見出し画像

サイレンススズカの翼(1章から4章)

 本郷健吾の競馬小説「サイレンススズカの翼」を特別公開します。初出は2005年「サラブレ」。まず序章と1章から4章まで。
(上の成績表は新馬戦から98年の金鯱賞まで掲載)
=====

 体の大きなゾウは、ゆっくりと心臓の鼓動を打つ。
 体の小さなネズミは、せわしなく心臓の鼓動を刻む。

 しかしどちらも、一生の間にドクンドクンと拍動する回数は同じなのだという。それぞれの生き物には違う時間が流れて、ほ乳類のほとんどは15億回の心拍を刻むと天寿を迎える。

 ならば、激しく心臓の鼓動を刻み続ける人生と、そうでない人生にも寿命の違いがあるのだろうか。生涯のドクンドクンの回数があらかじめ決まっているとしたら。

 1994年5月1日。ブラジルのサンパウロ生まれの天才F1ドライバーが、悲運の事故でこの世を去った。

 アイルトン・セナ・ダ・シルバ、享年34歳。

 音速の貴公子と呼ばれ、速すぎるスピードで駆け抜けた男の葬列を100万以上の人たちが見送った。ブラジル全国民が3日間の喪に服して英雄の生涯を惜しみ、その栄光を讃えた。

 同じ1994年5月1日。セナの悲報が全世界に伝えられた日、北海道・平取の地に1頭のサラブレッドが誕生した。

 サイレンススズカ。父サンデーサイレンス、母ワキオブスズカ。

 アイルトン・セナと入れ替わるように生まれた彼もまた、スピードを追い求め、スピードという魔物と闘い続けた。
 誰よりも速く走るために。誰よりも速く生きるために。

 始まりは「HAPPY」という、ベタな名前のゲームセンターの出来事だった。

 あんなに楽しそうに、ひとりでUFOキャッチャーと格闘する女子を見たのは初めてだ。大きな瞳をくりくりさせながらターゲットを見据え、前のめりの姿勢でボタンを押す仕草に、ぼくはしばらくのあいだ見入っていた。

 彼女が狙っていたのは馬のぬいぐるみだった。
 かろうじてアームがつかんだぬいぐるみは、あと少しのタイミングでバランスを崩し、こてっと落ちた。

 ぼくの存在に気付いたUFOガールは一瞬、補導員に発見された生徒みたいな、気まずそうな顔をした。
 でも、相手が同じクラスの男子とわかると、すぐに元の表情に戻り、「あのコがどうしても取れないの。もう2000円使っちゃった!」と、首をすくめた。

 サボリだ。彼女も。

 この時間、健全なるクラスメイトたちは5時限目の授業を受けている。でも、不健全な男子約1名はどうしてもバイクで飛ばしたくて、教室を抜け出した。こんな天気の良い日に乗らなくていつ乗るんだ。このゲームセンターの駐車場に、大事な大事な愛車ホンダXR250が置いてある。

 そしたら、不健全かどうかはよく知らないけど、同級生の女子約1名が、UFOキャッチャーの前で有意義な時間を過ごしていたってわけだ。

 岡崎美鈴(みすず)。4月から同じクラスになったばかりの女子だった。
 新学期の自己紹介で「雲を見るのが好きです」とポエマーな発言をしていたのが印象に残っている。
 そういえば彼女は、午後の授業になると時々いなくなる。

「ふーん、高岡君ってバイク通学してるんだ」

 ぼくの抱えていたヘルメットに目を留めた美鈴は、不穏な視線を向けてきた。うちの高校はバイク通学禁止だ。だから、こうして学校から徒歩5分のゲーセンを駐車場代わりに使い、そこから歩いて通っている。

「秘密だぞ。密告しないでくれよ」 
「大丈夫よ。お互い共犯だもん」

 共犯って。映画のナレーションふうに言えば「午後のゲーセンで出会ったサボリの高校生ふたり。白昼の共犯者、ジャジャーン!」って感じか。

 共犯者はヘルメットをポンと叩き、脅してきた。
「じゃあ、口止め料ちょうだい」
「え?」
「あの馬、取ってくれたら、内緒にしてあげる」

 なんだよ、その取り引きは。なぜ、口止め料が発生するのか。
 そんなの理不尽大王じゃないかと抗議したかったが、ぼくは目の前の同級生の、少女と小悪魔のミックスジュースみたいな視線にどきまぎしてしまい、ただの従順な男子高校生になっていた。

「あの茶色の馬。サイレンススズカっていうの」

 それから白昼の共犯者ふたりは、歓声を上げたり、早いよ、バシンと背中を叩かれたりしながら、UFOキャッチャーと格闘を続けた。
 ぼくらの17歳の春が動き出そうとしていた。

 わたしがそのヤンチャなサラブレッドを知ったのは、高校1年の終わり頃。1997年の3月だった。

 日曜日の午後、家でぼんやりしながらテレビをつけると、不思議な映像が映し出された。
 競馬中継だった。ちょうど今からスタートというところ。1頭の馬が狭いゲートの中で暴れ始めた。何してるの、これ!?

