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上井一輝の大学part1

さあ、大学生活です。

大学デビューをしようと、「おら、わくわくすんぞ」状態だった私は、入学当初からはっちゃけていたに違いありません。思い出すだけで、顔から火が出そうです。穴があったら入りたいとはまさにこのことです。

大学入学という進路を取ったのは、母方の祖母の勧めとたまたま高校が持つ指定校に学費が安いところがあったからでした。もともとは、国家公務員の父方の叔父に憧れ、公務員になるべく勉学に勤しんでいたのですが、幼少期からお世話になっている祖母の勧めもあり、友人もそこを受けるということもあり、行ってみるかという形で入学に至りました。

結論から言いますと、この大学に行って本当に良かったです。無形の大切なものをたくさん貰いました。同学年の友人、先輩、後輩に恵まれ、とても充実した日々を送る事ができ、語りつくせないほど多くの経験をさせてもらいました。全てが素晴らしい経験でどれを書こうか本当に悩みます。前置きだけでこんなにも長くなってしまうほどです。悩みに悩みましたが、下の5つにまとめてみました。

①友人と大いに遊ぶ

②友人がプロボクサーになるも難治性の病気を患う

③上井一輝、音が聞こえなくなる

④社会人フットサルチームxebra shizuokaへ入団する

⑤就職活動で直面する現実、そして就職へ


ここでは書けないようなこともたくさんしましたので、①は割愛させていただきます。お酒を飲みすぎ、近くの河川敷の高いところから落ちて半月板損傷やバーベキューで場所取りをしているうちの酒盛りで潰れ、気づいたら夜で誰もいない等信じられないほどバカなことをたくさんしました。
さて、②についてです。

②友人がプロボクサーになるも難治性の病気を患う


今、競技のスポーツを出来ているのは当たり前じゃなく、とても尊い時間である事。

1日1日を全力で生きる。


大学入学時、一番はじめにできたと言っても過言ではない友人が、ズブの素人からプロボクサーになりました。
一緒にボクシングジムの見学へ行った当時、肩パンというものが私達の間では流行っていたのですが、これを私と勝負する際に50mくらい助走をつけてパンチするくらいの強さだった友人がプロボクサーになり、新聞に大きく載り、大学内でも掲載されるようになったのです。勝った試合はもちろんのこと、負けた試合でも戦評がセンス溢れる等そういったものばかりでした。
友人がプロになる過程、プロになった後の活動は想像を絶するものです。テレビでは華やかな部分が取り上げられますが、その様なものばかりではありません。友人の「プロボクサーになってやるんだ、プロボクサーになって活躍するんだ」という気持ちと行動に私自身大いに助けられました。この友人の身近にいて、この友人の活動を見たり聞いたり出来たことは、私にとっての宝物でもあります。会う度に、友人はボクシング、私はフットサルで何かやってやろうとお互いに話していました。こいつが頑張っているんだから、俺がやらないわけにはいかないと、奮い立たせる事が出来ていました。

そんな友人ですが、プロボクサーの過酷な活動状況が相まり、慢性的なエコノミー症候群にかかってしまいます。激しい運動を行うと命が保証できないという宣告をされます。
何でこんなにも頑張っている友人がこういった事になるのか、なんで?なんで?という思考で頭の中が一杯でした。ここまで積み重ねてきたもののことを考えると、とても悲痛な気持ちになりました。当時はどこに遊びにいくにも薬を持って服用していました。友人は今もなお薬を服用しています。

友人は病気によって、ボクシングと命の天秤をかけざるを得なくなり、泣く泣く表舞台から去って行ったんです。
今、競技に身を置けるのも当たり前ではないということを、改めて強く感じています。
私は耳も聞こえなくなり、膝も難治性の怪我を負いましたが、(確率としてはありますが)スポーツを続けても命をすぐに失うかもしれないという状態ではありません。しかし、友人はもう出来ないんです。

膝を去年から怪我しており、自分本位になった帰国後はこのことすら考えられませんでしたが、先月連絡を入れた際に再びこのことを思い出しました。これからは友人のことをより肝に命じて、1日1日、しっかりと自分と闘っていく決心ができました。

明日は、③上井一輝、音が聞こえなくなるから展開します。



最後まで読んだいただき、ありがとうございます!