それもかなり深い)、路面を見つづけていないと危険極まりない。かろうじて、一番内側の追越車線(?)が一番穴も少なく、なんとか「高速」で走ることができる。他の三車線では馬車や自転車がのんびり逆走してきたり、物売りが何か売っていたり、まるで「高速道路」の体をなしていない。聞けば、元々は「高速道路」兼戦時の「滑走路」としても使えるように設計・工事されたという。(だが、こんなに穴だらけでは滑走路としても使えないだろうが…)

本州半分ほどの大きさがA4一枚に収まっている地図は、高速の出口を(例えば日本ならば)ごく大雑把に「名古屋」とか「大阪」とか示してはいるが、「高速道路」にその肝心の「名古屋」や「大阪」を示す表示板がないために、どこの出口で降りればいいのかも、感を頼るしかない。降りてみたはいいが、はたしてこの出口で合っているのかどうかさえわからない。ひたすら直感頼りに進み、途中、すれちがう人に尋ねてみるが返事はみな曖昧でよくわからない。しかし、なんとか奇跡的にトリニダーに辿り着いた!

目的の民宿にもようやく辿り着け、さて待ちに待った夕食だ。有数の港町の一つと聞いていたので、ハバナではとんとお目にかかれなかった新鮮なシーフードがふんだんに食べられると期待に胸が高まった。

宿の食堂にはメニューがないというので、主人はスペイン語のわからない私を厨房まで連れて行ってくれた。新鮮な魚介類はいずこ…。主人は冷蔵庫の前に立ち、なんと冷凍庫をあけるではないか! 中からこちんこちんに凍った小エビの塊を出してきた。そんなバカな!と思ったが、どうやら食材がそれしかないらしく、甘んじざるをえない。結局、それを主人は煮込みにして出してくれたが…、いったい港町なのに、なんで冷凍のエビしかないのか?!

後日、ハバナに戻り、マイテに、なぜトリニダーには港町であるにもかかわらず、新鮮な魚介類がないのか、尋ねてみた。すると、ここでも、驚愕すべき答えが帰ってきた。

確かに、トリニダーは港町だが、漁師がいないのだ、という。正確にいうと、昔はいたが、今はいないのだという。トリニダーだけでなく、キューバ中いないのだという。なぜか。船を出すと、亡命する恐れがあるからだ。だから、海にはもちろん豊富な魚介類がいても、それを取れる人がいないので、食卓に上ることもない。

さらにマイテは、皮肉混じりに笑いながら付け加えた。キューバの漁師の代わりに、外国の大型の漁船がやってきて、ロブスターなどを根こそぎ取っていくという。特に、日本の漁船が…。

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