 彼は前脚を上げて立ち上がり、騎手を振り落とす。そして、ほふく前進のような格好で地面に這いつくばり、ゲートの下のわずかな隙間からスルリと這い出した。

「これは珍しいアクシデントです」
 観客がどっと沸き、アナウンサーが困ったような声で伝えている。

 お騒がせの主人公の名前はサイレンススズカ。弥生賞というレースだった。自分と似た名前を持つサラブレッドの派手なパフォーマンスに、わたしの目は釘付けになった。

 ルックスもなんだか可愛らしい。
 栗毛の馬体。黄色と緑でカラフルに編み込まれたタテガミ。白く縦に伸びた鼻面。
 サイレンススズカは係員の人に引かれて、いちばん外側の枠に回され、やっとレースがスタート。すると今度は1頭だけポツンと取り残され、大きく出遅れてしまった。目立ちまくりだ。

 もう、とても他人事とは思えなかった。
 狭いゲートの中でじっとしていられず、一刻も早く脱出しようとした彼の姿。それはとても必死で、一生懸命で、繊細で、危なっかしくて、こめかみのあたりにチクチクと刺さってきた。

 あの日からわたしはサイレンススズカの追っかけになった。

 スズカのことがもっと知りたい。
 誰にも見つからないように、コンビニで競馬の雑誌を買った。スズカの切り抜き写真を部屋に貼って、お母さんにあやしまれた。「ジーワン」とか「折り合い」とか、わからない言葉があれば本屋さんで立ち読みして調べたり、さりげなくクラスの女子に話題を振ってみたり。

 でも、みんなが興味を持っているのはたいてい人間の男の子で、馬に夢中の女の子なんて他にはいなかった。

 弥生賞の暴走パフォーマンスの後、2連勝したサイレンススズカはダービーに挑戦。選ばれたサラブレッドしか出場を許されない、頂点を決める大舞台だ。
 この日、スズカは初めて緑のメンコを付けた。メンコというのは顔につけるマスクのようなもの。耳を覆い、競走に集中させる目的がある。

 今日こそは逃げて欲しい。先頭に立ち、自由に走って欲しい--。わたしはテレビの前で祈った。
 スズカはもともと逃げ馬だ。2月のデビュー戦はスタートから先頭に立ち、スピードの違いでぶっちぎりの逃げ切りだった。2勝目をあげたときもやっぱり逃げ切りの楽勝で、速さの違いは明らかだった。どちらも2着との差は7馬身もあった。

 なのに先日のプリンシパルS、スズカは逃げなかった。
 将来のことを考えた作戦で、2番手からレースを進めたのだという。これからは長距離戦が増えていくから、逃げる戦法だけでは壁に当たる。そう判断されて得意の逃げを封印したらしい。

 結果は1着でも、わたしはモヤモヤした曇り空の気分だった。
 1着になればいいってもんじゃないのに。スズカはもっともっと自由に走りたがっている。持って生まれたスピードを誰にも制限されることなく、思う存分にストライドを伸ばして表現したがっている。先頭で風を切り、誰よりも速く。
 だから、今日のダービーは絶対に逃げてね。負けてもいいから逃げて。そう願っていたのに。

 ダービーのサイレンススズカは、前半から2~3番手のポジションにつけ、ずっと折り合いを欠いたまま、直線失速して9着に終わる。スズカは逃げたかったのに、騎手が手綱を抑えて逃げさせてくれなかったのだ。
 なだめる騎手に対して、スズカは子供のようにイヤイヤをして首を振り、自由に走りたいという意思表示をしたけど、聞き入れてもらえなかった。

 勝ったのはスタートから迷いなく飛び出したサニーブライアン。皐月賞に続く逃げ切り勝ちだった。
       *
 その夜、わたしは勉強に身が入らず、部屋にこもって絵を描いた。サイレンススズカのイラストを。
 はじめは絵じゃなくて、ハガキに意見を書いて雑誌に投稿するつもりだった。でも「スズカは逃げるべきです。逃げたいと叫んでいる声が聞こえてくるのに、どうして抑えるの?」という自分の文章に気恥ずかしさを感じて、イラストに変更した。

 完成した絵をながめてみると、何かが足りない気がして、スズカの背中に翼を描き加えた。
 大きく広げた二枚の翼を、サイレンススズカの未来に描き足した。

「うん。すごく似合ってる。スズカには翼があるんだから」

 日曜の深夜、テレビのF1中継が終わると、5分間の競馬番組が始まる。以前なら気にもしないプログラムだったが、美鈴と付き合うようになってからは気になって、たまに見ている。

 ぼくらはゲームセンターの一件以来、あれれれ、君たちいつのまにと、まわりの連中に冷やかされる甘酸っぱい関係となり、これが青春ってヤツなのかと、ふたりで過ごす時間を増やしていった。

 ぼくはF1フリークで、美鈴は競馬ファンだった。

 だから今日、学校で友達とF1ごっこをしているときに、美鈴の口からアイルトン・セナの名前が出たのには面食らった。
 教室のイスをドライバーズ・シートに見立てて、「おーっと、シューマッハがインから行くぞ、しかしハッキネンが抜かせない!」などとやるのが、ぼくらのF1ごっこなのだけれど、イスを引きずる手が思わず止まった。

 いきなり美鈴が駆け寄ってきて、くりくりした瞳で「ねえ、セナって人は知ってる?」と質問してきたのだ。
 知ってるも知らないも、もともとぼくがF1に目覚めたのは、兄貴がアイルトン・セナに心酔していたからだ。兄は事あるたびに、ブラジルが生んだ天才ドライバーの話を聞かせてくれた。
      *
 1994年5月1日、サンマリノGP。スタートから7周目に悲劇は起こった。
 アイルトン・セナを乗せたウィリアムズ・ルノーのマシンは、時速300キロでタンブレロ・コーナーに突っ込み、コンクリートウォールに激突。破損したサスペンションがセナの頭部を直撃する。
 その場で応急処置が施され、セナの体はヘリコプターで搬送されたが、4時間後、悲しいニュースが流れた。「イモラの悲劇」と呼ばれる大アクシデントだった。

 あの事故の夜、兄はひとりで単車に乗って出かけ、3日間帰ってこなかった。どこへ行き、何をしていたのか。3日間の家出の行き先を、兄は誰にも話さなかった。そんな兄貴をぼくはカッコイイと思った。

 月日が経った今なら、兄の行き先は想像がつく。たぶん鈴鹿だ。
 ホンダの単車を駆り、夜通し鈴鹿サーキットまで走ったに違いない。遠く離れたイモラの空に散ったセナとお別れをするために、セナの愛した鈴鹿へ。

 男には儀式が必要なときがある。はたから見ると、それがバカげた儀式だとしても、区切りをつけるための通過儀礼が必要なときがある。
 大切な思い出をしまいこみ、鍵をかけて、前に踏み出すために。

 あれ以降、兄の前で安易にセナの名前を口にすることは憚られたけれど、やがてぼくが正真正銘のF1ファンになり、兄と入れ替わって深夜のテレビにかじりつくようになると、兄はセナのビデオや本を黙って貸してくれた。
      *
「ねえ、セナって人は知ってる?」
「セナのことなら、何でも聞いてくれ」
「良かった。じゃあ、5月1日は何の日か知ってる?」

 美鈴の話はとても興味をそそられるものだった。
 アイルトン・セナが星になったのと同じ日に生まれたサラブレッドがいて、ものすっごく速い馬なのだという。

 スタートから先頭に立ち、他を寄せ付けず逃げ切ってしまう。おお、セナのレース・スタイルと同じじゃないか。
 競馬の世界では、セナの生まれ変わりではないかと言われ、“音速の貴公子”というセナと同じニックネームまで付いているらしい。

「ただ速いだけじゃないの。ヤンチャで、ナイーヴで、危なっかしい感じ」
「セナそのままじゃん」
「そうなの? 性格も似てるの?」
「貴公子っていうより、“音速の少年”のほうがぴったり来るって兄貴がよく言ってた」
「へー、音速の少年か。カッコイイね」

 美鈴がうれしそうに笑みを浮かべている。あれ、もしかしてその馬って。

「知ってるでしょ、サイレンススズカ。ぬいぐるみを取ってくれた馬」
「あいつか」
「そう。この前なんてすごかったんだから。金鯱賞っていう重賞、ぶっちぎりだったのよ」
「マジでセナの生まれ変わりだったりして」
「ねえ、ビデオに録ってあるから、今度一緒に見ようよ」

 1998年に入ってからのサイレンススズカは、連戦連勝の絶好調。スズカの白星がひとつ増えるたびに、わたしは競馬に詳しくなり、部屋のポスターにおめでとうの乾杯を繰り返した。
 バレンタインSから始まり、中山記念、小倉大賞典と、全部逃げ切りの楽勝続き。幼い気性を自制できずにいた頃のスズカとは、別の馬みたいだった。

 97年暮れの香港遠征から新しいパートナーに武豊騎手を迎え、スズカは変わったんだと思う。
 スタートから軽やかなフットワークで先頭に立ち、無理に抑えない。ほかの馬が付いて来ようと、付いて来なくても関係なし。逃げようと思って逃げるんじゃなくて、自然にスピードを解き放てば、それが結果的に逃げの形になる。

 初めは「へんな感じ」と賛成できなかった緑のメンコも、だいぶ似合うようになってきた。栗毛の馬体に白いソックス、黄色と緑のアクセサリーが、サイレンススズカのオリジナルカラーだ。

「でも、メンコを付けない素顔のほうが、わたしは好きかな」
 スズカのイラストにマーカーペンで色を塗りながらつぶやく。あとは頭のボンボンを描き込めば完成だ。
 スズカが連勝街道を突き進む間に、わたしは高校3年生に進級し、クラスも変わった。バイクとF1の大好きな、まっすぐな男の子に出会った。
      *
 わたしが高岡君を初めて意識したのは、あのゲームセンターの出会いよりも前。去年の夏休みだった。

 川べりの土手を、バイクで走る彼を見かけた。
 たぶん免許取り立てだったんだと思う。試し運転というのか、練習だったのか、彼は土手の道を何度も行ったり来たり往復しながら、バイクの乗り心地を確かめていた。

 あの日、わたしは川をはさんだ対岸の斜面に座っていた。どこにも居場所がなくて、ひとりぼっちでヒザを抱え、川面に沈む夕陽をながめていた。

 そのとき、ハプニングが起こった。対岸のバイクボーイがUターンに失敗。ぎゃあああという奇声を発しながら、バイクもろとも土手の草むらを転がり落ちたのだ。
 全然スピードは出てなかったから、危険な事故じゃないのはすぐにわかったけど、いきなりそんな場面に遭遇すればこっちもあわてる。

「大丈夫かな、あんな転び方して」

 数秒後、大きな笑い声が響き渡った。
 転げ落ちたバイクボーイはヘルメットを外し、草むらに大の字に横たわると、けたたましく笑い、「だあーっ!」とか「うおーっ!」とか、ゴリラのボスみたいな雄叫びを上げた。
 笑い声とも叫び声とも判別がつかない。お腹の底から感情を吐き出して、空にぶつけるような雄叫び。

 その大声を聞いていたわたしは、最初くすっと吹き出し、やがて涙があふれてきた。彼の叫び声がわたしの中の何かのスイッチを押し、なぜだか涙が止まらなくなった。
 高岡君はあの場所に悩める少女Aがいたなんて知らないよね。わたしはあの日、君に救われたんだよ。

 サイレンススズカの金鯱賞を見たとき、この走りを高岡君にも教えてあげたいと思った。誰にも邪魔されず、真っ白なキャンパスに1本の線を引いたような、スズカ最高の作品。それを彼にも見て欲しかった。

 1分57秒8のレコードタイム。2着の馬は大差がついて、どのくらい離れたかもわからない。あきれるほどの美しい勝ち方。
 だから、うちに来て一緒にビデオを観ようよと誘ったのに、焦った顔をされてしまった。まったくもう、男の子はすぐ勘違いするんだから。

 でも、いつになったらバイクの後ろに乗せてくれるのかな。ずっとお願いしてるのに。
「免許取得1年以内は2人乗りをしちゃいけない決まりなんだ」とか、「兄貴に借りているバイクだから」とか、やんわり拒絶されてなかなか乗せてもらえない。

 サイレンススズカを追いかけ始めてから、わたしは風の存在を意識するようになった。風の匂い、風の肌触り、風のスピード。

 スズカと同じ速さで風を受ける自分自身を想像するうちに、身体が空へ舞い上がるような錯覚に包まれる。2000メートルを2分というタイムは、時速にすると60キロ。バイクならスズカと同じ速さの風を感じられる。わたしもスズカの風が知りたい。

 それとも、わたしが知りたいのはスズカの風じゃなくて、高岡君の風なのかな。どっちが先で、どっちが後なのか、わからなくなってきた。
 彼と同じ風を受け、彼と同じ風の匂いを感じてみたい。そうすれば、あの土手を転がり落ちた日の笑い声の秘密がわかるかも知れない。雄叫びの意味に近づけるかも知れない。 

 7月12日には宝塚記念がある。サイレンススズカにとって初めてのG1制覇のチャンス。
 もしスズカが宝塚記念を勝ったら、後ろに乗せてくれるよう約束してもらおう。断られても強引に乗っちゃえばいい。

 宝塚記念が終われば、もうすぐ夏休みがやってくる。高校生活、最後の夏休みが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?